第107回 釜飯仲間・おこげのお話

2017.11.30
神奈川・緑の劇場

『釜飯仲間=おこげのお話=』
~神奈川の農業と食べ物のこと・生産者に寄り添って30年~

 「四八さんよぅ、いい若い衆が入ったじゃねえかぁ。」

42年前の新宿・淀橋青果市場で八百屋仲間から声をかけられたジャンギャバン似を自任するオヤジは、ニタッと笑うと私を見た。“いい若い衆”とは、私のことだ。まずは褒められているらしいから、ホッとした。が、なんとなく居心地の良くないものを、あのオヤジの笑顔から感じたのだった。

悪い予感はあたっていた。

オヤジが競り落とした野菜を大八車に積んで駐車場に停めてある2トントラックまで運んで積みかえる。そんな仕事にも慣れてきたある朝、

「おう、この帽子(青果市場の登録番号が付いている。)をかぶってなあ、あの野菜(野菜が何だったか、思い出せない。)を競り落としてこい。」

と、指の形を教わる。教わったとおりやればいいという。後にも先にも、“セリ”を経験したのは、この時だけだ。

この時だけ、になったのは、もともと昼からの劇団の稽古の前にできるアルバイトとして就いた職場だ。なのに、“いい若い衆”を見込んで、私を八百屋に仕込もうとしたのだ。感謝しなければならない。が、それは無理な話だった。八百屋になるためには、午前だけの仕事で良いわけがない。

たぶん、私はきっぱり断ったのだと思う。ジャンギャバンの機嫌をすっかり損ねたことは言うまでもない。

野菜の価格は、どうやって決まるのか?

市場での競りは、長年の経験に裏打ちされて決まっていく。市場を通さない、いわゆる産直・市場外流通でも、市場での相場が参考になっている。産直生産者の中には、市場流通を全く経験したことのない人も少なくない。一方で、いわゆる仲卸の役割を担う部署の人間も、市場経験を持たない中で、価格を決定しなければばらない。

市場価格の形成には、規格基準が大きな役割を持つ。産直・市場外流通でも、独自の規格・基準を設けて価格形成に活用する。

生産者にとって、初めての市場出荷は忘れがたい。いい品物がたくさん収穫できた。豊作だ。良かった。勇んで出荷!その日のうちに自分の出荷した野菜の値が知らされる。目を疑う!たったこれだけ?!

天候に恵まれ豊作になった作物は品質も良い。工業製品ならば品質が良ければ高値で取引されるではないか!?

野菜は、豊作では値がつかない。不作で品質不良の時の方が、高値が付いたりする。市場出荷では、生産者は自分では価格を決められない。

自分が育て収穫した作物に自分で値付けをすることは、生産者にとって大変革と言っても良いことなのだ。

ところが、産直・市場外流通では、注文を受けて出荷する形式が多く、豊作の時には、品物が余ってしまうし、不作の時には品物が足りなくなる。ちょうど良いことなど、無いと言ってよい。

市場では、原則的に生産者が出荷する品物を拒絶することはできない。そのように法律・卸売市場法で決まっているのだ。たとえ、値が安くとも出荷はできる。産直・市場外流通では、生産者は自分で余った野菜の売り先を探さなければならない。見つからなければ・・・。廃棄することもたびたびだ。

産直・市場外流通では、出荷した翌月末入金など、すぐには入金されない場合が多く、市場出荷では数日で入金される。運転資金を必要とする生産者には大切なことだ。

年明けの通常国会提出を目指して「卸売市場法」の抜本的な見直しが始まっている。規制改革の一環であり、大手資本に有利な見直しと言われ、生産現場では困惑が広がっているという。

民間でも中央卸売市場を開設できるようにする、とか、生産者が農産物を持ってきても受託を拒否できるようにするということも検討されている。

農産物の流通を生産者・消費者双方にとって、わかりやすく透明性の高いものにしたい、と様々に試みられてきたのが産直運動だった。その多くは生協運動とともにあり、安全で美味しい農産物の流通を促してきた。が、流通コストの削減によって低価格が実現できたか、というと必ずしもそうではない。

市場流通は、課題もあるが、低コストで流通できる合理的な仕組みでもあったのだ。それが、揺らいでいる。

生産者・流通・消費者それぞれにとって、より良い流通の有り方が議論され、時代の変化とともに社会の制度や仕組みも変わっていかなければならないだろう。が、実態は、大きな資本をさらに太らせるために小規模な生産者や、町の小売店、一般消費者が犠牲になっていくように思えてならない。

すべての国民生活に深く関わることなのに「卸売市場法」の改変について、全くと言っていいほど報道されていないように見える。

(2017年11月30日記   おもろ童子)