寄り道75 違う今を生きる、最後まで見届ける

2025.11.1
雨の日も里山三昧

この3か月くらいの間に観賞したり参加したりした企画のなかで、
印象深かったものをいくつか取りあげて、
考えたことや感じたことを書き残しておこうと思う。

まず、挙げてみると、

  • 広島市現代美術館「記憶と物―モニュメント・ミュージアム・アーカイブ」
  • 東京国立近代美術館「記録をひらく 記憶をつむぐ」
  • 新国立劇場『焼肉ドラゴン』(作:鄭義信)
  • ソニーイメージングギャラリー「西野嘉憲作品展:島に根を張る」
  • 町田市立国際版画美術館「アジアの版画運動:近代と現代の2つの渦」(町村悠香)
  • 能見台通町内会館「既存の草地を活かす:7年の変化 のはらとコミュニティ」(主催:よこはまseedlings、協力:のはらぐみ 谷津坂第一公園愛護会)

 

私が学んできた社会学では、しばしば「当たり前を疑え」と言われる。
私たちが生きる社会について深く考えるためには、私の認識や思考のクセを、いったんカッコに括ってみる必要があるからだ。
「普通」とか「当然」などと思われているものの見方や考え方に対し、それとは異なる別の見方や考え方があることを示し、「今・ここ・私」の常識を問い直すことを大事にしている。
この学問の核心的な問題意識と共通性を感じるのが、一部の現代アートに触れるときである。
どちらも、自明性を揺さぶることで、私たちが生きる社会を別様に見せる効果がある。
今の社会に奥行きや広がりやしなやかさを与え、その中で生きる私たちに豊かな自由をもたらすことがある。

さまざまなアート表現のなかでも、社会学的な関心と歴史実践(doing history)の交わるところに、私が深掘りしたい領域、パブリックヒストリーがある。
『パブリック・ヒストリー入門』の編者の一人・菅豊さんによれば、パブヒックヒストリーとは、「専門的な歴史学者が非専門的な普通の人びと、
すなわち『公衆(the public)』と交わり、その歴史や歴史の考え方に意識的、能動的に関与する研究や実践」と定義される。

今を生きる私たちが歴史をどのように調べ、解釈し、表現するのかという問題は、私たちが、今とこれからをどう生きたいのかという問題と相関する。
過去から現在までの関数に従い、その延長線上に未来が規定されるわけではない。
「これからがこれまでを決める」のである。
現在の社会に不満を感じているとき、違う今を生きようとするとき、これまでと異なる歴史解釈が生まれてくるのは当然である。
なかには、歴史解釈の修正を提案したり、過去の事実が改ざんされたりすることもある。

私たちは、ヒストリーウォーズの最中に生きている。
ネット上に溢れる乱暴な歴史実践にふれるたびに、嫌な気持ちになる。
かたや、歴史の修正を糺そうとする人たちもいる。
近年の社会の趨勢について、「戦前に戻る」と警告を発している人たちがいる。
その意図は理解できるが、その単純化した物言いも乱暴すぎると感じる。
タイムラインに流れてくるツィート、短いメッセージ、シェアされているネット記事を読んでも物足りない。
大事なことを考えるには、きちんと人と向き合い、社会なるものを掘り下げる時間が必要だ。
ファストに済ませることはできない。
しかし、一人で考えるには荷が重い。
そこで、他人の表現から何かヒントを得たり刺激を受けたりしようと思い、パブリックヒストリーの主要な実践場である博物館・美術館等に足を運ぶ。
そして、歴史的な文脈に自らを置いてみて、私たちが今生きているこの世界とは違う今がありえたことを想像し、そのとき何ができたのか、今何ができるのかを考える。

今年の夏、たまたま取材目的で広島を訪れる機会があった。
アジア太平洋戦争に敗れ、戦後80年を迎えた今、被爆地の広島でどのような歴史実践が見られるのか興味があったので、取材日の際に立ち寄れる場所を事前に調べ、広島市現代美術館を訪ねた。
企画展「記憶と物」(2025年6月21日~9月15日)の概要を読んだところ、パブリックヒストリーそのものだと思われたからである。

会場に入ると、海軍大臣・内閣総理大臣を務めた広島出身の軍人、加藤友三郎の銅像をめぐる歴史が説明されていた。
1935年、博物館のある比治山公園に元帥刀に手をかけて立つ銅像が建てられたが、戦時中に金属類回収令で供出、石造の土台部分のみが残っている。
2008年、市内の公園にフロックコート姿の銅像が新たに建立され、2020年には呉市内に呉鎮守府司令長官当時の大礼服姿の銅像が建立された。
いつ、誰が、どのような姿の銅像を建てたのかをたどることで、その時々の加藤友三郎やアジア太平洋戦争への向き合い方が見えてくる。
さらに、「過去との対話」と題する招聘アーティストによる作品群では、それぞれの視点から歴史的な事実や記憶を調査し、映像、絵画、立体、パフォーマンスなどが創作されおり、歴史実践の多様性に触れることができた。
多くの作品は原爆投下後の広島の復興を含む戦争にまつわるものだったが、最後のパートでは、小森はるかさん+瀬戸夏美さんによる東日本大震災をテーマとした作品が展示されていた。
ライフヒストリーの語りを記録し、会場でシェアするという作品は、歴史実践であり、社会学実践でもある。
こうした作品を眺めたり手に取ったりしながら、自分の震災以降の過ごし方を振りかえり、あらためて、表現をかたちにしたいと意欲が高まった。
なお、10月には東京都美術館の企画「つくるよろこび 生きるためのDIY」(2025年7月24日~10月8日)で、ふたたび瀬尾夏美さんの作品に出会った。
瀬尾さんのアプローチは、学術的にはナイーヴに見えるかもしれないけれど、私たちが見落としがちなこと、疎かにしていることを丁寧にすくい出している。
だから、震災から14年が経過した現在の社会に求められているのだろう。
若い人の創作表現から学ぶことは本当に多い。

東京国立近代美術館「記録をひらく 記憶をつむぐ」(2025年6月21日~9月15日)は、戦後80年にふさわしい企画展であった。

『「戦前」の正体:愛国と神話の日本近現代史』(2023年、講談社現代新書)などの著書を読んでいた辻田真佐憲さんが、7/17のXにこうツィートしていた。
「地味なタイトルだけど、事実上のプロパガンダ美術展だった。行ったことある場所についてあらためてみると、取材が行き届いているなと感心。」
はたして、内容は圧巻といってよかった。
入場して次々に目に飛び込んでくるのは、戦時中に軍の委嘱によって描かれた戦争画、すなわち「作戦記録画」である。
戦後米軍に接収され、その後日本に戻されたこれらの絵画は、当館に153点所蔵されているらしいが、そのうち24点が展示された。
これは一度のまとまった公開点数として戦後最多規模だという(→作品リスト)

このため、たしかに「プロパガンダ美術展」としての側面は強いが、戦争協力に関わった画家たちの責任を追及することが、本企画展の目的ではない。
実際、有名な戦争画の一つ、藤田嗣治「アッツ島玉砕」と対峙したときは、激烈な感情が冷たく押し殺されてキャンバス全体に充満している迫力に圧倒された。
また、戦争画を描いたのは男性だけではなく、女性画家も協力していたこと、さらに、当時全国を巡回した戦争画展には国民が押し寄せたことなどにも触れる。
戦争画を鑑賞する見方を揺さぶり、戸惑わせる。

もっとも、本企画展の見所は、第1~5章の戦争記録画だけではなかった。
そうした部分は、織り込み済みだったので、むしろ、第6~8章の戦後に描かれた作品から、思いがけず強い印象を受けた。
たとえば、広島の原爆投下直後の様子を想起して描いた絵画。
その中に、留学生が被爆したことも片隅にきちんと描かれている。
ベ平連が『ワシントンポスト』の一面を使って「殺すな」と訴えた戦争反対の意見広告。
岡本太郎が憤る感情を筆先に集中させて描いた文字の力強さに打たれる。
また、戦中に戦争画を描き、戦後は草屋根の民家を描き続けた向井潤吉の絵画や、戦中の戦争協力について終生その責任と向き合った画家の発言など、戦争画のその後についても展示されており、パブリックヒストリーの好例だと感じた。

SNSでは、このように企画者の力が入った充実した展示内容であるのに、チラシ、ポスター、図録などがなく、目立たぬように開催されたことも話題になった。
タイトルも、「戦争」という文字は意図的に外されたに違いない。
「作戦記録画」を展示することの難しさが表れているようにも思われたが、この点をきちんと企画側に取材した記事を読むと、その背景に対する理解が深まる。
(→「「チラシ・図録なし」の戦争画展、その真相とは?東京国立近代美術館の担当者に「異例」の対応について聞いた」

この記事の中で、企画側は本展をセンセーショナルなものにしたくないと考え、学術的研究に基づいた表現を鑑賞者に伝えることを企図したため、当初予定していた共催展を取りやめて自主展に切り替えた。
そのために、予算が限られて、図録を作成できなかったという。
また、近年になって「作戦記録」の公開が拡大されるようになった背景として、関心の高まりのほかに、関係者の大半が亡くなったことにより、「冷静に鑑賞や分析を行う雰囲気が醸成されてきた」こともある。
個人的には、こうした同館の考えは理解できるし、良心的なパブリックヒストリーの歴史実践だと感じられた。(とても良い企画展だったので、図録は作って欲しかったけれど・・・。)

2025年は、戦後80周年であっただけではなく、日韓国交正常化60周年でもあった。
これを記念した鄭義信作・演出の『焼肉ドラゴン』が新国立劇場で上演された(2025年10月7日~27日、12月19日~21日)。

2008年の初演以来、数々の演劇賞を受賞した作品で、今回が四演目。
いわば伝説化された作品とも言えるだろう。
私はほとんど芝居を観ることがなくなってしまったけれど、新国立劇場には学生時代に一緒に芝居をやっていた友人が働いていることもあって、SNSはフォローしているし、頭の片隅で今でも演劇の状況は気にしている。
今年の公演をもって本作の締めくくりにすると知り、この芝居は観ておきたいと思って劇場へ足を運んだ。

ロビーで誰かと親しげに話している友人を見かけたので近づくと、その友人が驚いたような表情を浮かべてから、私のことを話し相手に「仲間、仲間」と紹介してくれて、無性に嬉しくなった。
テンションが上がったまま会場に入ると、舞台上ではパフォーマンスが始まっていた。
開演15分前であったが、これから始める芝居の導入として、1970年頃の関西地方で在日コリアン一家が営む焼き肉夜の雰囲気を作りだしている。
内容は、お見事というほかないような傑作。
終演後は、客席総立ちで拍手がしばらく鳴り止まなかった。
あらためて芝居はいいなと思い出させてくれた。

脚本や演出、役者の演技などが素晴らしいのは前提として、パブリックヒストリーの観点からも興味深い作品であった。
本作はフィクションだが、伊丹空港に隣接する旧中村地区がモデルとなっている。
この地区は、戦前から朝鮮半島出身者が飛行場建設のために集い、戦後は在日コリアンとして留まって集落を形成していた。
登記上は、空港の敷地内で国有地にあることから、政府は不法占拠であるとして、長らく立ち退きを要求していた。
この問題は、環境社会学でも、三浦耕吉郎さんや金菱清さんの調査研究で知られる。
作品の中では、1971年に転居したように描かれているが、全世帯の移転が完了したのは2009年のことだ。
この経緯については、金菱清『生きられた法の社会学:伊丹空港「不法占拠」はなぜ補償されたのか』(2008年、新曜社)に詳しい。

また、舞台上のラジオから流れる音楽や台詞の端々に、当時の時代背景が各所に散りばめられており、リアリティを伝えるとともに、歴史を表現する場ともなっている。
1970年は大阪で万博が開催された年であった。
登場人物たちが日帰り旅行に出かけ、興奮気味に帰ってくる様子も演じられる。
私たちの暮らしを覆っている大事な問題に向き合うよりも、みんなで盛り上がって楽しもうという雰囲気が、先日終わった2025年の大阪関西万博にも似ているようで、歴史が繰り返されることを見せつけられた。
「地上の楽園」を夢見て北朝鮮へ帰還する夫婦の姿からは、その後の歴史を知っているために切ない気持ちになる。

脚本家の鄭さんは、在日コリアン家族の悲喜こもごもをエンターテイメントとして描きながら、その背景にある日本国家からの排除、高度経済成長にわくマジョリティ社会からの落差も表現する。
ただし、この作品は在日コリアンを取り巻く社会問題を糾弾する怒りではなく、社会の片隅で、家族の幸せを願い、働いて、働いて、働いてきた人びとに対して、その人生を力一杯に抱きしめるような愛が伝わってくる。
良いとか悪いとか、正しいとか間違えているとか、そういうことよりも、懸命に生きてきた人がこの社会にいたのだという事実を確かめ、それを知った限りは、私は忘れないという決意のようなものを感じる。
ラストシーンで、家族はそれぞれの道を生きていくことになり、最後に舞台から主人公の夫婦が退場すると、焼肉ドラゴンのあった場所には誰もいなくなる。
このとき、鄭さんはその場所にいて、登場人物が去って行くのを見届けながら、その光景をしっかりと目に焼き付けているかのように感じられた。

時代が移り変わり、まちの景色も移り変わる。
人はその変化に憤ったり戸惑ったり、否応なく受け入れたりする。
そこにあったものが跡形もなくなると、まちの歴史が忘れ去られ、人びとが生きた事実も消えてしまう。
鄭さんは、その自然な成り行きに抗い、愛とユーモアを持って、在日コリアンの家族史・地域史の一端をパブリックヒストリーとして見せつける。
見終わったとき、私もこのように歴史を描きたいと思わされた。
最後まで見届けたいと思った。

「西野嘉憲作品展:島に根を張る」は、西野嘉憲さんの写真集『島に根を張る:石垣島上由台灣人墾殖的村莊』(2025年、立夏書房)の出版記念イベントであった。
この写真集は、台湾人が石垣島に入植・開拓した嵩田集落の人びとと、そのコミュニティ史を表現している。
写真展のことは、台湾-八重山の関係史に詳しい松田良孝さん(ジャーナリスト、元八重山毎日新聞記者)のSNSで知った。
当日は、嵩田集落のリーダー的存在である島田長政さんも石垣島からお見えになって、ゲストとしてお話しされるという。
東京でこのような機会は滅多にないので、銀座まで足を運んだ。

このイベントをきっかけに西野さんのこれまでの仕事を調べたところ、
この写真集を出されたご自身の出版社、立夏書房のサイトが見つかった。
そこで、昨年話題になり、私も持っている山城久雄さんの絵本『海にいきる』(第45回沖縄タイムス出版文化賞・児童部門賞受賞)が、立夏書房から出版されていたことに気づいた。
熊猟や捕鯨の写真集も出しており、目の付け所の良さに感心した。
サイトのサブタイトル「地域の自然史と生活史を記録する」もいい。

当日、この写真集を購入した。
まず、装幀が格好良い。
中を開くと、選び抜かれた写真を見入ってしまう。
そして、嵩田で暮らす台湾移民にフォーカスした個人史の文章もよい。
あまりに素敵で、惚れ惚れしてしまう。

イベントでは、聞き役の松田さんが、西野さんの話を引き出す役割なのだろうと思って構えていたが、西野さんがせっかくだからと島田さんに語ってもらうように促したので、メインは島田さんのライフヒストリーとなった。(→松田さんのブログ「今、感謝している」 平凡な言葉の向こう」)
地域の人びとと自然のかかわり、暮らしが急速に変化している現在、一人ひとりに向き合って、丁寧に歴史を残している西野さんの存在は、同じ年の私にとって大きな励みとなる。
なお、嵩田集落の台湾移民については、今年出た廣本由佳『パインと移民』(2025年、新泉社)に詳しい。

以上がパブリックヒストリーに直接的に関わる話しで、残りの2つは、私が挙動を注目しているおふたりの企画であった。

1人目は、町田市立国際版画美術館学芸員の町村悠香さん。
2022年に町村さんが担当した企画展「彫刻刀が刻む戦後日本─2つの民衆版画運動」が圧倒的で、それ以来、いつも新しい企画を心待ちにしている。
3年前、戦後日本社会に浸透した戦後版画運動と教育版画運動について教えられ、大げさに言えば、世界を見る目が変わった。
私が取り組んできた社会運動も教育も、ともに版画と深く関係していたのだ。
別々な流れとして見ていたものが、それらの関係を知ったことによって、なぜ社会運動のポスターに版画が多く使われたのか、なぜ私は学校教育で版画を学んだのかなど、いろいろと合点がいった。

今回は、町村さんの本領が発揮される企画展ではなく講演会ではあったが、それでも十分に満足できた。
町村さんは、浮世絵などの日本の版画を扱うときでも外国との関係に言及し、グローバルな版画史の文脈をきちんと抑える。
また、過去の版画を扱うときでも、現在との関係を意識して、可能な限り、対話の回路を開こうとする。
美術館とは、昔の名作を収集して陳列する場所ではないことをありありと感じさせてくれる。
優れたキュレーターとしての視点に信頼がおけるので、企画にふれること自体がとても気持ちいい。

講演の中心は、日本よりも東南アジア、中国などの版画運動であった。
アジアでは、各地域で、民主化運動、自立運動、文化運動等が盛んであり、運動を広げるツールに版画が活かされている。
日本の版画運動の場合、過去形の話が多くて現在との接点が弱かったが、アジアの場合は現在進行形であり、社会を変えるために
版画が生き生きと作られている。
講演の中で、50メートルに及ぶ版画絵巻を作るマレーシアでのワークショップの映像を見た。
なぜか流行っているというkiroroの「未来へ」を演奏し、歌いながら、足で版画を次々に刷っていく様子が映し出された。
版画が制作される場の心地よさが画面から伝わってきて、こうした場づくり自体が現代美術の作品となっていることが理解できた。
アジア、社会運動、版画の関係が、めっぽう面白かった。
また町村さんから、良い視点をいただいた。

この講演会が開かれた2025年10月25日の午前中、私は能見台通町内会館にいた。
平工詠子さんは、ナチュラリスティックなデザイン、管理で有名なガーデナーさん。
私は園芸教育に力を入れてきた恵泉女学園大学にいたので、園芸の魅力や可能性について考える機会が多く、近年の世界的なガーデニングの自然回帰についても強い関心を持っていた。
花壇ボランティアは、植物を扱うボランティア活動という点で、里山保全ボランティアと近い。
しかし、花壇ボランティアは、一年草を主体とした構成で、植え替えと抜くい取りを繰り返し続ける活動が多く、人間が植物に介入していく力が強くて、植物の力を引き出すようなかかわり方が弱いと感じている。
私が里山保全活動に惹かれたのは、正解のない人と自然の関係のあり方について探り続ける面白さにあった。
だから、花壇ボランティアには距離感を覚えていたのだが、ナチュラリスティックなガーデニングでは、宿根草や多年草を生かしたり、枯れてもその姿を見せたりする。
それはまた、持続可能性が求められる時代にふさわしい園芸でもある。
こうした考えから、私は平工さんというガーデナーに注目していた。

1年ほど前に、桜木町で一度お目にかかる機会があったけれど、かねてから能見台の現場に行ってみたいと思っていたところ、これまでの活動をふりかえるお話が聞けるというので参加してみた。

平工さんは、いろいろな現場を持って仕事をされている一方で、7年前、谷津坂第一公園に仲間とともに愛護会を立ち上げ、草を生かす公園づくりを実践されてきた。
海外のナチュラリスティックガーデンの動向を紹介するのは誰でもできるが、実際に自ら愛護会を作り、ボランティアメンバー「のはらぐみ」を集めながら、理想と現実の狭間で試行錯誤されてきた実践の蓄積は重みがある。
一般には雑草が生えているだけのように見られる「のはら」に、美的な、または環境的な価値を付け足しながら、私たちの環境観を変えていく試みだから、とてもチャレンジングな取り組みだ。
それを、できるだけ楽しく軽やかにおこなっているところが素敵だ。
横浜では2027年に国際園芸博が開かれるので、この大規模なイベントを通して、少しでも自然やコミュニティの力を生かす
取り組みが広がるといいなと思う。

(松村正治)

雨の日も里山三昧