第120回 門田岳久『宮本常一 〈抵抗〉の民俗学』
2024.4.1雨の日も里山三昧
門田岳久『宮本常一 〈抵抗〉の民俗学: 地方からの叛逆』(2023年、慶応義塾大学出版会)
今月から、NORAの立ち上げメンバーの1人で、佐渡に移住して20年以上になる十文字さんが、新しいコラムを書き始めることになった。
この機会にかこつけて、今回のコラムでは、佐渡での長いフィールドワークとアクションリサーチをもとに書かれた本書を取りあげたい。
タイトルから、本書を宮本常一について論じた本だと思って読み始める人がいるだろうが、著者が断っているように本書は宮本常一研究ではない。著者の意図とタイトルとの関係を私なりに解釈すると、本書は宮本常一の視点を借りて社会実践のあり方を問い、抵抗の民俗学の可能性について考える本である。
それでも、最近の宮本常一研究を追いかけていなかった私からすると、最近の研究がざっとレビューされているのでありがたかった。私が学生の頃は、アカデミックな民俗学で宮本常一がまともに議論されることは少なかった。それは、宮本民俗学の方法論が、当時のアカデミズムには受け入れられなかったからのようだ。
たとえば、宮本常一の代表作『忘れられた日本人』の文章には、調査で得られた事実とは異なる脚色が含まれていることは承知している。でも、私は宮本の作品を、事実かどうかを吟味しながら読まなかったので、ただ引き込まれるストーリーと文体に感心しただけで満足だったし、それで十分よかった。しかし、アカデミズムにおいては、「民俗文化の不易不変を強調する論証不十分な学者」という見方が支配的だったようで、その評価も妥当であったと思われる。
しかしそのために、宮本常一について語ることは、おのずとアカデミズムのあり方について語ることにもなりやすかった。たとえば、私が環境運動を通して出会った体制に批判的な年輩者の中には、宮本ファンであることをはばからない人が少なくなかった。そういう「信者」は、宮本常一の名前さえ出せば、何か反権力的かつアナーキーな姿勢を示しているかのような口ぶりだった。
このように神話化されがちな宮本常一について、最近は丁寧な調査研究が進められてきた。そして、研究者としても実践者としても、良い面もそうでない面もあったし、成功したことも失敗したこともあったとわかってきた。
身も蓋もない話であるが、事実を明らかにすることは学問の良いところである。
タイトルに佐渡という地名が入っていないが、十文字さんのような佐渡の人からすると、島の観光開発や地域づくりの現代史をつかむには良いテキストである。
実際、十文字さんはfaecebookに次のように投稿していた。
「あとがき含めて400ページ近い。佐渡を通じて宮本常一が、宮本常一を通じてその頃の佐渡が、とても丹念に描かれています。その頃の佐渡とは今に至る前史。参考文献欄も充実。…
読んだ人、三人集まれれば読書会、いかが?」
宮本常一による佐渡への実践的な介入は、鼓童(太鼓芸能集団)とアース・セレブレーション、宿根木の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)など、現在でも多くの人びとを引きつける観光資源の形成につながっている。しかし一方、結果から見ると、多くの失敗の痕跡も佐渡には数多く残されている。これも身も蓋もない現実である。
私は、本書によって初めて宮本がどのように離島振興にかかわり、どのように佐渡に介入していったのかを知った。私は十文字さんが移住してから何度か佐渡に足を運び、これまでの観光開発や地域振興がどのように進められてきたのか、そこに宮本常一がどのように関わっていたのかを想像していた。はたして、本書で知り得た宮本が佐渡に及ぼした影響は、全体的には功罪含めて想像していた範囲内であった。
宮本は、民俗学の視点から地域住民を代弁し、その声を政策形成に生かして「離島性」の克服に向けた制度設計に関わった。その結果、インフラ整備や文化財保護は進んだ。しかし、「中央-周縁」の格差を解消するために「周縁」に手厚く補助金を再分配したことは、自律的に経済活動を作りだす動機付けを弱めた。そこで宮本は、ハードではなくソフトに期待し、自律的な地域づくりを牽引するリーダーの育成に心血を注いだ。「中央」の制度をうまく飼い慣らしながら、「周縁」が内発的に発展していくことを地域住民に託した。
ところが、地域づくりに外側から積極的に介入すれば、地域の自律性が損なわれやすい。主体化を促すことの困難は、教育的なアプローチ全般に内在する問題であり、佐渡でもこの困難は克服できなかった。これもまた当然の話であろう。
もっとも、「中央」と距離をとって「周縁」の佐渡で自律的に動いた例はあるし、宮本とは違って複数の民俗学のアプローチから地域づくりを進めている例もある。本書で取りあげられている佐渡新空港建設反対運動や、三里塚闘争に関わっていた元運動家による民俗学の実践などがそれに該当する。これらは、宮本と佐渡の関係岳に焦点を当てるならば、サイドストーリーに過ぎないが、こうした事例にこそ著者の独自の視点が表れている。そして、大きな物語に回収されまいとする著者の気概が感じられる。
地域社会は、一枚岩ではないし、時代とともに大きく変化していく。だから、宮本との関係を軸にするだけでは説明し尽くせない。著者のようなフィールドワーカーは、そのことはよく理解しているし、そこにこだわりをもって調査研究をおこなっている。たしかに、宮本が佐渡に及ぼした影響は大きい。しかし、佐渡は宮本常一という巨人よりもはるかに大きい。そうした当たり前のことを、本書はきちんと伝えてくれる。
私は十文字さんのfacebookの投稿に対して、次のようにコメントした。
「読みました!アクションリサーチを実践している人ならば、どこをフィールドにしていても、何かしらを学べたり考えたりできる良い本だと思いました。」
私は宮本常一をアクションリサーチの実践家ととらえた。しかし、その積極的な介入は、地域社会のリアリティを捉えるフィールドワークとスケールが合っていない、地域社会の現実に立脚していないと感じた。フィールドワーカーは、無名な人びとの声に耳をすまし、地域に転がっている小さな物事にこだわる。それは、「中央」で政策を立案するような立場からは目が届かないものである一方で、「周縁」に生きる人びとにとっては大事にしているものである。
私からすると、宮本は自身が依って立つべき「忘れられた」人びと(あえて「日本人」とは言わないが)の声を代弁する立場にあったが、「中央」とのパイプが強まるなかで、自分の願望も実現しようとして、その多くの声の中から意図的に選択した部分があったように見える。
「中央」の力を「周縁」のために使いこなそうとしたところがナイーブであった。「中央-周縁」の権力構造とは、そのときまでの多様な歴史的な文脈によって社会の骨格を形づくり、人びとの考え方やふるまいのありようを強く規定するものである。宮本の社会実践に盲点があったとすると、そうした構造を容易に変えられると考えたことではないだろうか。
この宮本の発想は、「周縁」にとっては外部要因でしかない権力構造に対して、自分であれば主体的に振る舞えるという錯覚に基づいている。この時点で、宮本の実践は、「周縁」の社会の実状に基づくアドボカシーとはズレている。「周縁」の人びとにとって、インフラの整備や地域に誇りを持てるようになることは大きな願いであったに違いない。しかし、そのように都合の良いことばかりを考えていたのではなく、そのような変化に伴う不安、つまり、外部から人材や資本や文化などが入って生活が変わることに対して警戒もしていただろう。後者の不安は、「中央-周縁」の権力構造をリアルに受け止めていた「周縁」の人びとにとって当然の感情である。地域が変わるときに生じる、期待と不安がない交ぜになった人びとの気持ちの揺れを、宮本は簡単に考えていたように見える。
そうはいっても、1960-70年代に、宮本常一が当時のアカデミズムの枠をはるかに超えて、現代にも通じるアクションリサーチを実践していた。そう考えると、その先駆性は高く評価すべきであろう。今日でこそ、さまざまな学問において調査研究とともに社会実践も求められるようになり、民俗学のアクションリサーチも珍しくないので、宮本の民俗学には現代的な要素もあったのである。
実際、宮本が佐渡で取り組んだような地域づくり運動は、地方創生の掛け声のもとで地域の自立性を促す現代の政府の方針と合致している。宮本常一的なアクションリサーチは、中央政府やアカデミズムにとってオルタナティブではなく、むしろ大いに歓迎されているのだ。そのような社会状況のなかで、私たちに可能な「抵抗」の道は残されているのだろうか?
著者は、「もはや道は限られている」が、「周縁に立って「抵抗の実践」としての民俗学を再構築していく」ことは「いまならまだ可能だ」という。
「環境社会学の調査と実践」を標榜する私も、著者に深く同意する。
フィールドワーカーならば、フィールドワークに立脚してアクションリサーチをおこなうことが重要であろう。周縁をフィールドに調査研究を実施し、そのデータや解釈をもとに実践するアクションリサーチは、おのずと<いま・ここ>の自明性を揺さぶり、<いま・ここ>の社会に生きづらさを感じている人びとに力を与えるだろう。
そのような学問を、私は求めていきたい。
(松村正治)