第111回 釜飯仲間・おこげのお話

2018.3.29
神奈川・緑の劇場

『釜飯仲間=おこげのお話=』
~神奈川の農業と食べ物のこと・生産者に寄り添って30年~

神奈川産100%の牛乳を利用してみませんか?

私は、(有)神奈川農畜産物供給センターの職員時代に、神奈川産100%の牛乳の販売促進に携わっていました。残念ながら、“結果を残した”とは言えず、むしろ逆境の中、生産者の方々、乳業メーカーの、たいへんにお世話になった職員の皆さんにも、申し訳ない思いを今でも引きずっています。

ですから、今、神奈川産100%の牛乳がスーパーマーケットの店頭で販売されていることに、その前を通るたびに感動しているのです。

様々な食品の値上がりが続いているといいます。2017年11月から2018年3月までの野菜の連続超高騰だけではありません。そのような中で、牛乳の店頭小売価格が10年ぶりの安値になっているとの報道がありました。(日本農業新聞3月26日付)

販売競争の激化、集客商材として利益を削っても廉売されているとのこと。酪農生産者からの取引価格にも、将来は影響が出てくるのではないかと不安視されています。

ところで、皆さんはどのような牛乳を購入されますか?牛乳は利用しない、という方も今では少なくないかもしれません。神奈川産100%の牛乳を利用されたことはありますか?神奈川在住でない方は、地元産100%があれば、ぜひ、利用していただきたいと思います。

30年前、神奈川産100%の牛乳は一般に出回ることはありませんでした。牛乳と言えば北海道か、涼しげで広大な自然をイメージする「○○高原」などのブランドイメージのものが圧倒的でした。そのように消費行動を仕向けた国策に、私たちは巻き込まれ、地元の牛乳が実は最も美味しいということは知らされていなかったのです。(国策と言えば、超高温殺菌と低温殺菌の問題が牛乳にはありますが別の機会に記したいと思います。)

当時は、「神奈川の牛乳?そんなものあるの?飲めるの?まずいんじゃないの?」と言われました。牛乳に限ったことではありません。お米でも、野菜でも、ええ、今では最高水準のブランドになっていると言ってもいい、梨やブドウ、いちごでさえも。

話は横道に入ります。

戦後の食糧難時代、戦地から復員できた男たちを中心に、食糧増産がはかられます。神奈川でも、農地解放で小作農民が農地を得るとともに、戦争中までは統制されて自由に作ることができなかった作物も、各々が自由に選ぶことができる時代になりました。

一方で、経済の復興も急ピッチですすみ、神奈川には、京浜工業地帯を中心に労働者が集められました。冬の、特に雪国からの生産者の出稼ぎや、中学卒業での、金の卵と言われた若者たちの集団就職は、1970年代まで盛んに行われました。神奈川の農地や山林は大規模に開発され、急激な都市化が進みました。

今では900万人を大きく超える県の人口が、ようやく300万人に達したのは1950年代末、その後、急激に増え続ける多くの「県民」は神奈川生まれではなく、帰郷する「ふるさと」のある人々でした。

彼らにとって、おいしい食べ物は各々のふるさとにありました。農業のイメージは、ふるさとの農業であり、各々の親や兄弟の働く姿、子どものころに手伝わされた営みでした。彼らは充分に農林水産業を知っていました。しかし、彼らの知る農業の姿は、神奈川のそれとは大きくかけ離れていたのです。「楽」して稼げる・・は言い過ぎでしょう。が、少なくとも、ふるさとの農業に比べて、神奈川の農業を大切にしよう、神奈川の生産者を応援しようと思う人は少なかったのではないでしょうか?

神奈川の農業を大切に思う県民意識の醸成は、彼らの子どもたち、孫たち、神奈川生まれの世代、神奈川をふるさとと思う世代の成長を待たなければならなかったと、私は思っています。

さて、牛乳です。神奈川の酪農生産者は、現在200軒あまり。約40年前までは1500軒を超えていました。それどころか、明治時代には全国トップクラスの酪農生産額がありました。これは何も不思議なことではありません。

神奈川の農業を考える時に、大きな特徴が3点あると思います。

○一つは、気候風土。温暖で、豊かな土質に加え、変化に富んだ県土、豊富な水脈にも恵まれています。そして一年中、作物を収穫することができます。

○一つは、地産地消の伝統です。北条小田原や鎌倉幕府もきっと重要な役割があったと思いますが、なんと言っても江戸幕府と江戸に集まった人々への食糧供給です。これは、現在にもつながる都市住民と生産者との関係です。

○そして決定的に大きな出来事は、横浜港の開港でした。全国でもいち早く、西洋の食文化が持ち込まれ、その原材料の生産、供給基地として神奈川の農業は役割を果たすのです。

ですから、牛乳の生産が神奈川で盛んになったことは当然でしたし、肉牛や養豚、それぞれの加工業も生まれ、現代に引き継がれているのです。

その神奈川産100%のブランド牛乳が、今では、スーパーの店頭に並べられています。その牛乳を原料にしていることを宣伝したラスクなどがコンビニエンスストアで販売されています。

酪農生産者を取り巻く環境は、たいへんに厳しいままですが、神奈川の酪農には、未来があると私は思うのです。考えてみて下さい。健康に牛を育て、新鮮で美味しい牛乳を生産してくれる人々が、身近にいるのです。そういう町に私たちは暮らしているのです。

子や孫の世代に、つないでいきたいと思いませんか?食生活に牛乳を取り入れている皆さんは、ぜひ、神奈川産100%の牛乳を利用してみてください。

これ以上、神奈川から酪農生産者が減らないことを、私は願っています。

(2018年3月27日記    おもろ童子)