第66回 釜飯仲間・おこげのお話
2014.5.1神奈川・緑の劇場
~今年も観ました!中井町五所八幡宮の例大祭2014年04月29日~
群馬県富岡市の「富岡製糸場」と、養蚕関連施設など四ヶ所の”世界文化遺産”登録が6月になされることが決定的となったと報道されて、早速、見物客が殺到、かつてない来場者への対応に追われているとのことですね。
これからが大変だろうなあ。
日本農業新聞の1面での写真がデカクて、さすが、とちょっと嬉しかったです。
世界遺産にはならなくても、地域の歴史を物語り、今も人々の暮らしを守っているのが、我が大和ビルなのです。
「はまどま」のある大和ビルは、今年で築55年とのことです。
戦後の建築ですが、一階が商業施設で二階から五階までがアパートというのは、当時では画期的だったとか。しかも、戦後の1人暮らしの女性たちのためのアパートとして、米軍接収解除の後、最初に建てられたビルでした。
今、地域の力を持ち寄って製作を始めている「昔カルタ」にも登場する予定なのですよ。
そうなると「はまどま」にも、見学者、来場者として大勢おみえになるかしら?
5月から内装変更、開けている時間も長くできそうなのは、”地域文化遺産・歴史的構造物”とは関係はありませんが、落ち着いたら、「立ち寄り処・はまどま」を案内できるといいな。
神奈川には、様々な伝統ある行事が引き継がれ、地域の人々の手で守られている、ということを知ったのは、成人してずいぶん経て、神奈川の農業と生産者の皆さんと出会ってからでした。
獅子舞いや、お囃子などの無形文化財の練習と担い手の確保、山車や御輿の修理などの手入れなどにも携わってきたのも生産者と地域の皆さんでした。
足柄上郡中井町・五所八幡宮の例大祭に始めてふれたのは1988年4月29日。当時は昭和天皇の誕生日で祝日でした。
毎年、この日に例大祭を行うようになってからの歴史は、鎮座850年以上を数える五所八幡宮にしてみれば、最近のこと。
同じ日に、酪農生産者の大野山県営牧場とのつながりで、大野山の山開き行事に参加して、夜は祭りに誘われたのが最初でした。
山車は四基。中村川左岸に列を作り、提灯が屋根をぐるっと囲むように飾られて、明るく闇夜に浮かび上がる。八人~十人ほどの若者たちは、各々の山車に乗り込んで、祭囃子を奏でます。
十を越える大松明も川面に映り、いよいよ紅白二基の御輿の川入りを待つばかり、下流のいずれかで、御輿を担ぐ若者たちは川に入って待機して、合図を待つばかり。
観衆もともに、期待が最高にまる、その時、宮司様らが川原に降りて、これから始まる神事の説明が始まりました。
~鎮座850年祭からなんだよね、これやるようになったの、2年目か?~
~やりたきゃ、明るいうちに済ませときゃいいのによ~
~流れが止まるんだよね~
最高潮に盛り上がったかに感じたお囃子も、神事の間は、静まって、あらら、若者たちは、神事などに興味も示さず、大人たちだって、世間話に盛り上がっていたら、宮司様方の世話人さんから、なにやら合図が。
いつの間にか神事は終わってお囃子再開せよってことか?
~やべっ、おー、やるぞ!~
リーダーが気づいて声をかけても、狭い山車の中へ戻って体制を整えて・・・この間、たぶん1分たらず、シーンと静まった祭りの場が、
~どうした?何があった?~
とざわつき出すかと思った時、厳粛さを保った宮司様方の脇から、提灯を抱えた世話人さんが山車に向かって川原を走り出した!みんなの視線を1人惹き付け
~何やってんだ、さっさと・・~
心の声が小雨ふる夜空にでっかく広がった。その時、若者たちのお囃子は、何にもなかったように始まりました。
世話人さんを見れば背中を丸めて、もとの位置に戻っていかれました。
伝統を守るのは、何しろ大変です。みんなが力を合わせてはじめてできることですし、地域の団結力は、必ず養われることでしょう。
(おもろ童子)