08月26日 (水)|2009.8.26 今は、地産地消 崩壊前夜「宵宮」 その2
=「地産地消」はあたりまえか?=
Y150ヒルサイドエリアに、NORAのプロジェクト「竹の風ぐるま」ワークショップのスタッフとして参加していた時のこと。
愛知県、知多半島から、スタッフとして参加しにきたという20代とおぼしき女性との会話の中で、「東京の若い人たちと話す機会があったのですが、”これからは、地産地消が大切だ”ってしきりに言うのです。私には理解できません。地産地消って、あたりまえのことではないですか?」
そうです。あたりまえのことです。それが失われ、特別なことになってしまったのが現代だ、と私は思っていました。彼女は続けます。
「私は、野菜はもちろん、魚も牛乳も、卵も豚肉も牛肉も、みな身近なところでとれたものを食べて育ちました。そうでない食生活など考えられないのです。」
なんと?知多半島とは、そのようなところなのか!? さすがに驚きを隠せませんでした。大正か昭和初期の生まれの人ならばいざ知らず、私の子どものような世代でも、そのような食生活をしている日本人がいる。そんな食を選択している地域が、この国にあるのか、と。
私は、にわかには信じがたく、一度知多半島を訪ねてみたい、と思っています。なぜならば、「地産地消の食生活」とは、もはや工業製品化した畜産・酪農は別として、あるいは、冷凍保存・流通技術の進歩した水産物も除外して、少なくとも農産物であれば、その土地の気候風土に影響され、年中利用できない作物があるはずだからです。施設栽培といえども、全てをカバーすることはできないでしょう。
つまり、利用する側の献立・料理の工夫、選択抜きに、”あたりまえ”に、地産地消はできなくなっているのが現代の食糧流通の現実だと思うのです。 かつて、いやおうなく食糧の制約のあった時代には「あたりまえ」にならざるを得なかったのです。
ともあれ、地産地消とは、その土地、土地の特性に大きく影響を受けます。南北に長く、標高差のある日本列島では、制約が大きいほど、多様で個性的な食生活が、各地で営まれてきました。
神奈川では、そのようなものはすっかり失われてしまったかのように見えますが、水産物・畜産物を含め、実に多くの食糧生産が可能であることは、神奈川の食文化には制約が少ない、それが神奈川の個性なのだと思っています。
(ゆたぽん記 200900826)