第114回 石田紀郎『現場とつながる学者人生』

2023.2.1
雨の日も里山三昧

石田紀郎『現場とつながる学者人生』(2018年、藤原書店)

昨年11月から「環境運動のパブリックヒストリー」というタイトルで、市民向けのオンライン講座を開いている。
隔週で6回連続講座を開催して一区切りになるのでPart1は1月に終了、Part2は3月~5月に開講する予定である。
そのPart1の最終回、1月10日にゲストとしてお迎えしたのが本書の著者・石田紀郎さんであった。

本書には、石田さんが公害・環境問題の現場に立ち、これまで取り組まれてきたことが、ほぼ時系列に沿って表されている。
たとえば、公害被害地への支援、省農薬のミカン栽培、琵琶湖汚染調査、合成洗剤追放・石けん運動、「原爆の図」展の開催、環境生協の設立、アラル海の環境被害調査、旧湖底砂漠への植樹、市民環境研究所の開設、フクシマへの発言など。
さまざまな現場に寄り添い、現実の社会・環境を変えるために働きかけてきた石田さんの行動力には驚嘆する。

この講座の企画を考え、ゲスト講師を探し始める人選を考えるまで石田さんのことは存じ上げなかった。
それでは、どのような経緯で石田さんをゲストに招くことになったのか。その経緯を記す前に、まずは「環境運動のパブリックヒストリー」という講座のねらいから説明しよう。
以下に転載するのは、第66回環境社会学会大会(法政大学市ヶ谷キャンパス、2022年12月11日)において、この講座開催について報告した際に、実践報告の要旨とした書いたものである。


近年、1960-70年代の学生運動やベトナム反戦運動などの「新しい社会運動」を対象とした研究が盛んになっている。その背景として、まずは運動の当事者たちが高齢となり、訃報に接する機会が増えてきたことがある。研究の基盤となる資料が散逸しないように早急に収集・整理し、話者が生きているうちにインタビューをおこなう必要性に迫られている。つぎに、収集された資料の活用にも関心が集まっていることがある。2013年に公害教育を実施してきた組織によって公害資料館ネットワークが結成されたが、その中では反公害運動の資料の活用が重要な課題となっている。行政が管理する資料館では、資料展示を通して公害を克服した成功の物語が強く押し出され、現在も残る被害の実態はほとんど伝えられていない。公共性が求められる資料館にとって、過去の運動資料をどのように提示し、どのように学ぶ場を作るのかという問題は切実である(安藤ほか編 2021)。このような論点は、世界的に関心が広がっているパブリックヒストリーの中心的な主題と重なり、学問の世界に留まらない関心事となっている(菅・北條 2019)。
本実践は、こうした社会運動史やパブリックヒストリーの研究動向に刺激を受けつつ、これまで積極的には研究対象とされてこなかった「環境保全活動」に焦点を当てようとしている。この集合行為は、1960-70年代に「新しい社会運動」として広がった「自然保護運動」と比較することで、その特徴が明らかになる。すなわち、守るべき対象は「自然」から人間社会を取りまく「環境」へ、人為的な影響からの「保護」だけでなく人為的介入も評価する「保全」へ、社会変革を目ざす「運動」から誰もが参加しやすい「活動」へ、という変化が認められる。この運動の対象・手法・志向の変化は、1970-80年代にかけて日本の社会運動のタイプが目的達成型から自己表出型へ変質したという見方と重なる(長谷川編 2020)。
運動(=活動)タイプの変化に対しては、社会運動史研究の中でも評価が分かれている。一方では、ここに住民運動から市民運動へ、さらに市民活動へという発展段階を見て、地域エゴに基づく抵抗運動から普遍的な価値にもとづく参加型の活動へ進化したと肯定的に評価する向きもある(帯刀・北川編 2004)。他方では、新自由主義的な行政経営手法の進展とともに、政府にとって都合の良いボランタリーな市民の「活動」が促進されたという共振構造が批判的に指摘される。日本の環境ガバナンスの歴史を分析した藤田研二郎は、そうした社会構造の中で、1990年代後半以降の環境運動をリードした環境NPOは行政が果たすべき役割を安く引き受けた上に、環境改善の効果は乏しかったと評価した(藤田 2021)。
本実践では、前者の段階論的な解釈を退け、後者のマクロ的な構造分析を真摯に受けとめながらも、運動の因果関係を説明する動員論とは異なるアプローチを志向している。なぜなら、環境保全活動の意義は、目標を達成したかどうかという視点から評価するだけでは十分に把握できないと考えるからである。社会運動論は、なぜ成功/失敗したのかを説明する研究と、どのような意義・意味があるのかを解釈する研究に大別されるが、当時の環境保全活動のリアリティに迫るためには、運動の社会的な意義や当事者にとっての運動経験の意味を解釈する方法論が求められる(濱西 2018)。
その解釈のヒントになりうるのが、小杉亮子による東大闘争の研究である。小杉はデヴィッド・グレーバーの社会運動論を参照し、戦略的政治の観点からは失敗に終わった東大闘争について、当事者の語りと闘争後の各自の歩みをもとに予示的政治の有り様を描いた。この研究は、後続世代が否定的な集合的記憶を乗り越え、当時の学生運動を理解する材料を提供したパブリックヒストリーとしても読める(小杉 2019)。また、ほかに参照すべき研究として、2000年頃の日本のコモンズ論がある。当時、森里川海の自然資源に関して、近代的な所有権に則って所有者が土地を管理するのではなく、その土地に深くかかわる者が管理する新たなコモンズの創出に期待が寄せられた(井上・宮内編 2001)。こうした議論は、環境保全活動が自然保護運動の系譜に位置するだけでなく、公有地や私有地を適切に共有化(コモニング)する運動でもあることに気づかされる。
以上の検討を踏まえた本実践は、これまでの環境運動史研究では否定的に論じられてきた運動性の弱い環境保全活動について、当事者の視点や経験に内在しながら予示的政治とコモニングを手掛かりに、この運動の意味を理解しようとするものである。
NPAでは1期6回(約3ヶ月)で一区切りとなる講座を組む必要があるので、今期(第8期)は1970-80年代に始まり、その後も影響力を持った有機農業運動、産直運動、里山保全運動などを取りあげた。今後、同じタイトルで1970-2010年代をカバーできるように複数期にわたる連続講座を企画し、1980-90年代に拡大した環境保全活動の特徴が浮き彫りになるように努めたい。


近年、環境問題の解決を考えるときに注目されているのはビジネスの力である。環境分野の行政計画を読むと、いかに企業の資金や稼ぐ力を生かせるのかに躍起になっていることがわかる。
たしかに、環境問題を考える際に企業の取り組みは重要に違いないが、その企業におもねる姿勢が、人びとが積み重ねてきた環境運動への軽視や否定的な評価に繋がっているようにも感じられる。そうした問題意識から、私は環境運動の実践者として、環境運動の歴史を記録にとどめて、これからの環境・社会について構想する際に生かしたいと考えた。

日本の環境運動をさかのぼれば、足尾鉱毒事件に挑んだ田中正造が思い浮かぶが、今日につながる運動の源流は「1968年」に象徴される新しい社会運動であろう。
新しい社会運動は、労働運動や政治運動など従来型の社会運動とは扱う問題も担い手も異なる運動である。
その中で、人種差別、性差別、マイノリティ問題、反戦・平和などの運動とともに、反公害、自然保護、反原発、有機農業など、多様な「環境運動」が展開された。
そこで、この講座では「1968年」以降の環境運動を取りあげることにした。
さまざまな関係者にご協力いただきながら、水俣や三里塚で始まった有機農業、都市住民による自給農場、脱原発・自然エネルギーの推進、里山保全運動のゲストは決まったが、琵琶湖の石けん運動についてはゲストの人選に難航した。さいわい、村上悟さん(NPO法人碧いびわ湖)と繋がることができ、その村上さんから石田紀郎さんをご紹介いただき、お二人の対談形式で講座を組むことになった。

石けん運動に代表される環境県滋賀といえば、武村正義さん、細谷卓爾さん、藤井絢子さんなどがキーパーソンとして知られている。
しかし、村上さんによれば、石田紀郎さんが隠れキーパーソンとして活動されていたことも、運動が広がった要因として大きいという。
実際、本書を読むと、村上さんがそのようにおっしゃる意味がよく理解できる。
また、「現場とつながる学者」といえば、宇井純さん、原田正純さんなどの名前が思い浮かぶが、この機会に石田紀郎さんの名前と石田さんの運動史を知ることができたのは良かった。

今日では、石田さんにように大学に身を置きながら現場に寄り添うことは困難になっている。
大学にもビジネスの力が求められるようになり、一人の人間として自らの発意から社会・環境問題の解決に貢献できる余白が狭くなっていると思う。
時代が違うといえばそれまでだが、現在の大学・研究者のあり方の方が正しいとはとても言えない。
むしろ、以前は可能だった知的な貢献ができなくなっているならば、それは大学の劣化、社会の劣化であろう。

石田さんの多大な活動歴を読み終え、自分がやるべきこともいくつか整理できた。
たとえば、大学の施設・備品を、もっと社会のために柔軟に生かすこと。
社会問題の解決のために動く研究者有志のネットワークを強化すること。
知的生産と社会実践に向けて人びとが集う場をつくること。

まだまだ足りていない。
というより、取り組みたいことが多い。
これは幸いなことである。

(松村正治)

雨の日も里山三昧