第125回 『「社会」の底には何があるか』

2024.12.1
雨の日も里山三昧

先月の兵庫県知事選の結果を見て、いろいろな人が「社会の底が抜けた」とSNS上でつぶやいた。
しかし、私はそんな言い方ってないだろうと思った。
そんなふうに社会について達観して、分析していてよいのだろうか?
そういうあなたは、底の抜けた社会に生きる意味ってあるの?と問いたくなった。

今年7月のコラムに、宮内泰介『社会学をはじめる―複雑さを生きる技法』を取り上げた。
この中で私は、「この社会で「聞く」ことや「対話」がほんとうに必要とされているのか、
この疑問に対して自信を持ってイエスと答えられなくなりつつある」と述べた。
それでも、ギリギリのところで社会にすがって生きているのが現状だから、
私は「社会の底が抜けた」などと軽々しくは言えない。

それではどうするのかというと、
私の場合、「市民社会の当事者研究」としての社会学をする。
宮内さんの本に引き付けて言えば、
他者との対話を通して、その人の生きている世界を理解し、
共同的な規範をつくろうとする社会学実践によって、
社会の底固めをしていくしかないと考えている。

今回は、この社会の底というテーマについて別の角度からも考えるために、
『「社会」の底には何があるか―底の抜けた国で〈私〉を生きるために』という
タイトルの本書を取り上げることにした。

{執筆中}

(松村正治

雨の日も里山三昧