第109回 釜飯仲間・おこげのお話

2018.1.29
神奈川・緑の劇場

『釜飯仲間=おこげのお話=』

~神奈川の農業と食べ物のこと・生産者に寄り添って30年~

「はまどま」では、「神奈川野菜の食事会」が最も歴史は長い(といってもわずか13年目だが)。だが最近は、様々に食事会を催してくれる仲間がいる。

「神奈川野菜の食事会」は、そもそも、神奈川野菜の試食会であり、当時、大和ビルに暮らし、今は各々大和ビルから旅立って暮らしている仲間たちの「まかない」であり、「炊き出し」だった。

“料理”というほどのものは作らなかったし、作れなかった。また、「はまどま」にもなっていなかったから、キッチンなどは無かった(よく事務所の片隅にある“流し”と“コンロ”一つ)だから、火力は卓上コンロで補った。

それはそれで懐かしく、楽しい思い出だ。やがて、4~5人から徐々に参加者も増え、噂が噂を呼んで遠方からも参加して下さる方や、“取材”で参加する人も現れた。「はまどま」になった2008年からは、スペースも広がり呼べる人数も増えていった。NORA野菜市で利用していただく野菜が中心の献立だが、料理らしいものが並ぶようにもなった。

 わずか13年。だが、地産地消という言葉も多くの人々には馴染みはなく、「神奈川の野菜」などが食卓にならぶ機会も限られていた。よほど意識的に神奈川産の作物を求める人以外は。だから、まず「神奈川県内生産者限定」の野菜市を開くことで神奈川産を利用してもらう。そして、その美味しさを知ってもらう。次に、生産者と交流する機会を作る。この3点を重視してきた。

 生産者個人が自分の作物をリヤカーで運んだり、婦人たちが大荷物を背負って早朝の列車で都会に売りにくる形式から、組織的な流通になってきたのが、約40年前。生産者が直接利用者に届ける、市場外流通・産地直結「産直」では、まず、農薬をなるべく使わないで欲しいという利用者の要望が強かった。それに応えて生産者が出荷したのが、虫にほとんど食われて食べるところのない小松菜。生産者にしてみれば、農薬を使わないということがどういうことか、知って欲しいという思いもあったに違いない。

これほど極端ではないにしろ、今でも虫食いの酷い葉物野菜はある。私が預かったあと、皆さんに購入していただくまでのわずかな時間に付いてきた虫に食われるパターンだ。

形や大きさも、市場出荷ならば規格基準が厳しく決められているが、それにあったものを一気に収穫して出荷できる。が、「産直」ではそうはいかない場合がほとんどだ。注文を待つ間に大きくなりすぎた作物。小松菜は「大松菜・おおまつな」になり、ほうれん草は「ほうれん木・ほうれんぼく」になる。もっとも、多くの作物は人間の、流通の都合で規格が決められていて、実は未熟なのに収穫してしまうものが多い。ほうれんぼくや、おおまつなのほうが美味しいというのがもっぱらだ。さすがに今期はそんなに成長する葉物野菜はないが。

利用者が生産者に要望や意見をいう。生産者がそれに答える。だが、ことばで答えることもあるが、実際にやってみる、作物によって答えることが多いし、説得力もある。生産者が直接、利用者に手渡すのならよいのだが、組織的になれば、流通を専門に担う部署が必要になる。生産者と利用者の両方の立場を理解し、両方にそれぞれの要望を発信していかなけばならない。

 そうして、いま、若い世代の生産者と利用者の間では、どのようなやりとりがされているのだろうか?

 先駆的に取り組んでいる生産者と利用者の間では、料理の技術も大いに前進し、野菜料理も比べようもなく豊富になっている。必要とされる農産物を作付することもいとわない生産者が現れた。そもそも、野菜専門のレシピ集など、13年前には、ようやく現れ始めたころ。肉や魚料理に添えられる脇役が野菜だった。

今では、野菜が主役になった。

 若い世代では、農業に就こうとする人々も増加し続けている。彼らをサポートしようとする受け入れ行政のシステムも整備されつつあり、地域住民のよそ者への意識も変わってきた。

 (2018年1月29日記 おもろ童子)