第25回 『写真で見る自然環境再生』(自然環境復元協会編)
2011.2.1雨の日も里山三昧
まだ発行間もないこの本は、
認定NPO法人自然環境復元協会が
設立20周年を記念して作ったものです。
編集した自然環境復元協会の前身は自然環境復元研究会といい、
1990年代前半に、信山社出版/信山社サイテックから「自然復元特集」として、
『ホタルの里づくり』(1991年)、『ビオトープ―復元と創造』(1993年)
『水辺ビオトープ―その基礎と事例』(1994年)を出版し、
日本に「ビオトープ」という言葉を定着させました。
その後、2000年にNPO法人格を取得して研究会→協会となり、
2003年には環境再生に取り組む実践者を育成し認定する
「環境再生医」という資格制度を発足させています。
私が環境系コンサルタント会社に勤務しているときは、
ちょうど「ビオトープ」が流行していたときで、
多くの社員が、自然環境復元研究会が編集した
ビオトープ関連の本を参照していました。
さて、この本には、全国の自然再生の事例(事例21+提言4)が
再生前後の豊富な写真とともに紹介されています。
NORAのある横浜市内からは、
・帷子川河口でのヨシ原再生、
・金沢八景・野島の海辺づくり
・恩田の谷戸の保全活動
の3事例が取り上げられています。
私は、このうち恩田の谷戸(横浜市青葉区)の事例について、
共著というかたちで文章を書きました。
その経緯について説明しましょう。
私が里山保全活動にかかわるようになったきっかけは、
恩田の谷戸を次世代に残そうと活動している
恩田の谷戸ファンクラブ(OYFC)と出会ったことです。
八幡平、秩父、飛騨、阿蘇、屋久島など、
自然豊かな地方へと出張するコンサルタントの仕事を辞めて、
まずは身近な場所で体を動かしてみようと思い、
最初にコンタクトを取ったのがOYFCでした。
初めて現場へ行った日は、ちょうど年に1度の収穫祭の日でした。
そのため、昼食が用意されており、
恩田の谷戸でとれた野菜入りの豚汁、
谷戸でとれたお米、谷戸の炭で焼いた秋刀魚など、
これでもかというくらいの谷戸づくしのご馳走をいただきました。
そして、その一つひとつについて、会員の方から、
このお米は・・・、この野菜は・・・、この炭は・・・と、
プロセスや裏話などを細かくご説明いただきました。
老若男女、会員誰もが恩田の谷戸を好きで、
谷戸を誇らしく思っていることが強く伝わってきました。
私は、その不思議な、あるいは異様な雰囲気に、
惹かれてしまいました。
実は、恩田の谷戸に足を踏み入れたとき、
予想していたよりも貧弱な景観に驚きました。
すぐ近くまで新興住宅地が迫っており、
肝心の谷戸もかなり開発残土によって埋め立てられていました。
だから私は、こういう場所ならば、
探せば、まだいくつもあるだろうと思ったのです。
しかし、それは谷戸の環境を見ただけの第一印象でした。
恩田の谷戸にかかわっている人びとと出会い、
彼(女)らと谷戸とのかかわりの歴史を知ったことで、
私の評価は一変しました。
そして、これだけ人びとに愛されている恩田の谷戸は貴重であり、
ここを守ろうと働きかけてきた蓄積を考えると、
これは生かされなければいけないと思うようになりました。
(恩田の谷戸の事例については、
『写真で見る自然環境再生』をお読みになってください。
日本財団ボランティア支援部監修『生き物緑地活動を始めよう!』(2000年、風土社)
にも、OYFCの活動が取り上げられています。)
これ以降の私は、
豊かな環境だから、その場所を人びとが守るべきだという考えに加えて、
その場所を人びとが守りたいと思うから豊かな環境なのだという考えを
あわせ持つようになり、むしろ前者よりも後者の考え方に導かれて、
実践と研究を重ねてきたと言えます。
話を戻しましょう。
OYFCに入会後、私は恩田の谷戸へ通うようになり、
雑木林の下草刈り、落ち葉かき、水路の補修、米作りなどに参加しました。
炭焼きのために谷戸で夜を明かしたことも何度かありました。
しかし数年後、私はNORAとのかかわりの方が圧倒的に深くなり、
また、沖縄で長期にわたって調査するようになったこともあって、
ほとんど恩田の谷戸へ行かなくなりました。
そこで、できる範囲でお手伝いしようと、
会計と会員管理という事務仕事をお引き受けするようになりました。
そのほかに私がかかわれる仕事として、文書の作成があります。
2004年、「全国の里地里山保全活動に光をあて、
人と自然が調和した里地里山を後世に引き継ごう」という趣旨で
「日本の里地里山30 保全活動コンテスト」
http://satochi.net/30/
(主催:読売新聞社、共催:環境省)が開かれました。
この応募書類を下書きする仕事をお引き受けしたところ、
結果として、全国30団体のうちの1つに選定されました。
普段、現場での活動に参加していないのは心苦しいのですが、
可能な範囲で協力できる部分にかかわっています。
今回取り上げた本に、恩田の谷戸の事例を掲載しませんかと
自然環境再生協会から打診があったのは、昨年3月頃でした。
OYFCの会員で自然環境再生協会の会員でもある福富さんが、
この話を持ってきてくださったのです。
その後、OYFC内部で議論した結果、
私が下書きを作り、それを福富さんとOYFC代表の藤田さんが確認して、
原稿を仕上げることになりました。
そのために、恩田の谷戸の記事は3人の共著になっています。
最後に、一言。
最近、私はこの共著という形式に関心があります。
これは、自分の力不足をほかの人と組むことで補いたいという
気持ちの裏返しでもあります。
そもそも、私が書くほとんどの文章は、人から話をうかがい、
人と意見を交わした末に生まれたものですから、
それらはすべて共著だと言ってよいのです。
今後、文章を書くことに関して私は、
いかにして他者とともに楽しく共同製作できるのかを、
共著というスタイルによって追究していくつもりです。
(松村正治)