寄り道47 学ぶこと・伝えること
2020.9.1雨の日も里山三昧
退職後の約半年間、私は大学で消化できなかったサバティカル(長期休暇)のつもりで過ごしている。
実際に時間が与えられたとき、どこに気持ちが向かうのだろうかと、自分が試される期間であったように思う。
大学の仕事をあらかた辞めたのだから、残った時間で仕事づくりに進むかと思いきや、ほとんどお金を稼ぐことは考えなかった。
新たに始めたこと、これから始めようとしていることがあるけれど、儲からないか、持ち出す一方のことばかりである。せめて出ていく穴を塞ぎたいと、研究や活動の助成申請に追われている。
でも、ここ数年の間やろうと考えていてもできなかったことが、一気に進むようになってきた。
慣性方向から向きを変えるには、自分の力をためる時間、考える時間が必要だ。
そして、いま動き始めている実感がある。
1.NPO運営の仕組み化
まずは、NPOの運営について。
私がNORAの理事長を引き受けて15年、実質的に運営のトップを担うようになってからでも12年になるが、この間、スタッフの顔ぶれは大きくは変わっておらず、結果として、管理業務の属人化が進行している。また、毎年1年ずつ歳を重ねて、肉体的に無理が利かなくなってきており、これまでと同じやり方を続けていくことが難しくなってきている。
つまり、運営方法を変えていくことが求められるのだが、この課題に対しては、きわめてありきたりな2つのアプローチを取っている。
1つは、内部での役割分担と仕組みづくり。たとえば、8月から「はまどま」にコーディネーターを依頼したことや、今号からメールマガジンの編集・配信の仕組みを変えたのも、そうした取り組みの一環である。
もう1つは、外部との情報交換・共有。NORAのような小さなNPOは、個々バラバラに取り組んでいても管理業務に忙殺されるばかりだから、同じ方向へ行く団体とうまく連携してやっていきたいと思い、東京・神奈川・静岡・大阪・福岡の環境NPO運営スタッフ9人に声を掛け、知識や経験の共有と新しい協働を目指した懇談会を立ち上げた。まだ、始まったばかりであるが、毎月定例で開催していく予定である。それぞれが取り組みたい事業に集中できるよう合理的に、団体間でタテ(事業承継)+ヨコ(連携・グループ化)につなぐ仕組みを考えたい。
2.実践的な学びに適したオンデマンド型学習
後者のアプローチは、NPOの運営よりも私にとっては大きなテーマ、すなわち、広い意味で「学ぶこと」と深くかかわる。
私は20代後半になって自然地理学から社会学に文転したのだが、今になってあらためて理数系を学びたいという欲求が高まっている。特に、地理学への関心は冷めていないことから、地理情報システム(GIS)を習得したいという気持ちがある。また、統計やビッグデータへの興味もあるので、ある程度は学んでみたい。まるで、大学に入学したばかりの新入生のような気持ちだが、もっぱら質的調査に基づく環境社会学の研究を続けてきたためか、今は数字・量的データも積極的に扱いたいと思っている。
かつては、本格的なGISや統計の解析というと、高いソフトを購入しないとできないという印象が強かった。しかし今ならば、QGISやRといった汎用性の高い無料のアプリが世界中で使用されていて、ウェブ上にも多くの情報が存在しているので学習しやすくなっている。
それでも、技術的なことを学ぶには、テキストを読むだけでは不十分で、実際に操作してみるのが近道である。大学や職場など、その道の先を行っている先輩がいる環境ならば、困ったときにすぐに尋ねて、その場で解決できる。独習の場合、この点に大きな不利があった。
だからといって、大学(院)に行くには相応のお金がかかるし、今さらという気持ちもある。そこで、無料あるいは安く学べるところを探してみた。
まず、BSでも放映されている放送大学。そして、MOOC(大規模公開オンライン講座)。
放送大学は、しっかりとしたテキストがあるので学びやすそうだ。一応、授業の時間割が決められているが、録音・録画できるので、オンデマンド型に含めてもいいだろう。しかし、MOOCに比べるとコンテンツは少ないので、自分に合ったものがあるかどうかが鍵になる。
一方、MOOCで提供されているコンテンツは非常に多く、特にビッグデータや機械学習など新しい分野に強みがある。実際、PythonやRといった人気のプログラム言語やGIS関係を扱うコンテンツも少なくないし、玉石混淆に見えるけれども、たいていレビューが付いているので選びやすい。画面を操作しながら説明してくれる動画は、実践的な学びに適している。また、外国語で話されている動画であっても、自動翻訳のレベルが高まっているので、見ながら操作することが目的ならば付いていきやすい。
このようにオンデマンド型の学びであれば、いつでもどこでも可能だし、通学型に比べると一般的に費用は安く済むので、大人の学習方法として広く普及するといいと思う。
3.オンライン学習による教育機会格差の縮小
コロナの影響によって、ほとんどの大学は春学期(前期)の授業をオンラインで実施した。私は、Zoom、Google Meet、Google Classroomなどを使って、同時双方向型の授業をおこなった。学生は家に居ながらにして授業に参加できるので、おおむね出席率は高かった。また、適宜、質問を投げかけてチャットでコメントする機会を設けると、想像以上に多くの学生から意見や質問が届いたので、適宜、それらに応えながらライヴ感を感じて進めることができた。
一方、大規模な大学では、通信環境の問題などからオンデマンド型の授業を実施したところが多かった。あらかじめ録画しておいた動画をウェブ上にアップし、学生は空いている時間に視聴して課題に応えるというものだ。この方式については、時間に自由がきくので良いという学生もいれば、これでは通信教育と変わらないから対面式を導入して欲しい、不可能ならば授業料を安くして欲しいという要望を大学に伝える学生もいた。
もちろん、同時双方向型かオンデマンド型にかかわらず、多くの教員たちは慣れないオンライン授業に取り組むにあたって、さまざまな工夫を凝らしたと思う。なかには、対面型と遜色ない水準の授業を提供できたという例もあるだろう。しかし、ここでは対面型とオンライン型の優劣を付けることよりも、これらをうまく組み合わせて授業を展開すること、あるいは、学ぶことについて、前向きに考えた方が有意義にちがいない。
いわゆるマスプロ授業と呼ばれるような、教室に100名を越すほど多くの学生を収容し、教員が一方的に講義をおこなうようなものは、オンライン型(特にオンデマンド型)に置き換えて構わないだろう。大人数に同じ授業内容をいつでも提供できる点が、オンデマンド型の特徴なのだから、それを十分に生かせるはずである。このメリットは、学ぶ側にとって小さくない。地理的に遠い、時間が合わないといった理由で受講できなかった人が参加できるようになる。また、病気で外出できない人や、引きこもっていて教室に行けないという人にとっても、授業に出席できるチャンスが拡がる。こうした点は、教育格差を縮めることにつながるので、重要なポイントである。
4.オンラインで少人数で学び合う場づくり
それでは、ゼミはどうだろうか。大学の授業の中でも、少人数で学び合うゼミという形式は学生にとっても教員にとっても一般的に満足度が高い。また、回を重ねていけば、参加者の個性が見えてくるので、その場にいると気持ちのいいコミュニティにもなることもある。
ゼミについては、ZOOMやGoogle Meet等で代替できることは少なくないが、画面に映る画像の制約から、身体全体の様子や細かい表情までは伝わらないという課題は残る。ただし、こうしたデメリットを理解した上で、私はメリットの大きさも強く実感している。実際、ウェブ会議サービスの普及によって、これまで距離が離れていて、なかなか会えなかった人たちが、時間さえ合えば簡単に顔をそろえて話し合えることできるようになった。私が、ここ2ヶ月ほどの間に、いくつか少人数の学びの輪に参加したり、自分で始めることができたりしたのも、ZOOM等のお陰である。
たとえば、『みな、やっとの思いで坂をのぼる』の著者・永野三智さんを招いて、水俣について学習するという長野県の方が主催するサロン「まなび」。南房総の里山にある古民家「ヤマナハウス」に集う人たちが中心に、『忘れられた日本人』『無縁・公界・楽』など現代の古典を読んでいる「里山読書会」。これらは、ゲストとして参加しているものだが、ホストや世話人として始めたのが、先に述べた「環境NPO運営スタッフ談話会」であり、また、一期一会のゼミ的なイベントとして、歌人の弟と組んで開催した2回のイベントなどがある。
さらに、コロナ以前から続けていた小さな研究会も、私に時間ができたこととオンラインで話す頻度が高くなったことから、具体的に動きが生まれてきた。
1つは、「論文生産ゼミ」という私と3人の若手研究者による集まりのことである。これは、雑用に追われて研究できなくなりがちな環境であっても、定期的にゼミを開くことによりモチベーションを持ち続け、学術論文を書こうという目的で3年前に始めたものだ。これまでは、個々のテーマに基づいて発表して意見を交換するというオーソドックスなゼミスタイルだった。それが、私の提案で共同研究プロジェクトを起こして助成申請を出してみたところ、先日、内定を得ることができた。
また、多摩ニュータウンをフィールドに、学生実習などを通して調査を進めてきた教員3人による共同研究プロジェクトも動き始めている。コロナの影響で身動きがとりにくいなか、これまで収集した聞き取りデータをまとめようと考え始めていたところ、それが先月から急速に回転速度が早まり、地域の人びととを巻き込みながら、具体化に向けて話が進むようになってきた。
このように、オンラインでの「学び方」が浸透したことによって、講義を受ける側としては、これまで学ぶ機会を奪われていた人にチャンスが拡がったことは評価すべきだろう。また、対話を通して学んだり、考えを深めたりするときも、これまでよりも柔軟に人と人がつながるとともに、こまめに話し合うことができるようになり、その利点を生かせば、これまでよりも、よく学ぶことができるかもしれないと思っている。
これに対して、ウェブ会議では雑談できないという課題がしばしば挙げられる。私もそのように感じているけれども、ウェブでの雑談の仕方をまだ私たちが身につけていないだけではないかとも思っている。
5.オンライン学習による実体験の補完
オンラインでは代えがきかない学びとして、実体験がある。そもそも、実体験とはネットを介してではなく実際に体験するという意味だろうから、両者は排他的である。かりにAR(拡張現実)などの技術を使っても、リアルな体験と同様の学びを実現することは難しそうである。
しかし、実体験に勝るものはないことを認めたとしても、現実の問題として、コロナの影響によって活動は大きく制限されている。野山や草原などは密閉した環境ではないが、参加者が集まりすぎると密集・密接は避けられず、少人数での開催が求められる。リアルな実体験からより深い気づきや学びが得られるように、オンラインでできることはないだろうか。
このような方向性から取り組んでいることが2つある。
1つは、今月21日に開催するイベント「オンライン観察会を自分で試してみる実践ワークショップ」のように、現場に集まれない参加者がリモートでガイドを通して自然と出会うという試みである。もう1つは、リアルでの実体験が非日常的なイベントだと捉えて、むしろ日常的に家族や少人数グループでそれぞれが地域の自然や文化を体験できるように考えるというアプローチである。
後者の方向で現在検討を進めているのが、ウェブ上のマップづくりである。まだ、製作段階に入っていないが、これまで3年間、親子向けの自然体験・環境教育プログラムを実施してきた相模原市緑区の城山地区を紹介するウェブサイトを作る予定がある。サイトには、フットパスのマップを載せて、イベントに参加しなくても、この地区に残る里山を楽しめるような工夫を考えている。また、この地区で実施した体験プログラムのうち、家族や少人数でもできるような内容を動画で伝えることも検討している。
これとは別に、a-con(NPOコミュニケーション支援機構)というプロボノとのコラボプロジェクトでも、ウェブを通してリアルな実体験をどう促せるのかを検討している。これは、ほぼ隔週で打合せを重ねて、約3ヶ月で何かしらの成果を出して終了する短期集中型プロジェクトである。本業とは別に社会貢献に関わりたいという若い人たちとの協働作業は、経営合理的な企業的思考とのディスコミュニケーションも含めて、そのプロセス自体に大きな学びがある。
6.学ぶことと伝えること
以上のように、小さなプロジェクトがいくつか動き始めている。これらは大きく言えば、「学ぶこと」と関係していると言えるが、私は「伝えること」もまた重要な仕事だと考えている。
たとえば、先述した多摩ニュータウンにおける住民運動の社会史的研究では、調査データを活用して地域の方々や研究者などに伝えることを意識している。そのために、住民運動をリードした一人の女性に焦点をあて、彼女のライフヒストリーを軸として読みものとして読み応えのある成果物をまとめたい。また、あわせて収集したチラシやミニコミ誌等の住民資料のうち、公開できるものはデジタルアーカイブとして利用できるようにもしたいと考えている。
また、5年前からカネミ油症問題を調べており、この問題に大きな影響力を持ってきたカネミ油症被害者支援センターにかかわっているが、この団体のウェブサイトがほとんど更新されていないことから、今度サイトのリニューアルを担当することになった。ここでも、私が学んできたことを周りに伝えるために、このサイト再構築の機会を生かしたいと考えている。
さらに、城山地区の里山の魅力を伝えるサイトづくりも、同様の観点から取り組んでいる。3年間の事業を通して学んだことに新たな情報を付け加えて、マップと動画をPRできるサイトづくりをめざしている。
7.よく生きるとは
最近よく考えていることは、私たちは経験から、あるいは歴史から、よく学べるのかという問いである。
何のために学ぶのかと問われると、返答に困ってしまうが、とりあえずは、よく生きるためと答えてよいだろう。
それでは、よく生きるとはどういうことかと問われると、適当な言葉をすぐに与えることは難しい。
なぜ難しいのかと考えると、それは先に見えるようなものではないからではないか。つまり、よく生きるとは、学ぶこと・伝えることを真摯に求めていくというプロセスなのかもしれない。
(松村正治)