第123回 釜飯仲間・おこげのお話
2019.3.31神奈川・緑の劇場
いよいよ「平成」が幕を閉じる時を迎えようとしています。マスコミでは、平成を振り返る企画が続いています。戦争の時代の「昭和」に対して、日本として戦争がなかった「平成」。しかし、震災、豪雨災害、火山噴火などの自然災害が度重なった「平成」。
農業・食糧の視点から見たとき、「平成」とはどのような時代だったのでしょう?
それは、私が神奈川の生産者の皆さんと日々をともに過ごすようになった年月と重なります。様々な、大きな変化、事件もありました。
【主食】国が国民の食糧、特に主食である米を、国民に安定して供給する責任を持っていた「食管制度」が廃止になりました。米の輸入自由化に道を開き、米価維持と過剰生産を抑制する減反政策が無くなり、米は現状では各県ごとに作付面積を決めています。30年前には1000万トンを超えていた米の生産量は、特に近年、急激に減少し700万トン程度になっています。米は、数少ない100%自給できる作物にも関わらず、自由貿易交渉の過程で輸入が増やされています。一方、各県ごとに地域に適した品種を開発し、栽培方法を研究し、夏季の極端な高温にも対応して美味しいとされる米が全国で生産されるようになりました。
【流通】生産者が消費者に直接、作物を供給する「産地直送=産直」いわゆる市場外流通は、30年前は、特別な人々のやっていることのように見られていました。この30年で市場を通す農産物は半減しました。町からは「八百屋さん」が消え、コンビニエンスストアで生鮮農産物を取り扱うようになりましたが、高齢者が増え、買い物に不自由することが社会問題になっています。
【安全性】30年前、ヨーロッパに比べて日本の有機農産物の生産・流通がたいへんに遅れ、曖昧だと言われました。基準も無いままに、店頭には「無農薬」「有機栽培」の表示が溢れていました。ようやく有機認証制度が日本でも出来上がりましたが、そもそも、「無農薬」とは?「有機栽培」とは?という認識が広く市民に理解されているとはいいがたいのが現状ではないでしょうか?30年前と大きく変わったと思うのは、JAグループが「有機農業」「自然農法」を推進しはじめ、諸外国と比べ日本における有機農業の少なさを問題にするようになったことです。日本の農業を守り、次の世代につなげるために多角的な生産環境と技術が必要になると思いますが、その一翼に自然環境に配慮し高い安全性と優れた作物本来の食味を追及した農法の普及が不可欠だと思うのです。農産物の輸出入自由化が当面は避けられないとするならば、「輸入の方が安くて安全でおいしい」とならないとは限らないのではないでしょうか?そして、日本の農業には、どうしても消費者・利用者の支えが大切なのです。国の農業政策は、食糧自給率38%に見られるように、大変に心細いのです。
(2019年3月24日 記 三好 豊)