寄り道77 今さらコミュニティづくりや居場所づくり?
2026.1.1雨の日も里山三昧
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宮内泰介編『コミュニティを実践すること―私たちはコミュニティに何を求めているのか』が新泉社から出ました。
「コミュニティ実践」という言葉が気になる方、サブタイトルの問いに興味がある方は、ぜひお読みください。
私は、「自分を生きるために選ぶフラットな関係性―移住者たちのライフストーリーから読み解く「コミュニティ」の意味」というコラムを寄せています。
南房総と南足柄の移住や二拠点居住などを扱っています。
調査にご協力くださった皆さん、どうもありがとうございました。
宮内さんが代表を務める科研費プロジェクトには、2007年頃から参加し続けてきました。
4-5年ごとに成果物が出版されてきたので、私が関わったのはこの本で4冊目になります。
そして、これが宮内科研に関わる最後の仕事になると思います。
どの本も、読んで面白いし、学術的にも意義があったと思います。
素敵な本づくりに参加できたことは財産です。
宮内さんには感謝しかありません。
ありがとうございました。
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最初に、私がFacebookに投稿したメッセージを転載した。
刊行されたばかりなので、この本がどのように読まれるのかわからないけれど、本書に通底する問題意識はとても重要だと思っている。
これまでのコミュニティ論では、コミュニティとは何かとか、コミュニティはどうあるべきかという問いに議論が集中し、ややもすると、コミュニティの実態から離れた机上の空論になりやすかった。
宇野常寛『庭の話』は、コミュニティ論として重要な論点を差しだしているが、前にコラムに書いたとおり、実際に人びとが生きる世界のリアリティに迫ることができていない。
コミュニティの実態に即して、地に足をつけて議論するためには、現実の社会の中で、「コミュニティ」という言葉がどのように使われているのか、「コミュニティ」という概念によって何を表そうとしているのかを、把握することが基盤となるだろう。
もう一つ大事なことは、コミュニティは名詞だけれども、これを静的に捉えるのではなく、動的に捉えることを提唱していることにある。
つまり、コミュニティとは、○○自治会に入っている世帯数などで捉えるのではなく、コミュニティをコミュニティたらしめている、年中行事的に開かれる夏祭りなどのイベント、ご近所同士のあいさつといった日常的な実践の束にまなざしを向ける。
このようにして、さまざまなコミュニティ実践に着目することにより、私たちが「コミュニティ」という言葉にどのような意味を付与しているのかを明らかにできる。
さて、このようにコミュニティに迫るアプローチの手法を携えたのはよいけれど、私はコミュニティをどう考えているかというと、全然まとまってはいない。
そこで、このコラムの中で、書きながら言葉にしていこう。
まず、私としては、コミュニティあっての個人という考え方よりは、個人あってのコミュニティという考え方の方がしっくりくる。
もちろん、個人は社会関係の中でしか個人ではありえないので、両者は入れ子構造になっているという見方が適切だろう。
それでも、コミュニティは捉えることが難しいので、ひとまず個人を軸にして考える方が考えやすい。
一方で、個人だけでは社会生活を送ることは困難である。
ここで、経済人類学者のカール・ポランニーが述べた3つの交換様式、すなわち、互酬、再分配、交換が優占する領域として、社会(コミュニティ)、国家、市場を想定してみよう。
とても、国家と市場だけでは、私が思う豊かな暮らしはできないと思われる。
だから、良いコミュニティの中にいたいし、それを切実に欲しているからこそ、自分からつくりたいと思う。
私は、NORAをはじめ、いくつかのNPOやボランティア団体の運営に関わっているが、たとえば、各団体の会員メンバー=所属コミュニティ、とは考えていない。
NPOは、活動をおこなうための制度と捉えており、ビジネスライクに付き合うことも多い。
フラットな組織運営を志向するならば、むしろその方がよい。
また、コミュニティを無条件に良いものとも思っていない。
そんなに簡単に、良いコミュニティをつくれるとも考えていない。
自分が楽しんでいるのは、良いコミュニティとは何かを考え、それに向けて試行錯誤していくプロセスなのであろう。
現在、私が取り組んでいる具体的なコミュニティづくりは、3つある。
1番目は、NORAの「はまどま」を拠点としたコミュニティ。
これは、「はまどま」を「街なかの里山の入り口」として、みどりの少ない横浜市南区にあっても、「里山とかかわる暮らし」につながるコミュニティができたらと思っている。
2番目は、故・中川重年さんが七沢に遺した家やクラブハウスを拠点としたコミュニティ。
これは、表丹沢の里山の近くに、実際に農作業や山仕事に携わり、得られた自然の恵みを生かして、現代的な里山暮らしを実践するコミュニティができたらと思っている。
3番目は、あと1年ほどで閉学となる恵泉女学園大学のレガシーを生かすコミュニティ。
これは、NPO法人Life Lab Tama(ライフラボ多摩)の活動として、大学が町田市小野路町に有する有機農場や、お米を作ってきた谷戸田や周辺の雑木林などを、新しい担い手を誘いながら持続的に保全活用していくコミュニティができたらと思っている。
これらに加えて、町田市と市内の農家や事業者・NPOなどが連携し、市内のみどり(公園、農地、里山、街路樹など)について、ウェルビーイング(心身の健康と幸福、社会的なつながりの充実)と調和した暮らしやまちづくりに活かしていく「まちだみどり活用ネットワーク」にも関わっている。
この団体は、これまで町田市から事務局の運営に対して経済的な支援を受けてきたが、今年度で打ち切りとなることから、この3月にNPO法人化して、できるだけ自立的に組織を運営していくことになった。こちらも、互酬的な関係の占める割合が大きく、ネットワーク的なコミュニティづくりだと捉えている。
このように今までも取り組んできたことではあるが、今さらながら、コミュニティづくりや居場所づくりに取り組んでいる。
ただし、現在の取り組みは、今日の社会に対する危機意識からの実践という側面が強い。
社会的な分断が広がり、いじめや差別が横行し、公共的な議論が成立しなくなり、何か物事を科学的に捉えて、論理的に考えるというリテラシーが役に立たなくなっているという怖さを感じている。
これから、どのように社会を立て直せばよいのか、どうすれば豊かな社会をつくることができるのか、道筋がほとんど見えないために、絶望的な気分になる。
そんなとき、私ができることは、自分を基点としたコミュニティづくりであり、居場所づくりなのだと思う。
そこに確かな手応えがなければ、浮遊した気持ちになり、不安が高まるだろう。
そして、私のコミュニティづくりでは、現代社会を俯瞰したときに見えてくる問題を、解決していきたいと強く思う。
あらゆる命が尊重され、議論を尽くすなかから公共性が立ち上がり、科学や論理が適切に役立つそういう社会をつくりたい。
それは、すぐに国家単位でできることではないだろう。
だから、まずは小さいところから、本当に小さいところから始めたい。
ここから始めるしかないと思う。
(松村正治)
(松村正治)
