第54回 『ごちそうさん』
2014.4.1雨の日も里山三昧
『ごちそうさん』(2013年度下半期、NHK連続テレビ小説)
先日、最終回を迎えたNHKの朝ドラ『ごちそうさん』を取り上げます。
私が朝ドラを通しで見たのは、『ちゅらさん』以来2回目です。
『ちゅらさん』を見たのは、舞台となった沖縄県小浜島が私の研究フィールドで、
しかも放映期間が長期滞在しながら調査している最中だったからでした。
お世話になっている島の人びとが大勢エキストラとして参加していたので、
画面に誰が映るかどうか確認するのが楽しみでした。
一方、『ごちそうさん』は見たのは、脚本家が森下佳子さんだったからです。
森下さんは学生時代の同期で、彼女は文系、私は理系でしたが、
ともに劇団は違えども芝居をやっていたので知り合いでした。
在学中、森下さんは新たに劇団を立ち上げ、
その旗揚げ公演に出ないかと声を掛けられたことがあったのですが、
多忙を理由に断ってしまったことがあります。
今となっては、一度一緒に作品をつくる経験があったら良かったと思っています。
さて、脚本家としては、すでに『世界の中心で、愛をさけぶ』
『白夜行』『JIN-仁』などの民放のドラマでヒット作を手がけていたので、
NHKの朝ドラに森下さんが起用されたと知ったときは驚きませんでした。
ただし、こうした視聴率の高かったヒット作では、
ベストセラーとなった小説や漫画をもとに脚本が書かれていたので、
オリジナルの脚本がどのようなものになるのかに強い関心を持っていました。
学生時代を最後に会っていないので、
脚本を通して現在の森下さんを知ることができればと思い、
半年間、テレビを見続けました。
それも、普段、ドラマを見るときはストーリーを気にせず、
役者の演技だけを見ているのですが、
今回は逆に、役者の演技よりも脚本を気にしながら見ました。
さて、ドラマの前半は、短い幼少期の後、
大正時代の「はいからさん」的な世界の中で
女学校に通う主人公が帝大生と恋に落ちるという話から始まりました。
その後、幸せな家庭を築こうと夫の実家のある大阪へ引っ越したものの、
同居する義姉から妻として認められず、
いじめられるというドラマの王道のような流れでした。
関東大震災が発生し、被災者が大阪へ避難してくる場面や、
主人公の義父が働いていた鉱山で公害を引き起こしたことなども描かれましたが、
主として家族内の問題が扱われていました。
ところが、年が変わって1月の後半(設定は昭和15年)からは、
戦時中の家族や食生活が細かく描かれ、
おのずと社会的なテーマが扱われるようになりました。
これは、戦時色が強くなって私的な世界にも国家の影響が強くなってきた現れでした。
主人公は食べることが大好きで、美味しい料理を家族や周りの人のために作り、
「ごちそうさん」と言われることを最高の喜びとしています。
主人公は家族一人ひとりの生命に対して、
料理を毎日作るという彼女の唯一の取り柄で支えていました。
家族のために丹精込めて美味しい料理を作りたいのに、
戦時の国家総動員体制のもとで、それが叶わなくなっていきます。
食材が不足して料理の腕を振るうこともできず、
育てた子どもたち、そして夫も戦争に取られてしまいます。
こうした状況に対して主人公は、
天下国家を語るでもなく、戦争反対と叫ぶのでもなく、
ただ静かにいら立ち、怒っていました。
主人公の食に対する一貫した姿勢が、社会の情勢が変化すると、
反国家的に見えてくることを示していました。
『ごちそうさんメモリアルブック』には、
以下のような森下さんのインタビューが掲載されているそうですが、
たしかに、ここで引用されている言葉からは考えさせられることがあり、
脚本に反映されていると思います。
戦争にしても、子どもを持つ親の身としては避けてほしい。 実際に体験された方のご本の中に、戦争について 「命より大切なものがあると言って始め、 命ほど大事なものはないと言いながら終わるのが戦争」という言葉があり、 とても心に響きました。 そうした思いも脚本に反映しています。
(http://www.huffingtonpost.jp/shoji-akimoto/nhk-gochisosan_b_5047464.html)
一方、主人公の夫は、幼い頃に火事で母を亡くし、
安全で住み良い街をつくることを生きがいに勉強し、
公務員として大阪で建築の仕事に携わるようになりました。
その彼は、戦時中、防空法違反で逮捕されて「満州」へ送られました。
建築の安全性に関する専門家であったため、
空襲時に逃げずにとどまって消火することを義務づけた法律が、
助かる命も助けられなくなるものだと理解していました。
このため、防空訓練のときに、火を消さずに逃げるよう指示し、
防空法違反のかどで捕まってしまったのです。
この主人公の夫も、生命を守るという観点からおこなった行為が、
都市を守るために、御国を守るために、
生命を投げ出して消火活動をして持ち場を守れという、
戦時の法律と正面から対立したのでした。
ここにも、人びとの生命を守る街づくりが生きがいという主人公が、
社会情勢の変化によって、反国家的な存在となってしまったのです。
同様に、主人公も警察から摘発される場面がありました。
戦争が終わり、闇市で食事を提供していた主人公は、
警察の手合いに遭って、次のように啖呵を切りました。
食べるもん取られて、 家も、旦那も、子どもも、 何もかんも取られてここにおるんや! みんな・・・みんなそや! 死んでしまうから、してるんや! 私らに、これ以上死ね言うんか。 これが罪や言うんやったらな、 まず、飯食わせ、アホんだらー!
主人公のように、生きていく上で大事なことにこだわって生きていれば、
社会に向けて強く言いたくなること、
言わなければいけないと思うことが生ずるときもあるでしょう。
それが、あるときは反社会的な行為となりますが、
あるときは社会を変える力ともなります。
ここ十数年の間、私はこだわって生きることに、
こだわらないようにしていましたが、
国家の力が急速に強くなってきたご時世の中で、
生きていく上で大事な基本にはこだわりを持つことが大切だと感じています。
森下さんは、今回のドラマの執筆にあたって、次のようにコメントしています。
福島第一原発事故直後のこと、 ・・・(略)・・・ 「何故こんな事態になってしまったか」と、やり切れなさや怒り、 一人の大人としての反省を覚える一方で、 食材を求め奔走する母親たちの姿に、とてもプリミティブなものを感じました。 おそらく太古の昔から、母親ってこんな感じだったのではないでしょうか。 木の実を拾い、安全な湧き水を汲み、子供や家族を飢えから守ろうとした。 そして、父親は安全な土地を探し、風雨をしのぐ家を建て、 自然の脅威や襲い来るもろもろから子供や家族を守ろうとしてきた。 その為にはエゴイスティックな行動も取っただろう。 それ故に醜い争いも起こってきただろう。 けれども、そのマイナスも含めた上で、 大切な相手の「生を活かす」ことはやはり「愛」と呼ばれるものの 原型なのではないだろうか。
(http://www1.nhk.or.jp/gochisosan/info/)
最終回までドラマを見終えて、
この思いは脚本によく込められていたと思います。
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故により、
私たちは建物の安全性、食の安全性について、
それまで以上に気を配るようになりました。
私たちの生命を支える根源的=プリミティブなものを、
責任ある大人はきちんと守らなければいけない。
ドラマの脚本を通して私は、このようなメッセージを受け取りました。
森下さん、どうもありがとう。
(松村正治)