第117回 中野剛志『変異する資本主義』

2023.11.1
雨の日も里山三昧

中野剛志『変異する資本主義』(2021年、ダイヤモンド社)

本書では、コロナパンデミックと中国の大国化を背景に、
新自由主義を掲げてグローバルに展開されてきた資本主義が、
近年大きく変異しつつあり、「社会主義」に向かっていることが説明される。

本書は2年前に出版されているので、
パンデミックが及ぼした影響についてはそのときの時評という側面もあって、
もう少し時間が経過しないと明らかにならない部分もある。
しかし、その点の評価を保留したとしても、
中国が経済的に軍事的に大国化してきたこと、
米国の経済政策がリベラリズムよりもリアリズムに基づいて
積極的な財政政策・産業政策を進めるようになってきたことは明らかであろう。
本書は、こうした世界の動きをあらためて理解した上で、
今後の社会のあり方を考えるためにはとても良い本である。

なお、ここで著者の言う「社会主義」とは、
シュンペーターが経済分析の概念として「生産過程の運営を何らかの
公的機関に委ねる制度」と定義した用法にならい、
イデオロギー的な意味や価値は削ぎ落とされている。
現実の資本主義はどこでも「社会主義」的な側面を含んでいる。
著者は、世界の構造的な変化を踏まえて考察した結果、
公的な経済運営や経済計画の役割が今後ますます大きくなることを予測し、
それを資本主義の「社会主義化」と呼んでいる。

私が本書を取りあげたのは、体制に批判的な議論が、
コロナパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻を経験しても、
新自由主義への批判に集中しているように思われるからである。
たしかに、そうした視点は2000年代~2010年代半ばは有効だっただろうが、
本書に詳しく書かれているように、新自由主義の本丸の米国では、
バイデン政権以降、経済・安全保障政策に変化が見られるし、
コロナ禍には、世界中の国が巨額な財政支出をおこなった。
また、国内でも積極財政派の主張が予算編成に強く現れるようになっている。
だから、私たちが考えるべきことは、新自由主義批判の先にあるはずであり、
本書はそれを考えるために必要な材料を多く提供してくれる。

著者の中野さんは、社会主義化が望ましいと主張しているわけではない。
近年のグローバル化の進展、中国の大国化などを鑑みると、
おのずと社会主義に向かって行くだろうと予想し、
その前提に立って、これからの日本社会のあり方を述べている。
結論部では、現在に日本国の姿を憂いつつ、今後の国のあり方として、
は国家の統治能力を高めながら、積極的に産業政策を講じ、
軍事力を増強していくことが述べられている。
すなわち、隣国・中国に対抗できる国づくりの必要性が訴えられている。
このロジックは理解できる。

著者は、本格的な主著『富国と強兵:地政経済学序説』のほか、
一般向けに新書、ビジネス書なども執筆され、きわめて多作であるが、
このように書き続けなければならない動機は憂国にあるだろう。
おそらく、経済安全保障の分野に通じた専門家・国民を育て、
早急に国家を改造しなければと考えているのではないだろうか。
その切迫感や危機感は、私も一部共有している。
また、主張に賛同するかどうかは別にして、
著者の本を読むと情報量が多く、情報源となる出典もきちんと明示され、
さまざまな論点を含む複雑な問題であっても、
それを適切に整理して論理的に記述する力は抜群である。

さて、リアリズムの立場から考える著者に対して、
私はそれでもリベラリズムの立場から考えたい。
リベラリズムとは多様に解釈される言葉であるが、
ここでの意味は、私とあなたが入れ替わってもなお
その主張は語れるのかという自省を含む水準で考える立場といえよう。

政治哲学におけるリベラリズムとコミュニタリアニズムとの論争、
特にロールズの『正義論』に向けられた批判を知らないわけではない。
それでもなお、「無知のベール」に象徴されるリベラリズムのアイデアは、
これからの社会を作っていくときの基盤として大事にしたいと考えている。
私たちが現在直面している社会の問題は解決しようとするとき、
それぞれのコミュニティの歴史的・社会的な文脈を踏まえることを前提とした、
多文化主義が「政治的に正しい」態度となっている。
しかし、それぞれ一理あるとする物わかりの良い多文化主義は、
コミュニティ間に働く権力関係の軽視に陥りやすい。
今日のグローバルな社会経済の格差、地球環境の危機などを踏まえると、
不公正といえる権力勾配を正すことが必要と思われる。
近年、気候市民会議に象徴的に見られるように社会参加にくじ引きを導入することは、
交換可能性を重視して社会を構想する手法であり、
リベラリズム的には興味深い。

私は、現在の日本の状況からすると、財政再建よりも積極財政を支持したい。
しかし、どちらの経済政策が妥当かどうかよりも、
そのための議論や対話が少ないことが問題だと感じている。
来年度予算の特徴として、
防衛費増額、GX(グリーントランスフォーメーション)を挙げることができるが、
国内の議論は盛り上がらなかった。
国のあり方に大きく影響を与える内容であるのだから、
国会論戦に期待するのではなく、あちこちで丁寧な対話を重ねながら、
コンセンサスを作っていくことが大事だと考える。

著者の言うとおり、当面は望むと望まざるとにかかわらず、
各国で社会主義化が進むことは避けがたいように思われる。
それを国家の強大化、ひいては軍事国家化ではなく、
国家を民主的に運営する方向へと(社会民主主義?)進められないだろうか。
たしかに、政治的リーダーが決断よく決めていく社会は効率的に見えるが、
複雑な社会をトップダウンで運営できるとは思えない。
正解のない問題に対しては、少数精鋭で解を導き出すのではなく、
問題を一緒に考える仲間を増やすことが重要ではないだろうか。
その方が、1人ひとりの学びが深くなるし、
社会全体のレジリエンス(回復力)も高くなるだろう。

こうした自分の考えを、実践を通して補強したいと考え、
私は里山保全運動に取り組んできたのだが、
人と自然が共生する持続可能なコミュニティのモデルづくりにはほど遠い。
しかし、先を急いでは、自分の考えを否定することになる。
前に進むためには、他人との対話、自然との対話、
そして自分との対話が何よりも必要だと考え、
あらためて、1つひとつの場と機会を大事にしていきたい。

(松村正治)

雨の日も里山三昧