第119回 『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』

2024.3.1
雨の日も里山三昧

『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』(監督:ジュリアン・テンプル)

昨年末、映画を続けて見る機会があった。年末は年賀状を書くのが通例だったが、喪中のためにその時間が空いたためだったか、『プリズン・サークル』『君たちはどう生きるか』『窓ぎわのトットちゃん』などを観賞した。どれも楽しめたけれど、その期間に見た映画の中でもっとも印象に残っているのは、下北沢で見た『シェイン』であった。

タイトルの『シェイン』とは、ポーグズThe Poguesのフロントマン、シェイン・マガウアンShane MacGowanのことである。この映画が公開されたのは2022年。ポーグスが活躍した1980年代後半はリアルタイムでよく聞いていたし、製作がジョニー・デップ、監督がジュリアン・テンプルだから、観るべき映画リストには加えていた。しかし、公開当時は時間を作って映画館まで観に行こうとまでは思わなかった。その後、アマゾン・プライムで観られるようになったが、いつでも観られるからと観ないまま過ごしていた。

ところが、昨年2023年11月30日、シェインが亡くなった。
ここ数年は体調が悪く、7月には集中治療室に入院したことが報じられたが、11月23日には退院したというニュースを読んでいたので、意外に長生きするのではないかとよい方に考えていた。しかし、それは亡くなるまでの時間を自宅で家族とともに過ごすためだったようだ。
12月8日、シェインの葬儀がアイルランドの教会でおこなわれた。その様子をYouTubeで観たのだが、ポーグスのメンバーや親交のあったニック・ケイブが代表曲を演奏したり、ジョニー・デップがスピーチをおこなうなど、シェインが多くの人に愛されていたことがよくわかる素敵な時間であった。

シェインが亡くなったことを受けて、いくつかのミニシアターで追悼上映が催された。
敬虔なクリスチャンであったシェインの誕生日は12月25日。また、ポーグスの代表曲と言えば、クリスマス・ソング「ニューヨークの夢」Fairytale of New Yorkなので、この映画はクリスマス・シーズンによく似合う。私が映画館に足を運んだはクリスマスが終わってからであったが、それでもシェインが亡くなった年の年末に、この映画を鑑賞できてよかったと感じている。

シェインの人生は、映画の題材に取りあげるには打って付けの波乱に満ちたものである。
幼少の頃に酒とたばこの味を覚え、10代後半の間はドラッグとアルコールに依存するようになった。ロンドンのパンクシーンで活動するも、パンクブームが落ち着くと失速。
そこで、シェインは自身ルーツである伝統的なアイルランド音楽とパンクを融合したユニークな音楽を、ポーグ・マホーン(ゲール語で「俺のケツにキスしろ」という意味らしい)というバンド名で始めた。しかし、このバンド名はBBCで問題とされてザ・ポーグスThe Poguesと改名、ケルティック・パンクを代表するバンドとして歩み始めた。
ポーグスが世界的に広く知られるようになったのは、1987年の「ニューヨークの夢」、1988年発表のサード・アルバム『堕ちた天使』If I Should Fall from Grace with Godである。バンドは大成功を収め、ワールドツアーに明け暮れる日々が続いた。その後、4枚目と5枚目のアルバムは出たが、1991年の来日ツアー中にシェインは解雇された。ドラッグとアルコール依存により、バンド活動がままならなくなっていたのだ。
私はこの解雇騒動を知ったとき、シェインが不憫に思われたのだが、映画では解雇されてむしろ救われたようなことを言っており、有名になりストレスフルな状態が続くなかでどうしようもなかったと理解できた。

さて、この映画はシェインの破天荒なライフヒストリーを軸にストーリーが展開していくので、ポーグスあるいはシェインのファンならば誰もが楽しめるはずである。
しかし、このコラムで取りあげることにしたのは、ファン以外の人の胸にもきっと届くいい映画だと思うからである。なぜなら、この映画ではシェインの人生を辿るとともに、アイルランドの現代史、特にイングランドとの関係について描かれているからである。
たとえば、1845~49年のジャガイモ飢饉によって、多数の餓死者を出し、島外への移住が促されたこと。1919~21年のアイルランド独立戦争によって、市街戦もおこなわれ、多数の犠牲者が生まれたこと。さらに、1970年代以後のIRA(暫定派)による武装闘争などである。アイルランド人は、イングランドとの植民地的な関係に抵抗してきた長い歴史があること、そうしたナショナルヒストリーが、短いドキュメンタリー映像を挟みながらテンポよく紹介される。
こうしたアイルランド史が、アイルランド人の民族意識の形成に大きな影響を与えているだろう。シェインも民族史の中に自分の存在意義を見いだそうとしてきた。
子どもの頃を回想して、ベトナム戦争ごっこで遊ぶときはベトコン側に、イングランドと闘うときはIRA側を選んでいたという。そして、自分は勇気がなかったから、IRAに入れなかったと述懐する。
今日、IRAは多くの国からテロ組織と認定されており、指示することはもちろん、共感を公に示すことでさえ、ためらわれる時代に私たちは生きている。一方、イスラエルとイスラム組織ハマスの武力衝突に関しては、ハマスをテロ組織として圧倒的な武力格差のもとイスラエルによるガザでの「虐殺」が止まらない。そのような現実に直面しているからこそ、シェインの率直な物言いにはハッとさせられた。

私はポーグスの音楽を、「ニューヨークの夢」などいくつかの代表曲以外は、ほとんど歌詞を知らずに聴いてきた。この映画には、ポーグスのライヴ映像もふんだんに含まれており、字幕に出る歌詞を見て、初めて歌の内容を知ることが多かった。酒や競馬や愛について歌っていることは知っていたが、それは表面的なことであった。シェインはアイルランド人が受けてきた差別や痛みを、ときに激しく、ときに悲しく歌っていたのだ。そのことを、四半世紀も過ぎてようやく知ることができて本当によかった。

私はクリスマス・ソングが全般的に好きだけれど、マイベストは「ニューヨークの夢」である。この歌詞を読むと、詩人シェインの力がよくわかる。
もっとも、自分の読解力では、シェインの歌詞の深い意味を理解できなかった。ピーター・バラカンが書いた『堕ちた天使』のライナーノーツに歌詞が解説されており、それを読んでこの曲の背景を知ることができた。サビの歌詞は、The boys of the NYPD chore were singing “Galway Bay”「ニュー・ヨーク警察の合唱隊は“ゴールウェイ湾”を歌っている」だが、これはエッセンシャルワーカーを務めるアイルランド移民の境遇を歌っていたのだった。
この機会に、「ニューヨークの夢」の解説文を引用しよう。

これは、それぞれ移民としてアイルランドからニュー・ヨークへ渡ってきた初老の男女が、かつてふくらませていたバラ色の夢を思い出しながら、ついに這い上がることも出来ず、とっくに夢すら持てなくなった暗い現実の中で、ののしり合いつつお互いを必要とし続けている歌だ。最初に出会ったのもクリスマスで、歌っている“今”もクリスマス、そしてリフレインの部分は「ニュー・ヨーク警察の合唱隊は“ゴールウェイ湾”を歌っていて、そして教会の鐘はクリスマス・デイの到来を発表していた」というくだりになっている。“ゴールウェイ湾”はアイルランドの大変有名なフォーク・ソングだが、アイルランド人以外の人間が歌うことはありえない。ということは、ニュー・ヨーク警察の合唱隊の多くのメンバーはアイルランド人である。映画の脇役で必ずと言っていいくらい出るアイルランド人のお巡りさん(最近は『アンタッチャブルズ』のショーン・コナリー)でも分かるように、警察に勤務するアイルランド人は非常に多い。いかにも律儀なイメージだ。その律儀さのせいか、世渡りのうまい感じは決してしない。酒を飲んでどんちゃん騒ぎをし、金が少しでもあれば大穴にかけてしまうのは一般的なアイルランド人像だろう。そして、確かにそれが当たっている場合が多い。この歌の主人公もやはりそういうタイプの人間で、ニュー・ヨークの弱肉協力の世界では無力なものだったろう。
「ニュー・ヨーク警察の合唱隊は“ゴールウェイ湾”を歌っていた」だけの短い言葉によって、これだけ多くのことを考えさせるシェイン・ムガウアンの才能に脱帽してしまう。聴くたびに涙がわいてくる感動的な歌だ。

まったく、シェインの才能に脱帽だ。
その才能がこの世から消えた。
悲しむべきことだが、シェインはたくさんの歌を残してくれた。
シェインは、社会の底辺から人びとの生活を歌い、クソな社会に向かって叫んだ。
私はそれを忘れない。

(松村正治)

雨の日も里山三昧