第三話 台地の生い立ち その2
2013.12.1水の流れは絶えずして
前回、横浜の丘陵地が70万年前ぐらいまでに海底に堆積した地層が、隆起したことによって形成されているという話をしました。では、台地はどのようにできたのでしょうか。第1回目にお話ししましたように横浜には東京湾に面した下末吉台地と相模川流域の相模原台地の2つの台地が存在しています。
これら台地を形成している地層は、丘陵地やもっと上流の山地から運ばれた土砂が海に堆積してつくられたものです。そして、丘陵地が地層の隆起によって今の姿があるのに対して、台地は海水順の変動によってつくられました。
海水準変動というのは、氷河の消長によって、海面の高さが大きく変化することで、丘陵地が形成された70万円以降、9回の海進(海水準が高くなること)があったとされています。この海水準変動は図-1に示すとおりですが、これを見ると50万年前の上倉田海進では今より80m近く水面が高かったと考えられています。また今から2万年前は地球が寒かった時期で、このときは今より海面が80mも低かったと考えられています。
つまり、海進時には上流の丘陵地で浸食された土砂が海に堆積して海底に平坦面がつくられ、その後の海退(海水準が低下している時期)時には台地が浸食され谷が形成されました。この海進と海退の繰り返しの結果、堆積と浸食が繰り返されたことによって台地の平坦な地形が形成されました。現在の平坦面が形成されたのは14万年前頃の下末吉海進によって形成されたと考えられています。このように海進、海退によって海底に堆積した土砂(堆積層)によって台地の基礎ができているのですが、これで完成ではありません。この堆積層の上には、その時期に活発に活動していた火山から供給された関東ローム層(一般に赤土)呼ばれる火山灰が堆積し、現在の高さになっています。
この関東ローム層は、谷戸に湧水を供給する地下水の貯水槽になっています。この話は次回お楽しみに。
図-1 過去の海水準変動と海進(岡重文著、関東地方南西部における中・上部更新統の地質1992)
図-2 約45万年前の上倉田海進の時の海の浸入範囲
図-3 約12万年前の下末吉海進の時の海の浸入範囲
(島村雅英)