雨の日も里山三昧

第49回 『里山資本主義』(藻谷浩介・NHK広島取材班)

2013.10.1
雨の日も里山三昧

先日、中高・大学と同期の友人から、
「研修で藻谷さん(本書の著者)と一緒にいるところだけれど、
松村は『里山資本主義』を読んだ?」と連絡がありました。
本書が「発売1ヶ月で10万部突破!!」という派手な帯とともに、
本屋で平積みされているは知っていましたが、
尋ねられた時点では読んでいませんでした。
しかし、友人の「読んだ?」という尋ね方には、
「きっと読んでいるだろうから感想を聞かせて」という含意があると思われるので、
このたび読んでみることにしました。

著者たちが示している社会の進むべき方向性については、
基本的に私も同意します。
しかし、全体的には「里山」という言葉に、
多くの希望を詰め込まれ過ぎているように感じました。
「里山資本主義」は、リーマンショックで「マネー資本主義」の限界を
痛切に感じた著者たちが、そこから逆転して行き着いた造語です。
そのために、全体的にマネーvs里山という単純な図式になっていて、
「里山」をめぐる議論に親しんでいる者からすると
議論が雑に感じられます。

「課題先進国を救うモデル。その最先端は”里山”にあった!!」
「まったく新しい日本経済再生策!!」などと、
PR用のカバーには、威勢の良いことが書かれています。
しかし、紹介されている事例は、木質バイオマスを利用した発電・熱供給、
地産地消のジャム加工、耕作放棄地での放牧などで、
この手の話が好きで、地域の動きに敏感な人
(季刊『地域』(農文協)を読んでいるような人)には、
(面白いけれど、)かなり前から知っていたとか、
似たような事例は他にもあるというものです。
近年、地方でのユニークな取り組みを紹介するメディアは数多く、
事例紹介だけならば、もう十分にされていると思っています。
だから、こうした事例をもとにして、
議論をきちんと組み立てていく必要性があると思うのですが、
もともとテレビ制作のための取材をもとに書き下ろした、
キャンペーン的な性格の本なので、
その点で私の問題意識とはズレがありました。

本書でもっとも気になったことは、「里山」という言葉が指す対象です。
文脈によって、身近な自然、地方、地域、反マネー、反都会、
資源の有効利用(もったいない)、共同性、コミュニティ・・・などを
指しているように思いましたが、
これらを「里山」と呼ぶことは適当なのでしょうか。
私はピンとはきませんでしたが、
これらを総称するような言葉があるかというと、
あまり適当なものは思い浮かびません。
「地域」は、これらを広く示す言葉として多用されていますが、
何か問題があると「地域」という言葉を使って済ませてしまいがちで、
そのために、近年、説明力が乏しくなっている
マジックワードのように感じています。
「地域」よりも「里山」と言った方が、
自然との結びつきはよりイメージしやすいかもしれませんが、
問題解決の切り札として持ち出す機会が増えると、
この言葉の力も弱くなっていくでしょう。
本書では、「里山」「里山資本主義」という言葉を、
いわば運動のためのシンボル、キャッチフレーズとして用いているので、
それで構わないということなのでしょうが、
私のように「里山」という言葉を、
もう少し丁寧に使いたいと思っているタイプからすると、
この使い方に違和感を覚えます。

また、読んでいて疑問に思ったことは、
人びとが都会でないと豊かに生きられないと
今でも本気で思っているのだろうか、ということでした。
本書では、こうした考え方が、この100年の「常識」となっており、
それを覆す動きの象徴として「里山資本主義」を使っています。
このため、そうした「常識」を強固に信じている場合は、
目から鱗が落ちるのかもしれません。
しかし、そうした「常識」は社会不安を抑えるための「建前」であると
思っている人びとにとっては、
本書の書きぶりが前のめりに感じられるでしょう。
実際、私が普段接しているような若者たちの中には、
そうした「建前」を信じることをやめ、
地方で地域の資源を生かして暮らすことを、
清水の舞台から飛び降りるような気合いを入れずに、
自然と選んでいく者が少なくありません。

ただ、本書は全体として、これまでの社会と真逆を行くような、
いわば「里山革命」を起こすべきと説いているわけではないのです。
あくまでも、高リスクを伴うマネー資本主義にあって、
自分で、地域でコントロール可能な安心できるサブシステムとして、
「里山資本主義」を位置づけようとしています。
また、スマートシティ構想との親和性にも言及しており、
燃料革命以前の暮らしに戻れなどという主張とは一線を画しています。
この点、私のスタンスも同様なのですが、
本書の場合、執筆を分担しているためか、
著者たちの立ち位置が揺れているように映ります。

本書にオリジナリティが感じられる部分は、
最終総括での「日本経済ダメダメ論」への批判です。
ゼロ成長と衰退との混同、
絶対数を見ていない「国際競争力低下」論者、
「近経のマル経化」を象徴する「デフレ脱却」論と、
3つの視点から批判していて読ませます。
しかし、こうした日本経済論と地方でのユニークな動きが、
短絡的に結びつけて議論されているので、
事例があまり生きていないように思うのです
(里山と福祉とを結びつけて議論しているところは、
重要な主張をされていると思います)。
まず著者たちの言いたいことがあって、
それに合う事例を選ばれているので、
(事例から主張が展開されているわけではない)
丁寧に取材をされていても、
うまく結びついていないように感じられます。

ともあれ、紹介されている事例はどれもユニークで、
読む側に元気が出るようなものばかりですし、
日本経済に対する分析には読ませる内容があります。
よく売れているようですから、
「里山資本主義」という言葉を用いて、
安心できる生き方・暮らし方を保険として持つことの有用性、
そして楽しさを伝えることには成功していると思います。
社会が「マネー資本主義」に支配されていて、
翻弄されるリスクから逃れられないと信じている方には、
別の生き方・暮らし方があり、
実現も可能だと思えるという点で意味があるでしょう。

(松村正治)

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