第106回 安藤・林・丹野編『公害スタディーズ』
2021.11.1雨の日も里山三昧
安藤聡彦・林美帆・丹野春香編『公害スタディーズ:悶え、哀しみ、闘い、語りつぐ』(2021年、ころから)
近年、「公害」という言葉を見聞きする機会は減少し、社会の関心も薄らいでいるように思われる。
一方で、そうした動きに抗うかのように、2000年代以降、各地に公害資料館が建設されてきた。
本書は、このような背景を踏まえ、今の時代に「公害と出会い、向き合うための本」として企画された。
クラウドファンディングで出版費を募ったところ、目標額の250万円を超える330万円余りを集め、この10月に刊行された。
→<公害と出会い、向き合うための本>を出版したい
この本には、20代~80代の50名に及ぶ研究者、当事者、支援者などが原稿を寄せている。
私の知人も多く執筆に参加しているが、そのことを抜きにしても、公害を学ぶ上で格好のテキストと言える。
ぜひ多くの方に読んでいただければと思う。
本書は2部4章から構成されている。
第1部の「出会う」では、公害の多様性、多面性を知ることができる。
一般に公害といえば、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくと、4大公害病/公害裁判を挙げ、すでに終わった問題として済ませがちである。
このような常識的な理解に対して、本書は4大公害だけが公害ではないこと、さらに公害が終わっていないことをわかりやすく伝える。
第1章「生きることの危機:様々な公害」では、13の公害事例が取り上げられ、選りすぐりの執筆者によって簡潔かつ的確に説明される。短い文章の中にも大事なポイントが織り込まれており、読ませる内容となっている。
さまざまな公害の中には、4大公害、足尾鉱毒事件、カネミ油症など、以前から公害と呼ばれてきた問題のほかに、福島原発事故、アスベスト、化学物質過敏症、軍事基地なども含まれる。
今日、これらを公害として表現することは少ないが、公害という視点から捉えることで問題を引き起こした社会的な構造が浮かび上がってくる。
また、いくつもの公害事例を比較しながら読むことになるので、おのずと共通性や特異性などを考え、公害にアプローチする際の広い視野を得ることができる。
第1章を一読すれば、公害に対する常識的な理解が一変されるだろうし、これまで公害をしっかり学んできた人であっても、自らの知がアップデートされるに違いない。
第2章「語られた公害」では、被害者、支援者、加害企業など、それぞれの立場から、それぞれが直面した公害について語られる。この章は、立場による問題の捉え方の違いが伝わってくるだけではなく、立場の違いを越えていける可能性も示されている。
夫と娘を亡くした水俣病患者の上野エイ子さんの語りからは、ただただ厳しい公害の現実が突きつけられる。一方、新潟水俣病の患者さんを支援してきた旗野秀人さんの語りからは、そうした現実を受け止めつつも文化を創造して生きていく力に励まされる。
第1章は基本情報を提供する役割があるので、客観的な記述に努めようとした各執筆者の意思が伝わってくる。これに対して、第2章は立場の違いを前提としているので、第1章よりも書きぶりの違いが大きい。この点が、明らかにこの章の魅力を高めている。
それぞれの立場に気持ちを寄せながら文章を読み進めていくと、自分の中に振幅が起こる。その揺れを感じながら、自分だったらどのように考えて行動したのかと考える。公害を学びながら、おのずと自己を探究することになる。これは良い構成だと感じた。
もちろん、公害を学ぶならば、新幹線や飛行機等の高速交通がもたらす公害、日本の公害輸出、海外の公害事例など、あれこれ足りないとあげつらうことはできるだろう。
しかし、取り上げられた多様な公害を読めば、ほかの事例について考える際に応用がきくはずである。多くの事例をカバーするよりも、多様な事例と出会ったときの考え方を学べばよく、その点で本書は成功している。
第2部の「向き合う」では、出会った公害にどうアプローチすればよいのかを考えるための、さまざまなヒントが与えられる。
第3章「公害を探究する学び」では、公害記録の保存と活用、参加型学習・調査、スタディツアーなどの多様な学び方が紹介される。
第4章「公害と生きる」では、公害の経験をもとにした地域づくり、公害との向き合い方などが自由に語られる。
第2部は第1部と比べると、読み方は読み手に大きく開かれており、客観的に評価することは難しい。特に第4章は、まとまりがないとも言える。
また、公害を学ぶプログラムがいくつか紹介されているが、その示し方がやや浅いように感じる。狭義の公害教育の中では、いかに良いプログラムを提供しても届かない社会的な問題があると、その限界を積極的に提示する方が良かったのではないか。
ただ、そのようなことを思いつつも、全体としては次のように受け止めた。すなわち、多くの人びとが今もなお公害から学び、それを何らかのかたちで生かそうとしている多様な現実にふれることができた。それは驚きであり、そこに十分な価値があると信じている。
本書は、副題に「悶え、哀しみ、闘い、語りつぐ」とあるので、読むと暗い気持ちになると想像されるかもしれない。表紙から受けるイメージも、ちょっと怖い。
実際に読み通してみると、そんなことはない。私はむしろ温かい気持ちになった。執筆者たちの間に、公害から真摯に学ぶ同士としての一体感を感じるからである。
そして、本書の温かいコミュニティのような雰囲気を醸し出すのに、公害資料館ネットワーク(2013年設立)の存在は大きかったに違いない。
このネットワークは、「各地で実践されてきた「公害を伝える」取り組みを公害資料館ネットワーク内で共有して、多様な主体と連携・協働しながら、ともに二度と公害を起こさない未来を築く知恵を全国、そして世界に発信する」というビジョンを掲げて活動している。このネットワークのあり方が、本書に色濃く反映されているように思う。
本書刊行のためのクラウドファンディグのページに、環境倫理学者の鬼頭秀一さんが次のようなメッセージを寄せていた。すなわち、「これからの未来の社会を構想する基盤とは、一般的に理解されている「環境」ではなく、今回の企画の中心のコンセプトである「公害」だと思います」。ここに、公害から学ぶ現代の意味が端的に語られている。
「環境」問題は人間と環境の関係性に注目しがちであった。一方、「公害」は、人間と環境の関係よりもむしろ、人間社会の政治経済的な構造の問題を明らかにした。
SDGsは17の開発目標のリストではない。SDGsで求められる人権ベースの統合的アプローチとは、「公害」から突きつけられる問いに応えるかたちでなければならない。
いま公害を学ぶことは、過去の歴史を学ぶためというより、持続可能な未来をつくるために必要である。
本書は、そのためのテキストとして十分に期待にこたえてくれる。
(松村正治)