第123回 『家族の食卓』[改訂版]
2024.10.1雨の日も里山三昧
石澤春美・水野令子『家族の食卓』[改訂版](2024年、野兎舎)
私は大学専任教員を辞めた2020年から、カネミ油症被害者支援センター(YSC)で運営委員を務めている。
カネミ油症事件とは、1968年に発生したPCB・ダイオキシンによる食中毒であり、国内最悪の食品公害ともいわれる。当時は、有害な化学物質がもたらした悲惨な身体症状や、いわゆる「黒い赤ちゃん」が生まれたことなど衝撃的なニュースが伝えられ、被害者を支援する運動や安全な食を求める運動が全国的に展開された。
しかし、カネミ油症は、4大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)と比較すると圧倒的に知られていない。また、知っているという人でも、この5年ほどの間に起こったことや明らかになったことなど、最近の問題について知る人は限られる。被害者の多い長崎県や福岡県では、地元メディアによって最新の情報が報じられるが、全国のニュースで取りあげられることは少ない。
国は2021年から、カネミ油症被害者の次世代への影響について調査をおこなっている。水俣病や原爆症などでも次世代の被害について実態調査が求められているが、実施されていない。このため、カネミ油症の次世代被害調査はきわめて重要な意味を持つはずであるが、人びとの関心を集めることができていない。
こうした現状に対して、まずは被害の実態を知ってもらいたいと思い、2006年にまとめられた冊子『家族の食卓―カネミ油症被害者聞き取り記録』(文:石澤春美・水野玲子)の改訂版を出版した。この冊子は、カネミ油症被害者27家族分の証言を聞いて記録したもので、被害のむごさを生々しく伝えている。
また、10月5日(土)には、『家族の食卓』の改訂出版を記念してセミナー「被害者の証言を聴き 今できることを考える」を開催する。ぜひこの機会に、この冊子を手に取って被害者の声をお読みになっていただきたいし、あわせてこのイベントにも参加して、これから何ができるのかについて一緒に考えていただきたいと思う。
こうした動きとともに、事件発生から50年以上が経過した現在、カネミ油症についてまったく知らない人に向けて「カネミ油症問題のいま」をお知らせするために、リーフレットを制作しようと計画している。
今回のコラムは、このリーフレットの下書きとして、現代を生きる私たちが知っておきたいカネミ油症に関連する情報の一部を整理してみたい。
1.カネミ油症事件とは?
カネミ油症とは、1968年(昭和43年)、西日本を中心に発生したカネミ倉庫社製の「ライスオイル」(米ぬか油)による食中毒です。症状は、吹出物、色素沈着、目やになどの皮膚症状のほか、全身の倦怠感、しびれ感、食欲不振など多様であるため、故・原田正純医師は「油症は病気のデパート」と表現しました。
カネミ油症事件の原因は、食用の米ぬか油にPCBが多量に混入していたことでした。この油が市場に出回ったため、天ぷらや揚げ物などを食べて、知らずに有毒な化学物質を摂取した人びとが甚大な被害を受けました。
原因となったPCBを製造したのは、カネカ(旧鐘淵化学工業)です。カネミ倉庫は米ぬか油を製造する際、脱臭工程の熱媒体としてPCBを使用していました。それが食用油に混入したのです。なお、カネミ倉庫とカネカは社名が似ていますが、グループ企業等の関係ではありません。
事件直後、カネミ油症はPCB中毒症だと考えられていました。しかし、その後の研究により、主原因はダイオキシン類であり、PCBとダイオキシン類の複合中毒症であることがわかっています。PCBが熱媒体として加熱された際、ダイオキシン類の一種であるPCDFなどに一部が変化したと考えられています。
PCB・ダイオキシン類は、一度体内に取り込まれると残留性が高い一方で、原因物質の排出方法や根本的な治療法が見つかっていません。
2.カネミ油症の「患者」とは?
2024年3月現在、カネミ油症の認定患者は累計で2,377名(亡くなった方を含む)です。
患者として認定されると、加害企業であるカネミ倉庫から医療費の自己負担分が支払われます。また、健康実態調査への協力等に対して、国とカネミ倉庫から合わせて年額24万円が支払われます。
事件発生当時、「カネミライスオイル」を摂取した人たちが皮膚症状などを訴え、福岡・長崎・広島など西日本を中心に全国で10,000人を超える被害届が提出されました。しかし、申請しても認定されないケースが多く、水俣病などと同様に「未認定問題」が生じています。
一般に食中毒事件の場合、原因食品を食べて症状が現れれば被害者とされますが、カネミ油症では認定審査のプロセスを経なければなりません。事件直後、九州大学に油症研究班が発足し、油症患者として認定するかどうか判断するための診断基準を作りました。初期の診断基準では、皮膚症状の有無が重視されましたが、その後何度か改定され、現行の基準では主因物質であるダイオキシン類の血液中の濃度が重視されています。
後述する同居家族認定を除き、患者認定を受けるためには、年1回開催される油症検診を受け、診断基準を満たす必要があります。しかし、事件から50年以上過ぎており、自覚症状があってもダイオキシン類の血中濃度は高くない場合が多いのです。一方、かつて皮膚症状がひどくて認定された人のなかには、現在の血中濃度が一般人並みという例も見られるなど、現行の診断基準が妥当でないことは明らかです。
3.カネミ油症にかかわる二つの法律
1)カネミ油症事件関係仮払金返還債権の免除についての特例に関する法律
1969年2月の福岡民事訴訟を皮切りに、被害者は、カネミ倉庫、国、カネカなどを相手に相次いで提訴しました。そのなかで国の責任が認められた判決があり、国は原告に損害賠償の仮払金約27億円(1人平均約300万円)を支払いました。
カネミ倉庫の責任は認められ続けましたが、1986年に最高裁判所では敗訴濃厚だとわかり、1987年にカネカとは和解し、国に対する訴えは取り下げました。多くの原告は、油症による健康被害のため満足に働けず、すでに治療費や生活費として仮払金を使っていました。油症であることを伏せて結婚していた人もあり、国からの返還請求をきっかけに家庭不和や離婚、自殺した人もいました。
2002年に発足したカネミ油症被害者支援センター(YSC)が、被害者とともに始めたのが、この仮払金返還を免除させる取り組みでした。マスコミや国会議員などに積極的に働きかけ、2007年6月に「油症仮払金返還免除特例法」は制定されました。この法律により、債務を負った原告のほとんどが返還免除となり、この問題は解決しました。
2)カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律
2012年8月に「カネミ油症被害者救済法」が成立しました。この法律では、カネミ倉庫の資力が乏しく、被害者への補償救済が滞りがちであることを踏まえ、国による支援の責務が明確にされました。
同年12月に診断基準が改定され、油症発生当時に認定患者と同居していた家族は、心身の症状があるなどの条件を満たせば、認定されるようになりました(同居家族認定)。また、同法に基づき、2013年から、国(厚生労働省、農林水産省)、カネミ倉庫、患者団体による三者協議が、定期的に開催されるようになりました。
4.PCB処理の現状
PCBは、熱や光、化学薬品に強く、電気を通しにくいなどの性質を持つことから、その利便性から「夢の化学物質」と呼ばれたこともあります。しかし、毒性が強く、分解されにくいなどの理由から、PCBの製造は1972年に中止され、1974年には製造・輸入が禁止されました。
2001年に「PCB廃棄物の適正な処理の推進に関する特別措置法」が成立し、国に主導により高濃度のPCB処理はほぼ終わりました。現在は、低濃度PCBを含む機器の処理に重点が移っています。しかし、機器の数が膨大にあるため、処理方法やコストなどが課題となっています。
国内で製造されたPCBのうち、じつに96%がカネカ高砂工業所で製造されたものです。カネカは、自社で製造したPCBの一部を焼却処理したものの、全国に出回っているPCBの処理に関しては負担していません。処理施設の建設から実際の廃PCBの処理まで、ほぼ国の予算でまかなわれています。
国はPCB処理に対して莫大な予算を投じているのに対して、カネミ油症被害者の身体に入り込んだPCBの処理対策は無いに等しい状況です。
カネカは、事件当時の裁判原告の一部に対し、和解に応じた見舞金を支払っていますが、その後は一切の補償に応じておらず、三者協議の場にも参加していません。
5.2020年代のカネミ油症問題
1)進まない三者協議
2012年の「カネミ油症被害者救済法」が成立後、家族内で認定結果が分かれないように診断基準が見直され、同居家族が認定されるようになったことは大きな前進でした。ただし、たとえば広島県内には、職場の食堂で汚染油を摂取した人が症状を訴えているものの、同居家族ではないために申請できないという例があります。また、1969年以降に生まれた認定患者の家族(子や孫)は、同居家族認定の対象には含まれず、認定をされるためには油症検診を受ける必要があります。
原則年に2回開催されている三者協議では、このような点を含め、被害者団体から問題を提起して制度やその運用について改善を求めています。しかし、議論は遅々として進まず、妥当性を欠く診断基準の見直しも進んでいません。
2019年、膠着状態にある三者協議を前進させるには、被害者側が意見を統一して交渉に当たる必要があると、全国の13団体(現在は14団体)が結束してカネミ油症被害者全国連絡会が設立しました。以降、被害者団体から示される論点はより明確になりましたが、議論のスピードアップにはつながっていません。未認定患者を含む被害者が高齢化していくなかで、焦りや失望を感じているという被害者の声が聞かれています。
2)脆弱な補償体制
公害の被害を補償するときの基本的な考え方は、加害企業が被害によって発生した費用を負担するという「汚染者負担の原則」原則です。しかし、カネミ倉庫のように資力が乏しい場合、この原則をそのまま適用すると、被害者に対して十分な補償ができなくなってしまいます。
カネミ倉庫は、過去の訴訟で被害者に対して賠償金の支払いを命じられており、その債務は原告1人あたり約500万円にのぼります。しかし、カネミ倉庫が債務を全額支払うと倒産するかかもしれないので、被害者は医療費の支給を優先し、賠償金の未払いを渋々受け入れています。さらに、一部の認定患者はカネミ倉庫の厳しい経営状態に配慮し、医療費の請求をできるだけ抑制しようとする姿勢まで見られます。
国はカネミ倉庫に対し、政府米の保管業務を優先的に委託して同社の経営を支え、補償体制を維持してきました。近年の実績では、国からカネミ倉庫に約2億円が支払われ、油症患者の医療費として約1億円が支給されています。カネミ油症事件において法的に免責された国が、被害者の救済のためにひねり出した苦肉の策なのでしょうが、国が加害企業を救済しているようにも見え、不健全に映ります。
3)次世代被害問題
カネミ油症の被害者の間では、汚染油を直接食べていない子や孫にも健康被害が確実に及んでいると言われてきました。しかし、ダイオキシン類の血中濃度を重視する診断基準の壁に阻まれ、自覚症状があってもほとんど認定されていません。
そこで、カネミ油症被害者支援センター(YSC)は、被害者団体から協力を仰ぎ、認定患者の子や孫を対象に、健康状態を明らかにするアンケート調査を独自に実施しました。
2020年12月、YSCは49人分の調査結果から、①次世代被害者は一般市民よりも、病気やけが等の自覚症状のある人の割合が高いこと、②次世代被害者と認定被害者との症状は多くが一致していることを公表しました。さらに、カネミ油症被害者全国連絡会とYSCは、次世代被害者の救済に向けた要望書を厚生労働大臣宛てに提出しました。この要望に応えるかたちで、国による次世代の健康実態調査が始まったのです。
6.次世代被害実態調査の結果から
2021年8月、全国油症治療研究班が認定患者の子や孫(2世・3世)を対象にした健康実態調査を初めて実施しました。水俣病や原爆症などでも、被害者から国に対して、次世代の健康被害を明らかにする実態調査が求められていますが、これまで実施されたことはありません。カネミ油症の次世代被害者を対象に健康実態調査が実施されたことは、もっと注目されるべきだと思います。
1年目の調査ではアンケート用紙が送られ、388名が回答しました。内訳は、認定2世16名、未認定2世306名、3世(未認定)66名でした。次世代調査の参加者が多かったのは、自身の健康に関する強い関心、あるいは心配の表れと思われます。たとえば、「子どもの頃から親と同じ様な様々な症状があった。カネミが原因なのではないかとずっと疑ってきた。調査で本当にカネミが原因なのか知りたい」という自由記述がありました。
2022年6月に報告された調査結果によると、回答者のうち6割に、直接油を食べた1世と同様の症状が現れており、多くの困難を抱えていることが明らかとなりました。翌年2023年6月には、一部の先天性疾患(口唇口蓋裂など)の発生率が一般に比べて高い傾向にあることを明らかにしました。ただし、この結果だけで油症との因果関係に言及することは難しく、調査を継続してデータを集めると説明されました。次世代被害者の健康実態について、医学的に明らかになったことがわずかに増えてきましたが、診断基準の改定につながるかどうかは不透明な状態です。
取り急ぎ、現状までをまとめましたが、この続きには、これから何ができるのかについて、いくつかの提案をまとめる予定です。
(松村正治)