第106回 釜飯仲間・おこげのお話

2017.10.30
神奈川・緑の劇場

【釜飯仲間~おこげのお話】

=神奈川の農業と食べ物のこと・生産者に寄り添って30年=

1975年10月。東京・杉並区阿佐ヶ谷の劇団展望に入って最初に始めたアルバイト先は、東京の大手青果チェーン店でした。新宿区の環状6号線沿いに暮らしていた伯母を頼って下宿暮らしを始めていた私は、新宿淀橋市場に出勤して、競りの登録番号から、通称四八(よはち)さんと市場内では呼ばれていたオヤジさんと合流し、オヤジさんが競り落とした野菜を大八車で運んでトラックに積み込むのです。ジャンギャバン似と自分でも言ってまんざらでもないオヤジさんの機嫌が良い時には自販機コーヒーのご馳走がありました。そして、店の店頭に昼までに並べます。少しずつ影が差し始めていたとはいえ、今とは比べものにならない野菜の消費量。ほうれん草や小松菜、キャベツに大根、白菜などなど、うず高く積み上げた野菜が閉店までにほとんど消えていくという時代でした。

劇団の稽古は平日の午後1時から毎日。劇団員たちは、早朝から昼までの仕事か、夜の仕事に就いて劇団活動を続けていたのです。私も、長短様々なアルバイトをしました。その中には、もう一軒、別の青果店がありました。個人経営の小さな店でした。しかし、品質の良い品物を仕入れて固定客に人気がありました。店主は市民オーケストラのメンバーで、劇団の主宰者(私の師匠)と阿佐ヶ谷一番街(飲み屋街)等々での飲み仲間という縁でアルバイトをさせてもらえたのです。ある日のこと、駅舎に入った大型青果店からキウイフルーツという果物を買ってくるように言われました。そして、店主とキウイフルーツの試食をしました。どんな味だったかは忘れましたが、それが、初めてキウイフルーツを食べた時でした。

月日は流れ、1987年5月。(有)神奈川農畜産物供給センター(以下、供給センター)に就職しました。33歳になっていましたが、これが私にとって初めての正規雇用となりました。農業・漁業・林業・・。働く人々の視点から、その生活、生き様を描いた作品、それもオリジナル戯曲を多く上演してきた劇団展望では、農民や漁民の役を演じたこともありました。十代のころから、農林水産業への憧れはありました。しかし、実際の生活では全く無縁の生い立ちです。わずかな勉強や体験、視察などでは心もとない自分の内面に、委縮しながらの演技です。

それが、一年365日、農業の現場に接し、多くの生産者と直接話せる毎日が始まったのです。私にとっては、これ以上の職場はないと思われました。引き換えに、いわゆる「舞台」からは徐々に遠ざかることを覚悟しました。二足の草鞋ははけない、ということです。自分にとっては得難い体験を経て、いつか「舞台」に、いつか「表現」に立ち戻る日がくれば、と思うことで自分を納得させました。

野菜は食べることも大好きでした。一通りの野菜は知っているつもりでした。ところが、「品種はわかりますか?」と年下の上司に尋ねられ、品種など全く考えていなかったことに気づきました。彼は、茨木の農家出身です。次男だったために、家は長男が継ぐことになり、それでは、と農業の専門学校を卒業したのち、農業に近い職場として供給センターに就職したと言います。

利用者にとっては、乱暴に言ってしまえば品種はほとんどどうでも良いことです。もちろん品種へのこだわりがある野菜はあります。

これからの季節ですと、近年は「チヂミほうれん草」が人気です。では、小松菜は?まったく問題になっていないように思います。白菜ならば、大きいか、小さいかぐらいで、いや、最近はカット売りが当たり前になっていて品種へのこだわりは、中が黄色い白菜・・とか。大根ならば、神奈川では代表的なのは三浦大根ですが、まだまだ、三浦で収穫した大根が三浦大根だと思っている人も少なくないようです。青首大根とは品種が違うということが知られていないのです。

青首大根とひとくくりにする大根ですら、次々と新しい品種が種苗登録され、名前がつけられています。それが、ほとんどの野菜についてなのですから、一般の利用者にとっては、とても覚えられるものではないし、その必要もないでしょう。

ところが、生産者にとってはとても大切なことなのです。

様々な品種が、次々と生まれてくるのは、それだけの需要があるからです。品種が異なるということは、その品種ごとの特徴が異なるということです。異なる特徴の中から生産者たちが何を優先して作付するのか。病気に強い、寒さに強い、たくさん収穫できる、型の良い市場価格の高い品物がたくさん収穫できる、味がよい、収穫後の日持ちが良い、栄養的に特徴がある・・・。実に様々な特徴があり、それらを生産者の希望に沿うように併せ持った品種が求められるのです。

「地産地消」土地のものを土地で利用しよう、という時代の流れがこの15年の間に大きな力強い流れとなってきました。神奈川でも、大小様々な直売所が開かれ多くの人々が訪れ購入できるようになりました。スーパーでも、地場野菜コーナーがあるのは当たり前。生産者の名前を明らかにし、生産者自身が店頭まで納品することも始まっています。農産物に限らず、肉類、魚類、それらの加工品、牛乳や乳製品、そして遂に「かながわ鶏」という食鳥まで生まれました。

また、「伝統野菜」として、古くから地域で作られてきた作物を蘇らせよう、ブランド化して、地場の特徴ある作物として定着させよう、という動きも盛んになっています。神奈川を見回しても、さきほどの「三浦大根」はその代表格でしょう。近年急速に人気が出たのが川崎発祥の「のらぼう菜」です。平塚のサツマイモ「くりまさり」も、熱心な生産者たちと支えようとする利用者の輪が広がっているようです。大豆では「津久井在来大豆」。そして、あらたな神奈川ブランド野菜として認定されたのが「開成弥一芋」という里芋です。キュウリや菜っ葉類など、まだまだ神奈川やその周辺にも数々の伝統野菜があります。

これらの伝統野菜に共通することは、味が良い・抜群に味が良いのです。これがあるから、価格が多少高くても利用者の支持をいただけるのです。次に、種子を農家が自家採取できるか、国内で管理できているのです。種子については、一般の利用者にとっては、関心のないことでしょう。ですが、もし、本当に美味しい作物をいつまでも利用したい、と思うならば・・・。

今、毎週、火曜日の夕方「NORA野菜市」に始まって、土曜日の朝「富岡朝市」に至るまで、各地で神奈川の生産者が育んだ野菜を購入していただいています。

先日、「種を自家採取した作物を買いたいのですがありますか?」とお客様に尋ねられました。供給センターの勤務時代を含めて30年以上、神奈川の農産物を販売してきましたが、初めての質問でした。

そのお客様は、きっとご存じで、あえて聞いたのだろうと想像します。

今の日本の作物は、生産者が種子を採取できないF1がほとんどであること。その種子は一部の多国籍企業に支配されていること、だからこそ自家採取できる作物の種子を守る取り組みが地道に続けられてきたこと。

そして、先ほどのお客様は、「私は、そのような生産者を応援したいのです。」という意思表示を込めて、私に尋ねられたのだろうと思うのです。

先ほどの「伝統野菜」が、幻の作物になっていったのには理由があります。抜群に味が良いことよりも優先されることの性質、味を犠牲にしても必要とされる性質によって作付けが激減していったのです。

再び「三浦大根」です。マスコミにも頻繁に紹介され、人気にはなっている美味しい大根、人気ならば作付する人が増えそうなものですが、増えていない、といいます。

青首大根に比べたら圧倒的に作ることが大変なのです。大きく姿の良いものならば三浦の現地でも1本600円でも買えないのでは?と思われる三浦大根。

生産・流通・販売に都合の良い性質をもった品種が必要とされ、全国・全世界共通の作物が世界中の伝統野菜を圧倒してしまう。その代表格は遺伝子組み換え作物です。

生産者の情報、栽培方法の情報とともに、自家採取の種子を後世に伝えるための情報も発信したいと思うのです。

 

(2017年10月30日記 おもろ童子)