寄り道53 聞き書き甲子園20年の経験から学ぶ
2021.12.30雨の日も里山三昧
先日、私がコーディネーターを務めている梨の木ピースアカデミー(NPA)の講座「誰ひとり取り残さない環境論」に、NPO法人共存の森ネットワーク事務局長の吉野奈保子さんをゲストにお迎えした。
今年ちょうど20周年を迎えた聞き書き甲子園の実績をもとに、これからの私たちの生き方や社会のあり方について考えるという内容だった。
聞き書き甲子園とは、全国の高校生が農山漁村で暮らす「名人」を訪ね、一対一で、その知恵と技、心を「聞き書き」し、発信するプロジェクトである。
2002年の開始当初は林野庁・文部省主催による「森の聞き書き甲子園」だったが、その後は水産庁の協力を得て「海・川の聞き書き甲子園」を実施、2011年からは森と海・川を合わせて「聞き書き甲子園」となっている。
私もこのプロジェクトには始まったときから関心を持っていて、2011年にはドキュメンタリー映画『森聞き』が公開されたときには、勤務先の大学に映画に登場している学生が在籍していたこともあって、学内で上映会を開催したこともある。
このプロジェクトについて、「名人」の言葉を「聞き書き」というかたちで記録すること自体に大きな価値があることは疑いようもない。
一方で、このプロジェクトに参加した高校生にとっては、どのような意味や価値があったのだろうか。
これまで私と面識のある経験者は『森聞き』に出演していたOGだけだったので、この問いに肯定的に答える自信がなかった。
そこで、今年9月に聞き書き甲子園20周年企画「「聞く」と「書く」のあいだ展」が都心で開かれたので足を運んでみた。
若い感性が発揮された工夫を凝らした展示を見て、また経験者のスタッフと話しているうちに、彼ら・彼女らの中に存在する確かな自信を感じることができた。
また、このときにスタッフの方からいただいた非売品の冊子「働くことは、生きること」がよかった。
80組の名人と高校生の出会いが、1ページずつ鮮やかな写真とともにまとめられている。
名人の仕事は、林業、製材、椎茸栽培、山菜採り、狩猟、漁業、養殖、川漁、海女、ろくろ工芸、漆掻き、弓づくり、枡づくり、菅笠づくり、藁細工、刺し子、紙漉きなど多種多様で、聞き書き甲子園の魅力がよく伝わってくる。
これまで聞き書き甲子園では約1750の作品を生みだしているが、その作品の数だけの人と人の出会いには、静かにゆっくりと社会を変えていく力があると思われる。
さて、今回あらためて吉野さんからお話をうかがって、いろいろな発見があったので、それをまとめておこう。
高校生が「名人」の話を聞いて書くというプロジェクトは、多くの聞き書き作品を手がけてきた作家の塩野米松さんの提案から始まったという。
それでは、塩野さんのアイデアは何かを参考にしたものだろうか。
答えはイエスで、この聞き書き甲子園には、米国のフォックスファイヤーというモデルがあったということだった。
吉野さんの話とフォックスファイヤーのウェブサイトによると、1966年、勉強しない生徒たちに苦労している高校の先生が、学校をもっと面白くするために何をしたらいいかを尋ねた。
すると、生徒たちは地域に残る昔からの技術を聞いてレポートにまとめ、さらに寄付を集めて雑誌を出版することにした。
このプロジェクトは今でも続いており、伝統技術を体験できる野外博物館もある。
米国版聞き書き甲子園には、すでに半世紀以上の歴史があるのだ。
塩野さんは、フォックスファイヤーのことをよく知っていたので、日本でも聞き書きの教育的な可能性を開こうとしたのであろう。
興味深い事例なので、今後、もう少し調べてみたい。
つぎの発見は、高校生が聞き書きした作品の生かし方についてである。
現在、聞き書き電子図書館で約1,500の作品を読むことができるが、無料で読めるのはプロフィールまでで、全文読むためには閲覧登録するか、NPO法人共存の森ネットワークの正会員になる必要がある。
プライバシーを配慮する必要性などから、無料で公開していないということだが、貴重な記録なのでぜひ生かしてほしいと、私も生かしたいと思う。
そこで、聞き書きがどのように活用されているかと質問をしたところ、吉野さん自身が膝を打った例を教えてくださった。
それは、聞き書きをもとに朗読会を開く、あるいは芝居仕立てにして演じてみせるというものだった。
これを聞いて、私の前にパッと視野が開けたように感じた。
聞き書きとは、他者との協働制作である。
他者との対話であると同時に、自分との対話でもある。
これは実際に聞き書きを経験してみると、よくわかるはずである。
他者が発した言葉を、そこに込められたニュアンスや気持ちも丁寧に扱いつつ、自分の心が動かされたポイントや人生の物語が浮き上がるように、不要な部分を削除し、順序を入れ替えたりして文章を整えていく。
このような過程を経て共創された聞き書き作品には、普通に黙読するだけでは味わい尽くせない深さや奥行きが残る。
その部分まで感じ取ろうとするならば、聞き書きの追体験のような工程が必要になるだろう。
それを具体的に現したものが、朗読会や演劇なのだと思う。
私は20代の頃に芝居をやっていたことがあるので、かねてから歴史を学ぶ際に演劇的な手法を用いて何かできないかと考えていた。
今回、高校生たちが聞き書きを台本に演じた事例があることを知って刺激を受けたので、2022年中の目標に、コミュニティアーカイブと演劇的手法を用いて、パブリックヒストリーを実践することを掲げておきたい。
この目標を実現するためには、吉野さんたちが20年継続されてきた聞き書き甲子園プロジェクトの経験が非常に参考になるに違いない。
最後に、現在大学1年生のある聞き書き甲子園の経験者を紹介したい。
彼は、私が担当しているNPAの講座に学生ボランティアとして参加している。
彼は、海の名人を取材した。
その名人は、温暖化の影響で海水の温度が高まり、昔のように魚が獲れなくなったことをこぼす。
彼は、大きな主語で語られがちな地球環境の問題が、目の前で語って聞かせてくれる名人の生活に直接関わっていることに気づく。
また、広島出身の彼は、高校時代から被爆者の聞き書きもしている。
このように地に足の付いた経験を重ねつつ学んでいる若者の姿から、私は大いに刺激を受けている。
これからを考えるために、これまでを学ぶ必要がある。
しかし、これまでをどう学ぶのか。
この問いは、老いも若きもともに考える価値がある。
(松村正治)