第二十四話 水の流れは、谷戸からまちへ
2015.8.31水の流れは絶えずして
以前も書いたことですが、横浜の河川は、谷戸を源流として、東京湾、相模湾に流れ込みます。
横浜では、谷戸を流れ出た小川は、「低地」とか「沖積平野」と呼ばれる標高の低い平らな土地で流れを集め、河川の本流に合流し、やがて海にたどり着きます。
横浜市域の地形区分 市域の7割を台地、丘陵が占め、臨海部や河川沿いに沖積平野が分布する
明治期以前、低地の大部分は、街道筋に住宅街があった程度で大部分は水田を主体とする農地として利用され、谷戸からの共有された水によって農地を潤していました。
明治15年頃の南区周辺 はまどま周辺の低地もまだ水田でした
(明治前期測量2万分の1 フランス式彩色地図, 日本地図センター)
市域の約7割を丘陵、台地で占める横浜では、開講当時、海や川に面し、平坦な土地がある低地では、から土地開発が行われましたが、戦後間もない頃までは、京浜臨海部以外の低地は、水田としての利用が多かったようです。
1951年頃の土地利用 臨海部以外の沖積低地では、水田が残存する。
しかし、昭和30年代以降、低地部の急速な開発と、今日のように下水が普及していなかったことから、家庭排水が川に流れ込み、河川は「どぶ川」と化していました。こどもの頃に、金沢区の平潟湾で奇形の「お化けハゼ」が釣れ、川が以上に臭かったことが思いおこされます。
また、土地を有効に利用するため、いわゆる3面コンクリート張りと呼ばれる、人工的な水路となり、「くさいものにはふたをしろ」 の如く多くの川が埋め立ての危機にありました。
現在、市内の河川では、水質も改善され、親水空間や生きものの生態系に配慮した河川改修も多く行われるようになってきたのは、下水道の普及に加え、多くの市民活動が河川環境の保全への参加によるもので、多自然型川づくりなど導入によって生きものが住める環境が取り戻せるようになったのは、1980年代後半になってからのことです。