寄り道68 祈りとしての学術研究とNPO実践

2024.5.1
雨の日も里山三昧

最近、死について考えることが多い。
昨年の夏に母を亡くし、秋には従兄弟が知らないうちに亡くなっていた。
そして、今年の正月明け、義母は緊急搬送され入院後1週間で亡くなった。
正月には妻の実家で和やかに食卓を囲んだのに。
このところ、家族親族はこれ以上にないほどに気持ちが張り詰めていて、
何かの拍子で破裂してしまうような状態で過ごしていた。
その緊張感は時の経過によって薄らいできたものの、
なかなか気持ちが上向かないままである。

人は誰もみな、いつかは死んでしまう。
この生物として避けられない運命に虚しさを覚えることは、
きっと誰にでもあるだろう。
しかし、この動かしようのない事実は変えられないのだから、
これを受け止め、何か生きる意味を探りたいと思う。
身近な人を相次いで亡くしたことによって、
そうした気持ちは以前よりも明らかに強くなっていると思う。

しばしば、人は2度死ぬと言われる。
1度目は肉体が滅ぶことによる死、2度目は人から忘れ去られることによる死。
1度目の死は不可避であり、理不尽である。
義母は心根が優しく、地域のボランティア活動にも献身的に関わり、
家族や自身の健康にとても気を配っていたのに、
容態が悪くなって入院すると、なすすべもなく亡くなってしまった。
神様、そりゃないぜ。
私よりも人間的に素晴らしく、多くの人に幸せを届けられる人びとが、
若くして亡くなったという例を何度も見てきた。
ことほどさように1度目の死は制御不能で、
なぜこの人の命は短く、この人の命は長いのかと、
そこに意味や理由を見いだすことは難しい。
残された者にとって、1度目の死を受け止めるしかない。

1度目の死に比べると2度目の死には、対応のしようがある。
私がその人を忘れなければよい。
私は何か判断に迷うとき、あの人やこの人のことが思い出される。
そう、生きているだけでありがたい。

私は自分のスケジュールをGoogleカレンダーで管理しているが、
この中に誕生日を表示できる機能がデフォルトで付いている。
個人情報として誕生日を入力しておくと、それと紐付けて表示することもできる。
一方、私はお世話になった人の命日を入力している。
その理由は、その人を忘れたくないから、というよりも、
記録しておかないと、すぐに忘れてしまいそうで怖いのである。

私は肉体が滅ぶことは仕方ないと思い、
いつ死んでもおかしくないという構えで生きている。
でも、実際に亡くなってすぐに忘れられたら、それは寂しいだろうな。
だから、自分が人を忘れないようにしているのは、
自分が忘れられたくないという願いと対のようなものだ。

自分ではどうしようもないことだとわかっていても、
こうあったらいいな、変えられたらいいなと思うことがある。
だから、願い、祈る。

生命には限りがある。
永遠の命が欲しいとは思わない。
その代わりに、1人ひとりの命が大事にされる社会に生きたいと願う。
その中であれば、私は心安らかに命をまっとうできるだろう。

しかし、SNS上はもちろん、日常の会話の中にも、
人を人とも思わないような言葉があふれている。
その中にいると、私は不安になる。
そういうときは、心が苦しくなる前に逃げる。

私は学術分野において、環境社会学という学問を中心に学んできた。
日本の環境社会学は、環境問題を扱う諸科学のなかで、
被害者・居住者・生活者の視点から問題に接近する点に独自性があるといわれる。
特に、問題を把握するための枠組みや問題を解決するための制度から
こぼれ落ちる人や情況にまなざしを向け、
常識的な見方に疑問を呈したり別の見方を提示したりしてきた。

そのような方法論が自分にしっくりきたのは、
私が弱者に心を寄せる正義の味方だからではない。
私自身が、社会が準備した枠組みや制度からこぼれ落ちる側、
相手にされず、忘れられる側にいると感じているからである。
自分が切り取られる、社会から排除されるという不安を抱えているから、
忘れてはいけないと自分が思う人やことを記録しようとしてきた。

たとえば、最近では自分がコーディネーターを務めるオンライン講座で
「環境運動のパブリックヒストリー」と題して、
環境運動の当事者の話を聞いて記録に残している。
また、先月は戦後最悪の食品公害と言われるカネミ油症事件の聞き書き集を再出版した。
これらは、1人ひとりが精一杯生きてきたことを、
その生きざまがもたらした結果の成否にかかわらず、
ただその事実を大事にしたいという思いから取り組んだ。
それは、1人ひとりの生が大切に扱われる社会を願っているからである。

つまるところ、私の調査研究も社会実践も、
自分が生きる場を作るためであり、
私自身の願いを表現するためのものとなっている。
それは、祈りといってもいい。

私は2005年からNORAの理事長を務めている。
こんなに長く関わってこられたのは、
ときに祈りが現実になることがあったからである。
これから先もNORAで祈り続けるのかどうか。
来年は理事長を務めて20年になるので、
ここで何かしらの区切りをつけたいとは考えている。
NORAでの祈りが別のかたちになるのか、
あるいは新たな祈りの場を求めるのか。
それを決めるには、誰と祈りを合わせるのかが大事になるだろう。

(松村正治)

雨の日も里山三昧