寄り道17 フィールドに磨かれる
2014.12.1雨の日も里山三昧
毎年、11月下旬~12月上旬は忙しい。12月中旬の卒業論文の提出に向けて、学生からこの時期に書きかけの原稿が届けられるので、それにコメントして返すからだ。学生からすると、論文を書くのがほとんど初めての経験なので、大きなストレスを抱えていることが多い。だから、それを速やかに取り除いたり緩和したりすることが、私の役目である。学生にとって指導する教員は1人だけれど、教員にとって学生は複数(今年は7人)いる。学生の立場を考えて、できるだけ早く対応しようとすると、いつでもどこでも卒論指導のために時間を充てることになる。
けれども、卒論の執筆をサポートするという仕事は楽しい。多くの学生は力いっぱい取り組んでくれるので、卒論を書くプロセスには学生の個性がよく現れる。これは、講義を担当するだけでは、ふれられない世界であろう。
卒業研究では、フィールドワークに出かけ、現実社会にある具体的な事例をもとに考えるように勧めている。その理由は、おもに2つある。
1つは、論文にはオリジナリティが求められるのに対して、学生が見聞きしてきたデータは、それ自体が貴重なものとなるからである。このため、フィールドで得たデータにもとづいて議論を進めると、その学生らしい独自性を発揮しやすい。文献調査だけで議論しようとすると、他者の主張との距離を取ることが案外難しい。また、アンケート調査は、周到に準備しないと意味のあるデータを取りにくいので、あまり勧められない。
理由の2つめは、フィールドに出ると、人を巻き込まざるを得ないからである。たとえば、インタビューをお願いする際、資料を探す際など、現場の人に協力してもらわざるをえない。自分では何もできず、お世話になるばかり。その中で、どうやって人間関係を築いていくのか、その力が試される。そうした経験を積むことが大事だと考えている。ほとんどの学生は、卒業後の研究者を目ざすのではなく、それ以外の多様なかたちで社会に出て行く。だから、卒業研究では、いい論文を書くことよりもむしろ、いい人といい場所と出会えることを願っている。その方が、将来の財産になるはずである。
今年の学生たちは、例年よりも精力的にフィールドワークに取り組んだ。どのような研究テーマに取り組んでいるのか、いくつか例を示したい。
まずは、ご当地アイドルによる地域活性化をテーマにしたものがある。この学生Aさんは、川崎のご当地アイドルである「川崎純情小町☆」を事例として取り上げている。アイドルグループを追っかけつつ、ファンクラブのメンバーとして受け入れられ、ファンとの交流や関係者へのインタビューなどを実践している。Aさん自身、川崎市民であり、アイドル全般も好きなので、ファンたちと地元ネタやアイドルネタで盛り上がれるのは楽しいようである。
Aさんによれば、ご当地アイドルはご当地(地元/地域)+アイドルと分解できるが、ファンもまた地域派とアイドル派に分類できるらしい。また、ファンとの行動を分析するとき、アニメや漫画の舞台となった場所を訪れる聖地巡礼やコンテンツ(物語)・ツーリズムの先行研究が多少参考になるものの、二次元と三次元の違いもあって、独自のアプローチを考えないといけないという。さらに、このアイドルグループの場合、川崎市イメージアップ事業や宮前区誕生30周年記念協賛事業としても公認されており、こうした行政との連携は地域メディアとしての信頼性を向上するうえで役立っているようだ。こうした考察を通して、Aさんは、人びとと地域を結ぶご当地アイドルが地域活性化に貢献しうるのか、さらに、その場合の活性化とはどのような意味なのか、という大きな問いにこたえようとしている。
つぎに、ホームレス支援のための居場所づくりをテーマにしている学生Bさんがいる。ホームレス支援というと、炊き出しによる食事の提供、寝る場所の確保、仕事の紹介などがイメージされる。しかし、そうした生命の保障だけでは十分ではないと考える人たちは、生活を支えるために生きがいづくりや居場所づくりにも取り組んでいる。たとえば、スポーツを楽しむクラブ活動や、ただ人が集まる交流サロンづくりなどである。Bさんは、特に居場所づくりに関心を持って、ホームレス状態の人びとが集まるサロンに参加して、当事者や支援者などに話を聞いている。ホームレス状態の女性しか入れないサロンにも参加し、一見すると誰がスタッフで誰が当事者かもわからない環境で雑談してくる。
女性の場合、セクシャル・マイノリティで家族とうまくいかなかったり、DVから逃れたりして、ホームレス状態になることも少なくない。そういうときは、寝る場所や仕事を見つけるよりも、その人の価値観や生き方が肯定されることが大切であるとBさんは言う。しかし、ホームレス支援にかかわる人のなかにも、生きがいづくりや居場所づくりの必要性を感じない人もいるようだ。そうしたなかで、Bさんには自身がホームレス状態になっていてもおかしくなかったという経験があり、ただ居ることができる場所の必要性を実感している。そうした共感力があるので、交流サロンにもすんなりと入っていったようだ。こうした調査にもとづいて、Bさんはホームレス支援における居場所づくりの必要性を述べようとしている。
長くなるので、もう1人だけ紹介しよう。Cさんは、高齢者福祉施設におけるコミュニティガーデンの効果をテーマにしている。Cさんは祖母のいる特別養護老人ホームを訪ねた際の印象が良くなかったので、そういう施設に地域とつながる庭があると雰囲気が良くなるのではと思い、このテーマを選んだ。そして、グループホームの中庭ボランティアに入り、定期的に庭づくりの作業に参加して、スタッフやボランティアなどから話を聞いてくる。当初、調査地に入る前のCさんは、高齢者福祉施設のコミュニティガーデンでは、お年寄りが庭づくりに参加することによる作業療法的な効果が期待できるし、ボランティアをはじめ地域の人びとと交流することは、生活の質を豊かにするだろうと考えていた。しかし実際には、高齢となって要介護度が高くなると、ほとんど作業に参加できないので、お年寄りと地域の人びとが一緒になって庭づくりを進めることが難しいのが実状であった。
こういう当初の仮説と異なる事実にぶつかったとき、たいてい学生は当惑する。しかし、そうした経験ができることこそ、フィールドワークに秘められた教育力なのだろう。自分では思い通りにならない他者と出会うことは、自分の見方や考え方を広げ、それまでの自分を超えて成長できるチャンスなのだと信じている。
庭づくりの作業を終えて、ボランティアと雑談をしていると、その会話のなかで入所者の健康状態を気遣っていることがわかる。庭の植物を生かして、入居者のために何かできないかと考えている。一方、入居者は庭に出て、庭に感謝し、ボランティアや地域の人に感謝している。そして、この中庭は、共同で作業する場ではないけれど、入所者と地域とのコミュニケーションが交わされる、まさにコミュニティガーデンなのだと気づく。こうして、Cさんは高齢者福祉施設において、お年寄りと地域を結ぶ庭の役割について考察を深めている。
このように、卒論を書くプロセスで、学生たちは私の知らない世界を教えてくれる。自分の足で現場に行き、人びとと出会い、見聞きすることを若い感受性で受け止めてくるので、とてもリアルでフィールドの魅力がありありと伝わってくる。そして、それを報告する学生一人ひとりの生き方=生命(life)も、生々しく感じられる。だから、わくわくするし、面白いし、そして何より、美しいと思う。
ほとんどの学生にとっては、卒論は最初の論文であるとともに最後の論文である。だから、少しでもいいものになるといいと思い、私もサポートするし、ときには厳しくコメントすることもある。原稿が真っ赤になって戻されると、学生は自分の研究成果が否定されているような気持ちになることもあるだろう。しかしそれは、学生の努力に対して報いるための結果に過ぎない。
私が大切にしていることは、論文としての良し悪しよりも、そのプロセスを通して個性が磨かれて美しいと感じられるかどうかである。フィールドワークによって人や場と出会ったこと、それを通して考えたことは、一人ひとりにとって代替不可能な経験である。それが、学生にとって財産であるという自信をもって欲しいと願っている。
(松村正治)
p.s. このコラムを書く際、11/28(金)放送のNHKスペシャル『悲劇をくり返さないために~大川小学校・遺族たちの3年8か月』に触発されたことを記しておく。