第121回 遠藤邦夫『水俣病事件を旅する』

2022.10.1
雨の日も里山三昧

遠藤邦夫『水俣病事件を旅する―MEMORIES OF AN ACTIVIST』(2021年、国書刊行会)


著者は、1989年に水俣病センター相思社の職員となり、現在は理事を務めている。
本書は、水俣病被害者の支援に30年以上関わってきた一人の活動家(an activist)の視点から、水俣病事件を振り返り、今後の水俣社会のビジョンを示した優れた当事者研究である。
一読した感想は、非常に正直な本、であった。
それゆえに、いくつも重要な論点が示され、鋭く問題が提起されている。
宗教哲学者の鎌田東二が序文を寄せており、その中に記された評が的確だったので、いくつか抜粋して引用しよう。
「まじめすぎるくらい真面目でまっとうだ」「元新左翼の遠藤さんの批評は単なる対立者批判にとどまらない。徹底的な自己批判を伴っている」「自身の過ちやおもねりなど自分自身の問題点を抉り、容赦なく切り込み振り返っている点も重要だ」。
著者は水俣病を過去の歴史として閉じこめるのではなく、現在をよく生きるために、もう一つのこの世を未来につくるために、理想を現実的に考えている。
この思索の深さは、当事者ゆえに達することができたものに違いない。
しかし、本書は限られた読者にしか届かない私伝ではけっしてない。
多くの読者にとって他人事ではすまない問いが突きつけられている。

ただ、このように記すと、本書は四方八方に、そして自らにも刃を向ける厳しい批判の書という印象を与えるかもしれないが、そうではない。希望の書である。
著者は本書について次のように説明している。

私は水俣病事件の検証を行っていますが、それはチッソや国の責任を改めて確認するためではありません。水俣に生まれ育った人々が、水俣の未来にとって水俣病が意義あることを位置づける前提としたいからです。言葉を換えれば、水俣病の教訓をベースにした、水俣独自の新しい生活スタイルと暮らしやすいコミュニティーの実現です。

著者は、水俣の人びとが「水俣病は地域最大の文化資産」であると今日的課題を受けとめ、水俣病のことを、自分なりの言葉で人に語れる日が来ることを願っている。
本書は、これからの水俣病、これからの水俣社会について考えるためには必読である。

本書の特長を示すために、ひとつ例を示そう。
水俣病事件を扱う場合、まずは加害企業のチッソや被害の拡大を招いた行政に批判の矛先が向かう。チッソが水俣病の原因究明を妨害し、隠蔽してきたことは犯罪であり、行政も被害の拡大を防止する責任を果たさなかったことは明白である。
また、チッソの企業城下町である水俣に暮らす市民から被害者は差別され、家族・親族からも遠ざけられた。水俣では「市民運動」が被害者運動と対立した。このため、多くの水俣市民もまた、チッソや国・県などと同じように「敵」とみなされることが普通だった。

2019年3月、チッソ正門近くの国道沿いの人目に付きやすいところに「メチル水銀中毒症へ 病名改正を求める!! 水俣市民の会」という看板が立てられた。
このような病名変更運動の歴史は古く、水俣病の公式確認の2年後の1958年頃までさかのぼることができる。
市議会で議論されたこともあるし、1970年代には病名変更運動を市長が後押しして有権者の7割を超える署名を集めたこともある。
こうした「市民」の運動に対して、たとえば、水俣病研究の第一人者の故原田正純さんは「差別と偏見は確かにある」と理解を示しながら、「病名を変えればいいというものではないはずだ」と述べる。
(「水俣病「改称」なぜ今 チッソ子会社近く、有志が看板設置」『西日本新聞』2019.6.4)

まったく正しい認識だと思う。
しかし、著者はこのように声を挙げた人の側にもう一歩近づこうとする。
そして、水俣社会に生まれ育った人びとが水俣病から受けた心の傷について自らに引き寄せ、その痛みを感じようと努めながら考えている。
水俣病事件は、被害者はもちろん、水俣社会に暮らす人びとに、いわば集合的トラウマを与えた。
トラウマを抱えたコミュニティの中で、心の傷を受けた人びとが回復していくためには、ただ差別したことを批判して済ますわけにはいかない。
成元哲・牛島佳代「トラウマを抱えたコミュニティ―集合的トラウマの社会学」に刺激を受けた)
病名を変更すればいいというものではない、と冷静に分析するだけでは足りない。
著者は、なぜその人が差別したのか、今でも水俣病という名称をメチル水銀中毒に変えようとするのか。その心のうちを理解しようとする。
さらに、対話しようと呼びかける。
この真摯な向き合い方に、私は深く共感する。

このような姿勢ゆえに、水俣病を被害者に寄りそって調査研究してきた研究者や支援者に対しても批判の矛先は向かう。
すなわち、「水俣病は終わっていない」「水俣病事件の全貌は解明されていない」という呪文が慣用的に使われているだけで、「水俣病はどうすれば終わるのか」「水俣病事件の全貌とは何を指しているのか」という最小限の自問すら検討されていないと手厳しい。
一方、著者の主題は明確である。
水俣の人びとが豊かな未来を構想するにためには、過去の水俣、水俣病を事実として受けとめる必要がある。
しかし、水俣の人びとにとって、水俣病は考えたくない、触りたくないものとして定着しており、思考停止に陥っている。この思考停止を突破する方法として、「水俣病は地域最大の資産だ」と人びとが了解することによる水俣らしい地域振興、暮らしの充実を提唱している。
著者は、「水俣病は地域最大の資産だ」を事実として示しているのではなく、水俣の内発的な発展を促す仕掛けとして試案を展開している。
このような提案の仕方にも、著者の誠実さを感じる。

1990年代以降の水俣では、吉井正澄市長時代に始まった「もやい直し」事業が注目された。
吉井は、水俣病という強烈なマイナスの個性をプラスの構成に価値転換していく過程が「新しい水俣づくり」であると考えた。そして、自ら市民から忌み嫌われた水俣病に向き合い、水俣病によって傷ついた人びとの関係を修復しようと努めた。
著者が働いていた相思社は、職員の吉本哲郎を介して地元学に取り組むなど、新しい水俣づくりに関わっていった。
しかし、2002年の市長退陣以降、「もやい直し」は次第に風化し、現在では失速したと考えられている。この現状に対して、著者は歯がゆさとも、いら立ちとも言えない感情を抱いているようだ。
著者は「水俣病を肯定的文脈で受けとめるのか、否定的文脈で受けとめるのか、それは水俣に暮らす人々の選択です」と述べ、よそ者としてこれ以上踏み込むべきではないと自制しながらも、結論では「水俣病を文化資本として位置づけるならば、水俣オリジナルな文化的・経済的展開があることを確信しています」と自分の信念をあらためて述べている。
この「旅する」者が深入りした地域に対して必然的に抱える切ない思いが、正直で愛おしい。

以上で言いたいことはだいたい言えたので、あとは著者の見識にハッとさせられた点をいくつか紹介したい。
1つ目は、水俣病の画期を5つに整理してみせたこと。
すなわち、①1959年」という水俣病の特異年、②1968年の国による公害認定、③1971年の川本輝夫ら「自主交渉派」の登場、④1977年の環境庁による水俣病の「判断条件」の公表、⑤1991年の「中央公害対策審議会答申」という分け方で、著者の独自性が表れている。
2つ目は、水俣病事件に関わる道を3つに分けたこと。
すなわち、①運動の制度化を批判し水俣病事件の枠組みを責任追及から人間の存在を問うことに転換した緒方正人の「魂の道」、②水俣病関西訴訟や第二世代訴訟とそれを応援している人びとのチッソ・国の責任を問う「ファンダメンタリズムの道」、③相思社や水俣病被害者の会などがとった被害者の利益と水俣病事件の反省を社会生活に反映させようとする「世俗の道」である。これも独自性が高く、考えさせられる分類である。
3つ目は、水俣病事件が生み出したオリジナルな思想として、①1969-73年の熊本の「水俣病を告発する会」(渡辺京二など)による「惻隠の情」、②1971-73年の自主交渉派の「相対の思想」、③1985年以降の緒方正人が見いだした「魂の道=もよって還る思想」の3つだけだったと総括していること。これも大胆な見方であるが、それぞれ水俣病事件を引き起こした社会の問題性をえぐり、近代を超える回路を模索した思想であることは間違いない。
このような切れ味は、何ごとにも慎重な研究者では示すことができない芸当である。
さらに、4つ目として、補遺に描かれた「水俣病事件主体関係図」も挙げておこう。①被害者、②加害者チッソ、③水俣に生まれた人、④国・熊本県・水俣市の行政4者の関係について、ステレオタイプの図式的理解を踏まえて、著者が思う望ましいあり方を示している。このシンプルな図式的な理解は、ビジョンを考える上で役立つはずである。

ほかにも、いろいろと関心を持った箇所はあったけれども切りがないので、私がもっとも素敵だと思った文章を引用して、そろそろ終わりにしたい。
エピローグの最終段落に、かつてマルクス・レーニン主義の影響から唯物論者だった著者が、心変わりしたくだりが記されている。

唯物論者だった私が、神様のことに気をかけるようになったのは、水俣に暮らすようになったおかげです。「宗教はアヘンだ」で済ませてきた半生だったのですが、水俣に来て神様を大事にする人々に出会い、人が大事にしていることを尊重しないような人間は、一人前の人間ではないとやっと分かりました。

本書は、著者が水俣病事件を旅しながら、人間として成長していった軌跡としても読める。
すると、本書の内容は水俣病や水俣の地域社会に関心を持つ人はもちろん、もっと広く旅をしながら他者と出会い人間的に成長したいと願うすべての人びとにも響くだろう。
それだけの人びとにも届く思索の深さが本書にはある。
水俣病事件を理解するうえで必要な出来事や周辺情報は、34ページにわたる註として心憎いほど丁寧に解説されている。
全体の構成は読みやすいとは言えないが、論旨は明快なのですっきりと読み通せる。
なによりも、読者に自分の考えを届けようとする真摯さが痛いほど伝わってくるので、著者の思いを想像すると涙が出てしまうほどだ。

著者と面識はないけれども、最後に名前を呼びかけさせてください。
遠藤邦夫さん、素敵な本を届けてくださり、ありがとうございました。
(松村正治)

雨の日も里山三昧