寄り道8 NORAの10年をふりかえる(2)
2012.1.4雨の日も里山三昧
先月に続き、1月22日(日)NORA10周年記念フォーラムに向けて、
これまでの10年間の活動内容をふりかえります。
前回は、NORAの5つの活動分野(ヤマ、ノラ、ムラ、ハレ、イキモノ)
のうち、「ヤマ」にかかわる活動をまとめましたが、
今回のコラムでは、それ以外の活動、
特に「ノラ」「ムラ」にかかわる活動をふりかえります。
設立当初のNORAは、おもに森林・樹林地と人びとをつなぐ
中間支援のような仕事を中心におこなっていました。
おもに行政からの受託事業、行政との協働事業の中で、
横浜市内・神奈川県内の各地で講座・研修等を開き、
多くの市民を巻き込み、協力をいただきながら、
森づくり活動団体の組織化をお手伝いしてきました。
そうした中で、生産者と消費者をつなぐ仕事を長年経験してきた
現在の副理事長と出会いました。
もともと、NORAは里山全域とかかわりながら、
現代のライフスタイルを考え直し、
変えていくことを志向していました。
ただし、ムラ(集落)-ノラ(農地)-ヤマ(林野)の中では、
土地を持たない市民・NPOでもヤマには関わりやすかったの、
まずは林地と市民をつなぐ活動を進めてきたのです。
燃料革命以降、山林の多くは実用的な価値を失い、
土地所有者は手を入れられなくなっていたので、
そのスペースで市民は保全活動に関わることができました。
しかし、農地については、一般市民の利用が制限されていたことや、
(2009年の改正農地法により、現在はNPOも農地を賃借できますが)
林地と人びとのコーディネートで手一杯だったこととなどから、
農との関係を深めることができませんでした。
NORAとして、そうした課題を潜在的に抱えていたところに、
前の職場を辞めて、生産者限定で神奈川産野菜の行商を
始めるというパートナーと出会えたので、
協力を呼びかけた結果、事務所前で定期市を開けるようになりました。
このことが一つのきっかけになり、
NORAとノラとの距離が近づいていったように思います。
街中で野菜を買うというところから、
神奈川の農業のこと、里山のことを考える。
そうなるのは理想的かもしれませんが、
都市の住む人びとにとって、
目の前に並べられただけの野菜は雄弁とは言えません。
野菜がどのように畑で育つのか知らないことが多いので、
見ただけでは、その価値をくみ取れないのです。
なぜ、この野菜は高いのか/安いのか、
なぜ見た目が悪いのか/良いのか、
生産者が何を大事にしてこの野菜を作っているのか、
どのように食べたらよいのか。
街中で地産地消の意義を伝える場合、
こうした疑問にその場で説明できる、
伝えることのできるスタイルが求められます。
定期的に事務所前で野菜市が開かれるようになり、
NORAのメンバーは、神奈川の農業のこと、
地域社会のことを知り、学ぶ機会が増えました。
そして、生産者が丹精込めてつくった野菜の美味しさと出会い、
その体験をほかの人にも伝えようという思いが募りました。
こうした経験をもとに、2005年からは年に1~2回、
伊勢佐木町商店街のイベント開催時などに、
神奈川産の農産物や加工品を販売する「地モノ市」を始めました。
この背景には、農業の問題とは、農家だけの問題ではなく、
むしろ都市住民の問題であると捉えていることがあります。
だから、そうした問題意識を持つ市民が、
同じように食料生産を農家に預けている市民に対して、
地元の産物を利用する意味を伝えたいと考えたのです。
また、意欲的な会員の中には、野菜を買うだけではなく、
実践的にノラに関わりたいという者が出てきました。
そして、ときどき仲間を募って、
休日の朝早くから農作物の生産現場へ赴き、
農家のお手伝いを通して、
自然と暮らす知恵・技・考え方を学ぶようになりました。
さらに、この頃、事務所のあるビルに部屋を借りて住んでいる
独身会員が多かったことから、
ときどき野菜をメインにした料理を一緒に作り、
同じ釜の飯を食べる食事会が開かれるようになりました。
食事会を重ねていくうちに、
街の中に食を通した新しいコミュニティができるという
たしかな手応えを感じるようになりました。
ところがこうした活動が広がっていく反面、
次第にNPOとしての経営は難しくなっていきました。
2005年頃、それまで続けてきた5年間の協働事業が期限を迎えたほか、
入札条件の変化に伴い、自治体からの委託事業を取りにくくなり、
収入が急激に減る傾向が見られたのです。
また、多くの委託事業を担当していた当時の副理事長が体調を崩し、
一人に仕事が集中している体制に無理が生じていました。
そこで、あらためてビジョンを明確にし、
活動方針を再考することが課題になりましたが、
運営メンバーの間で意見の相違が見られ、まとまりませんでした。
常勤職員を減らすなどして対応しながらも方向性が定まらないため、
パナソニックNPOサポートファンドを得て、
自主事業を強化して委託事業だけに頼らない自立した体制をつくる
基盤強化事業を進めることになりました。
(→助成事例レポート)
具体的には、専門家のアドバイスを受けながら中長期計画を策定し、
それに連動した広報戦略をつくるというものでした。
そのための話し合いを重ねるうちに、
現状の運営メンバーを中心として、これまでの予算規模の活動を
維持することは困難という結論になりました。
そこで、2008年に理事会は事業の縮小という決断を下し、
会員に向けて次のようなメッセージを伝えました。
これまでは、スタッフの熱意と資質を生かしながら突っ走って
まいりましたが、次の段階へと着実に足を進めるためには、
いったん活動を小さくゆっくりとする必要があるようです。
今後は、今までの活動で培った経験、人とのつながり、
さまざまな会員の知恵や技などを活かしながら、
あらためて里山(農、みどり)を舞台に公共的な活動を
展開していきたいと考えております。
常勤職員を雇わないこととし、事務所も閉鎖することを決め、
総会でもいったんは了承されました。
しかし、その後、事務所を残したいという会員の声が出てきました。
当時、同じビルの上の階に数人の会員が住んでいたこともあり、
事務所は、しばしば会員が集まって話をしたり食事をとったりする
サロンとしての機能を果たしていました。
そういう居場所が街の中に必要であると感じていた会員が声を上げると、
相次いでその意見を支持する会員が現れ、
議論を尽くした結果、当面は会員有志が寄附金を出し合い、
自主的な活動を展開しながら、自立的な運営をめざすことになりました。
それまで運営にまで関わっていなかった一般会員が、
NORAの経営状態が厳しいことを知って相次いで運営会員となり、
力を合わせて組織を引っ張っていくことになったのです。
こうした動きをもとに、検討中だった中期計画や広報戦略も
はじめから練り直すことになりました。
理事会の構成は実際に活動に関われるメンバーに一新し、
かつて事務所だったスペースでは「はまどま」
(「横浜の土間」の意味)という名称を掲げ、
会員有志から構成される運営委員会が
自主活動を展開していくようになりました。
また、ホームページやそれと連動するメールマガジンも、
多くの会員が参加してつくる方式に変更しました。
NORAは設立当初の段階から次の段階へと、
すなわちセカンドステージへと移行したのです。
常駐事務局員を中心に活動していた頃と比べると会員数も増え、
多くの会員がNORAの一員として積極的に動くようになり、
その結果、自主的な活動の幅はぐんと広がりました。
特に、「はまどま」を拠点にしたプロジェクトでは、
その場所を「街中の里山の入り口」として活用するために、
さまざまな角度からプログラムを展開してきました。
従来からおこなってきた野菜市や食事会は
「はまどま」プロジェクトの1つに位置付けたほか、
イラストレーターや元劇団員など、会員の特技を生かして、
現在では、「野を描く」「もったいないから竹細工」
「お話の会=はまどま劇場」などを定期的に開催しています。
また、もともと事務所のための空間だったので、
「まちづくり市民財団」の助成を得て、
使い勝手が良いように改修したり、備品を揃えたりしました。
(→事業紹介)
2010年4月には、地元の宮宿花一・二丁目町内会に入会し、
地元のお祭りに積極的に参加するなど、
地域コミュニティとの関係を深めています。
こうした動きが、里山をテーマにしたコミュニティづくりという
NORAの「ムラ」事業を引っ張っています。
「ノラ」事業にも大きな展開がありました。
会員が交流のある生産者を訪ねて野を良くする仕事に関わる
「NORAの野良仕事」を定期的に実施するようになりました。
また、社会的引きこもりやニートと呼ばれる若者の社会参加
・就労支援策として始まった「ヨコハマで農業体験」は、
土にふれたい、野菜づくりに関わりたいという市民にも
ニーズのある活動として定着しています。
さらに、2011年からは、お世話になっている横浜の生産者と
休耕地約3反について農地維持管理契約書を交わし、
農地の管理作業をおこなうことになりました。
この活動から、野菜の収穫を体験したいという
近くにある高齢者福祉施設や若い親子などとも
関係を深めることができました。
「ヤマ」事業についても、進展が見られました。
2004年から、月に1回程度、川井緑地をフィールドとして、
森づくり活動を続けていましたが、
定期的に実施することができず、市民を巻き込みにくい状況でした。
それが、セカンドステージへの移行から、
毎月2回第2・第4日曜日に「NORAの山仕事」として、
実施するようになり、着実に活動を進めてきたことは、
前回のコラムに書いたとおりです。
さらに、付け加えておきたいのは、
「イキモノ」事業として、2010年10月に名古屋で開催された
生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)にあわせて、
地球環境パートナーシッププラザの連携団体として
会議期間中に出展したことです。
日頃、里山保全、地産地消、コミュニティづくりという
比較的ローカルで身近に感じやすい活動を実践していますが、
それが生物多様性保全というグローバルな問題とも
繋がっているはずです。
NORAは、横浜という地域に足場を持って活動していますが、
都市と農村は切り離して考えられず、先進国と途上国も同様です。
横浜という都市に視点を持ちつつも、
そこに閉じこもらない、広がりのある理念を持ち、
活動を展開していくことが大切だと思います。
ざっとNORAの10年をふりかえりましたが、
ここに書けないことも含めて、いろいろありました。
これは個人的にふりかえった10年の概略なので、
記憶違いのこと、書くべきなのに書いていないことなど、
たくさんあるはずです。
記憶が薄れないうちに、仲間の協力を得て、
きちんとした10年史をまとめたいと思っています。
(松村正治)