第132回 「のらぼう」から

2019.8.31
いしだのおじさんの田園都市生活

6月の末に西荻窪の「のらぼう」で呑んだ。
「のらぼう」は、明峰哲夫さんのご長男の牧夫さんのお店。
三鷹などの地元野菜の料理がチョー人気で、予約も難しい。
牧夫さんの著書『野菜のごちそう春夏秋冬』(KADOKAWA・2016)
哲夫さんは2014年に亡くなった。68歳だった。
『街人たちの楽農宣言』(コモンズ・1996)で私を共編著者に指名してくれた。
そういう言い方を本人は嫌うだろうが、私の師匠の一人だ。
『楽農宣言』は、「市民が耕す濃研究会」という活動から生まれた。
農家ではないけど、小さな市民菜園に満足しない活動家(?)たちの集まり。
明峰さんは、それ以前にもいくつかの著作があり、没後には「著作集」も出版された。
全共闘の闘士から、有機農業、消費者自給農場、都市での市民の農と活動された。

『楽農宣言』では、編集者の大江正章さんとの出会いがあった。
『楽農宣言』は大江さんの編集で氏が当時勤務していた出版社から出る予定だった。
しかし、氏はちょうどそのタイミングでその出版社を去り、新しく出版社を興した。
そして、『楽農宣言』は出版社コモンズからの初めての本となった。
『楽農宣言』に私が書いた「見えないものを耕す日々から」15ページあまり。
読み返すと恥ずかしいのだが、書いていることも文章のキレも悪くない。
むしろ、今よりも良い。
明峰さんと大江さんの薫陶のおかげだろう。
その後、「単著を書いてみないか」と声を掛けられ、『耕して育つ』(2005年)となった。

「のらぼう」には明峰さんと大江さんと3人で訪れたこともあった。
震災と原発事故の年の夏。
私がグリーンを退職し、横浜を去り、三鷹に転居したとき、声をかけてくれた。
私にとって意気消沈している一方で「新生活」に希望もあった不思議な時間だった。
震災を受けての集まりでの明峰さんの問いに「私には故郷がある」と応えたことがあった。
その故郷を離れた夏。
それでも「な~に谷っ戸ん田」には通っていた。
被災地の農家に思いをはせて「それでも種をまく」という夏だった。
(明峰さんの被災地への思いはまた独特に表現されて、そうとう批判もあった、が、それこそ明峰流)

今回の「のらぼう」は、また、大江さんが声をかけてくれた。
拙コラム「流されるな」を読み、「良かった。農にもそういう視点は必要」「呑もう」と。

農林水産政策研究所の吉田さんを誘った。
吉田さんとの出会いは、2010年ごろだったか。
NHKで番組に取り上げられたことでグリーンを知って、取材に来てくれて、縁ができた。
今では、「農福連携といえば吉田」というほどの第一人者だ。
麦の研究と併せて?取材や講演で全国を飛び回っている。
大江さんとは、以前、maaruで顔合わせしたことがあった。
広い意味で同業者だし、大江さんも全国を訪ねての著作がある。
吉田さんは、私と同じ三鷹駅利用という口実もあった。

私は、私を知ってくれているこの2人に相談したいことがあった。
だが、料理と酒が美味すぎて結局切り出せなかった。
楽しい吞兵衛3人の夜となった。
(吉田さんとは三鷹でもう1軒寄った。酔った。)

それから1月ばかりして、大江さんから原稿依頼をいただいた。
日本有機農業学会の設立20年誌に「農と福祉」について書くというものだった。
「字数が短くて申し訳ない960~980字」というちょっと難しい注文、、、
もちろん引き受けたが、何をどう書いてよいのか、もんもん。
乏しい頭脳がいっそう働かなくなる猛暑だったし、、、
締め切り数日前に焦って書き始めた。(書く時間帯は早朝5時から6時ごろ)
仲間たち一人一人を思い、その個性と農のかかわりを端的にまとめた文章にしてみた。
書き上げたものを送るときは、ドキドキしつつも開き直っていた。
書き直しも覚悟しつつ、「こういう書き方、どうでしょうか?」と、送った。
すると、
「石田さんらしくて、学会の原稿ぽくなくて、良いと思います。」というレス。
そして、数日後に、「完璧です。」と、一部字句修正のみで通った。
ホッとして、嬉しかった。

吉田さんは、「あのNHKの番組をまた見てみたい」と言ってくれていた。
「DVDがあるのでお貸ししましょう」と言いながらグズグズして8月の半ばに渡した。
(番組は4回だったが、2回分しかDVDが見つからなかったこともあって、、、)
NHKよりも10年近く前の東急CATVの「みず・つち・グリーン」もお渡しした。
早速、見てくれて、「感慨深かった」「沢山の笑顔が最高」と感想メッセージ。
FBでも「僕の「農福連携」の出発点となった横浜の「グリーン」」と紹介してくれ、
「みんなで農業をする楽しさが画面に」と、
「これからも、何かに迷ったら、この映像を見ようと思う」とまで、書いてくれた。
私自身は、もう10年も20年も前のことだし、
NHKはその取材姿勢や番組作りがどうもステレオタイプすぎてしっくりこなかったし、
CATVは、番組を企画したH氏と散々呑んでプッシュしてもらったのだが、
ガンで若くして亡くなってしまったことも悲しく、、、
自分自身、今はグリーンと疎遠(?)になっていることもあって、
過去を振り返ることを潔しとしないし、、、
番組に現れている世界には遠いように思っているのだが、、、
吉田さんの再評価はウレシかった。

大江さんからも、吉田さんからも、ウレシイことをいただいて、
結果として、「のらぼう」で相談したいと思っていたことが、
いつの間にか前に進んだ、かもしれない。

それが、どういうことか、は、また、次回以降に、、、

追伸
今日(8/31)、またウレシイことがあった。
最近関わり始めた「寺家ハーベスト」の古民家でのミーティングで、、、
、、、これも、次回以降に少しずつ詳しく書いていこう。

石田周一