第26回 『「サザエさん」的コミュニティの法則』(鳥越皓之)
2011.3.1雨の日も里山三昧
2月末、ある学生から完成したばかりの卒論が送られてきました。
今年度は、私の文章を読んだ数人の他大学の学生から連絡をいただき、
何度か個別に話をする機会があり、
そのうちの1人が400字詰め原稿用紙275枚に及ぶ力作を書き上げたのです。
私が彼と会ってみて驚いたのは、私のことをよく知っていることでした。
彼は私が10年以上前に本や報告書に書いた論文や、
ウェブにアップしていたエッセイのようなものまで読んでいました。
それらを踏まえて彼はすぐに鋭く論点を突いてくるのに対し、
私は当時何を考えていたのかをすぐには思い出せませんでした。
私よりも彼の方が私のことを理解しているようで、
それはなんとも奇妙な感じでした。
彼とおもに議論したのは、
今回のコラムで取り上げた鳥越皓之さんに関してでした。
鳥越さんといえば、滋賀県知事の嘉田由紀子さんらとともに、
生活環境主義という立場を主張された研究者として、
私の周囲ではよく知られています。
(生活環境主義については第14回コラムを参照してください)
私は鳥越さんの生活環境主義を批判的に書いたことがあったのですが、
彼の問題関心も私のそれと近かったのです。
ちょうど、卒論全体の議論を支える基礎部分を固めたい時期だったので、
私と話をしながら、自分の考えが妥当なのかどうかを確かめたかったようです。
先日届いた彼の卒論に目を通しながら、
昨秋、交わした議論を思い出しましたが、
あわせて鳥越さんのことにも思いが巡りました。
私が鳥越さんを批判的に書いたというと、
鳥越さんと対立的な関係にあると思われるかもしれません。
しかし、それはまったく違っていて、
私は鳥越さんの文章を深い共感を持って読んでいます。
そればかりか、私が文章を書く上でもっとも意識しているのが、
鳥越さんの考え方であり、書き方だと言ってもよいでしょう。
鳥越さんの場合、『環境問題の社会理論』(御茶の水書房、1989年)、
『環境社会学の理論と実践』(有斐閣、1997年)、
『環境社会学』(東京大学出版会、2004年)などのような専門書であっても、
一般読者にわかるように書かれています。
そして、『花をたずねて吉野山』(集英社、2003年)や、
今回取り上げた本のような新書では、
平易に語りながらも随所にきらりと最新の研究や事例が紹介されています。
このあたりのバランス感覚が絶妙です。
鳥越さんとは同じ学会に所属しているので、
年に数回開かれるセミナーや研究会などでお目にかかることがありましたが、
なかなか話をする機会がありませんでした。
だから、鳥越さんのことを書いたときには、
一度も議論することもなく、一方的に批判したのでした。
その文章が掲載された報告書が発行されると、
ほどなくして私の文章を読んだ鳥越さんから
「ご論考の感想」というタイトルのメールが届きました。
当時は面識がなかったので驚いたのと同時に、
気分を害されたのではないかと心配しながら本文を読み始めました。
しかし、鳥越さんの感想は「よい」でした。
学会における鳥越さんは若い研究者に対して、
たいてい厳しい質問やコメントを述べられます。
だから、この括弧付きの「よい」には、大変励まされました。
その後、鳥越さんが共同編集者の1人となって、
『よくわかる環境社会学』という教科書をつくるとき、
また驚くことがありました。
それは、「生活環境主義」というタイトルで、
1ページのコラムを書くようにという依頼があったことです。
これは、2つの点でムチャぶりでした。
まずは、鳥越さんが本数冊文を書いていることのエッセンスを、
たった1ページにまとめるは至難の業であるという点。
もう1つは、生活環境主義を主張してきた人は、
鳥越さんを除いても何人もいらっしゃるので、
私が適任ではないだろうという点です。
これは、けっして卑下しているのではなく、
環境社会学をかじっている方ならば誰もがそう思うはずです。
しかし、しばらくして鳥越さんの気持ちを推し量り、
常識的に考えればできないことだから、
あえてムチャぶりをしたのだろうと考え、
この仕事をお引き受けしました。
ところが、初稿を書いたもののうまくいかず、
鳥越さんから助言をいただきました。
それを踏まえて修正校を作ったところ、
「とてもよい原稿に変貌したように思います」とコメントがありました。
読者からすれば、1ページのコラムなど無視できるものでしょうが、
その背後には一字一句に気持ちを込めた格闘と
それを支えてくださった鳥越さんとの文通があったので、
私にとっては思い出深い作品です。
毎度のことですが、
作者との個人的な交流について書き過ぎました。
本の中身にもふれましょう。
この本では、誰もが知っている「サザエさん」を題材にして、
人びとが成長し満足できるコミュニティをどう創造するのかを考察しています。
たとえば、鳥越さんは、競争社会で勝つために他者とは違う能力を伸ばす教育を
非凡教育として、これに平凡教育を対峙させます。
平凡教育とは、礼儀作法やコミュニケーション方法など、
コミュニティで他者とともに生きる知恵や作法を身に付けるものです。
鳥越さんは、この平凡教育の重要性が
「サザエさん」におけるカツオが体現していると捉えます。
すなわち、勉強はできないけれど見知らぬ人とすぐに友達になり、
困った人に対して、てらいもなく手を差し伸べるカツオの知恵や作法が、
社会で幸せに生きるために大切だというのです。
ほかにも、いくつか紹介したい鳥越さんの主張や、
ユニークな事例が書かれていますので、
興味のある方はぜひお読みください。
最後にもう1冊、コミュニティについて考える上で有益な本として、
『家と村の社会学 増補版』(世界思想社、1993年)を紹介します。
日本社会における人びとの基本的な価値観や行動様式が説明されています。
おそらく、平凡教育が当たり前にあった時代や場所では、
この本は不要だと思います。
しかし、現代の都市住民の中には、
ムラといっても具体的なイメージがわかない人が多くなっています。
これからの社会を構想する上で、
海外の先進事例を学ぶことも重要ですが、
その前に日本社会の基本を理解しておきたいものです。
NORAの活動も、ムラに住む人の暮らしを参考にして展開しています。
核家族に育ち、人間関係が希薄な地域に住んでいる若い人に
ぜひ読んでほしいと思っています。
(松村正治)