第72回 自著を語る~宮内泰介編『なぜ環境保全はうまくいかないのか』所収論文ほか

2016.9.1
雨の日も里山三昧

記念すべきメルマガ100号が配信されるこの機会に、私が里山に関連して書いてきたものを、まとめて紹介したい。

2000年
■都市近郊の里山保全NPOに関する研究─ボランティアの参加動機と期待される社会的機能とのずれに注目して」(東京工業大学大学院修士論文) ←クリックするとpdfが開く

私が里山保全にかかわり始めたのは1998年、大学院修士課程1年のときであった。
学部卒業後、環境コンサルタントを5年目で辞め、大学院では文転して社会学を学ぶことにしたのは、フィールドワークをやりたかったからだ。コンサル時代と違って自分が当事者性を持って関われるテーマがいいと思い、修士論文では里山保全ボランティアについて書こうと思った。
そこで、恩田の谷戸ファンクラブ(横浜市)、町田かたかごの森を守る会/七国山自然を考える会(町田市)、せたがや自然環境保全の会(世田谷区)に所属して、ボランティア活動に参加し、3団体計42名のボランティアの方々にインタビューをおこなって、まとめたのがこの修士論文である。
データと分析がかみ合っていない未熟な内容だが、17年前のボランティアの素顔が描かれているのは貴重だと思う。個人的には、この調査をきっかけに交友関係が大きく変わり、その後、市民活動にどっぷりとはまっていったので、このときにフィールドワークはかけがえのない経験であった。

2007年
■「里山ボランティアにかかわる生態学的ポリティクスへの抗い方―身近な環境調査による市民デザインの可能性」『環境社会学研究』13: 143-157. ←クリックするとCiNiiへ

博士課程では沖縄県八重山諸島でフィールドワークに励んでいたので、しばらく里山研究から遠ざかっていた。木質バイオマスエネルギーの普及をはかる市民活動に深くかかわったり、NORAの活動を手伝ったりしていたが、この間は里山を研究対象にはしなかった。その後、大学に職を得て、修士の頃の研究テーマを掘り下げることになった。いや、正確に言えば、長期のフィールドワークに出られなくなったこともあり、それまでの研究と実践を分けるべきという考え方を捨て去り、NPOの代表として実践している里山保全活動を、あらためて研究対象に据えることにしたのだ。
この間、修士論文をもとに学術論文を書き、学会誌に投稿したこともあったが、掲載されなかった。まだ、修士の頃の残像が残っていたのだろう。問題設定がシンプルではなかった。そこで、一から考え直す気持ちで書いたのが、この論文である。
ここでは、里山ボランティア活動の現場において、里山を生態学的な観点から評価し、健全な方向へと水路づけようとする力(生態学的ポリティクス)を指摘した。さらに、その力に抗う方法として、里山保全活動の興隆を、市民が里山との関係性を豊かにするための運動として位置づけ直す見方を提示し、身近な環境調査を通して市民が里山をデザインするという可能性を示した。これにより、修士論文を書く際に抱えていた問題意識に対して、自分なりの答え方を示せたと思う。

2010年
■「生物多様性・里山の研究動向から考える人間-自然系の環境社会学」『環境社会学研究』16: 179-196. ←クリックするとCiNiiへ

市民活動を通して知り合ったある方から、「森の健康診断(矢作川流域)」(←クリックすると当時書いた記事が開く)について原稿を書くように依頼され、キーパーソンの丹羽健司さん(当時、矢作川水系森林ボランティア協議会代表)をはじめ、名古屋周辺で関係者数人を取材したことがある。その一環で、当時、名古屋市立大学にいらした香坂玲さんを訪ねてお話をうかがったとき、里山に関連する論文執筆の機会を探していらっしゃることを知った。しばらくして、里山に関する研究動向を学会誌に書くことになったとき、そのことを思い出して香坂さんに共同執筆を持ちかけた。すると話はトントン拍子に進み、書き上げたのがこの研究動向である。
環境社会学者と環境経済学者の共著というスタイルは珍しく、両分野の研究動向とアプローチの違いがわかるお得な論文である。私が書いたパートでは、里山ブームに乗じた里山礼賛論に対する本質主義的批判を、さらに批判するというかたちで議論を組み立てている。私の里山論の基本的なスタンスは、ここに示されていると言ってよい。
研究動向という形式であるが、文系里山論のレビュー論文として価値があると思う。草稿を読んでいただいたある方からは「今後この論文が一つの道標として、さらなる研究が行われると思います」と、ありがたいコメントをいただいたが、私もそのように自己評価している。今後の文系里山論は、ここで示した水準を軽々と超えていってほしい。

■「里山保全のための市民参加」木平勇吉編『みどりの市民参加―森と社会の未来をひらく』日本林業調査会: 51-68. ←クリックでAmazonへ

本の紹介はコラムの「第15回」(←クリック)を参照のこと。
タイトルは編者に与えられていたが、内容はかなり自由に書かせていただいた。議論は粗いが、言いたいことは言えたという論文。
平塚市博物館の故・浜口哲一さんに「国有林をめぐる市民運動と国の対立などを振り返りながら、なぜ市民参加が求められるようになったかをとらえ、市民による具体的な保全運動の系譜や、その意義についての理論的な論点も含めて簡潔にまとめられ、里山に関わる人には必読の一文になっている」と評されたのは、本当に嬉しかった。
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2013年
「環境統治性の進化に応じた公共性の転換へ―横浜市内の里山ガバナンスの同時代史から」宮内泰介編『なぜ環境保全はうまくいかないのか―現場から考える「順応的ガバナンス」の可能性』新泉社: 222-246. ←クリックでAmazonへ

この論文では、2010年に書いた「里山保全のための市民参加」で書きたかったことを、さらに議論を精密に、かつ深化させるように努めた。
環境統治性という概念が魅力的なので、この用語に頼りたくなるが、私がこだわりたかったのは、そうした分析の切れ味ではない。あくまでも、現場の歪みやそこで活動する人びとの声をすくうように心がけた。だから、脱稿したときには、学術的に優れた論文を書き上げたという感触ではなく、NORAの立ち上げメンバーである吉武さんや十文字さんなどに対するリスペクトを、論文のかたちで表現できたという感慨があった。形式的には堅いが、気持ちを込めて書くことができたように思う。
私の論文の出来はさておき、本書は自然再生、獣害対策、自然資源管理など、環境保全を考えたいならば、ぜひ読むべきであろう。キーワードは順応的ガバナンス。すなわち、「環境保全や自然資源管理のための社会的しくみ、制度、価値を、その地域ごとその時代ごとに順応的に変化させながら、試行錯誤していく協働のガバナンスのあり方」である。編者の宮内泰介さんのコーディネートにより、うまいバランスで豊富な事例が集められ、各章が響き合いながら議論されている。協働のガバナンスが求められる現代の環境保全は、本書を抜きにして語れないと思う。
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2015年
■「里山の遺産を生かしたコミュニティの可能性―持続可能な地域づくりの観点から」堀芳枝編『学生のためのピース・ノート2』コモンズ: 185-202. ←クリックでAmazonへ

草稿はコラムの「寄り道16」(←クリック)に掲載した。本の紹介はコラムの「第62回」(←クリック)をご覧ください。
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■「地域主体の生物多様性保全」大沼あゆみ・栗山浩一編『シリーズ環境政策の新地平 4 生物多様性を保全する』岩波書店: 99-120. ←クリックでAmazonへ

もともと他の方に原稿を依頼する予定だったのが、忙しくて断られたために私にお鉢が回ってきて書いたものだ。タイトルが気に入らないが、これは変更できなかった。
環境経済・政策学のテキストという位置づけなので、標準的な議論を紹介する部分と、自分の視点を入れる部分とを、どういう案配にするか悩んだ。それでも、その中にあって私が書くのだから、社会学的な議論の特徴、経済学とのアプローチの違いを強く意識した。同じ巻に書いた福永真弓さんに言わせれば、「ゴリゴリとした議論をしている」とのこと。
それは、社会学的な議論をけっこう入れ込んでいるということだろうが、私としてはバランスを考えて、議論の精密さよりも分かりやすさを優先した部分が少なくない。環境社会学者にとっては当たり前な議論が多いので、環境経済学者がどう読んだのか伺いたい。
この本は、福永さんが書いた章以外ほとんど読んでいないので、本書の評価についてはコメントできない。私が書いた章の概要は次のとおり。

今日、生物多様性の保全は地球規模で解決すべき重要課題の1つとされ、世界中の個別地域では、そのための具体的の取り組みが求められている。生物多様性を保全するには、政府が主導するようなトップダウン型と、地域主体のボトムアップ型が理念的に想定されるが、近年では後者による取り組みが支持される傾向にある。しかし、生物多様性の保全は、いつどこにおいても、この方式を現場に適用すればよいというものではない。
そこで本章では、生物多様性という概念が登場した経緯や、生物資源の管理をめぐるコモンズ論の議論を整理して、地域における生物多様性保全の意味を社会学的に問うことから始める。そして、社会―生態システムというモデルを用いて、地域社会と生物多様性のあり方について考察する。ここでは、野生動物保全政策や環境統治性の議論なども参照しながら、なぜ地域主体の生物多様性保全が望まれるようになってきたのか、また、この考え方は妥当なのかなどについて論じる。さらに、生物多様性という観点から注目されている里山に焦点を当て、日本の里山保全にかかわる政策や運動などを取り上げ、その意義や可能性、限界などにも触れる。最後に、地域主体による生物多様性保全が目標とすべき仕組みとして順応的ガバナンスを挙げ、これに向かうための実践的な課題をまとめる。

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私が書いた里山論のうち、紹介すべきはこれくらい。
とり急ぎ、こんなところで。

(松村正治)

雨の日も里山三昧