雨の日も里山三昧

寄り道11 持続性と多様性を重視した社会へゆっくり急げ

2013.1.1
雨の日も里山三昧

寄り道11 持続性と多様性を重視した社会へゆっくり急げ

先日、NPOのマネジメント・資金調達に関して話をする機会をいただきました。今回のコラムでは、この機会に考えたNORA的な運営と活動について、自分なりの考えを書くことにします。

NPOを運営していくうえで、しばしば問題となるのが活動資金の不足です。NPOにとって資金調達は普遍的な課題と言ってもよいので、有益なアドバイスを聞けるならば誰もが聞きたいと思うはずです。実際、NPOの中間支援策として、資金調達に関連した講座・セミナーは頻繁に開催されています。民主党政権下ですすめられた「新しい公共」支援事業でも、この手の講座は数多く組まれました。典型的なNPOのレベルアップ講座では、専門家が組織マネジメント手法と組み合わせて講義し、ワークショップ形式で資金調達の具体的な行動計画まで考えるという内容が多いようです。
かつて、私もこうした講座に参加したことがあります。企業経営のための手法をNPO的にアレンジしたワークシートが提供され、そこに書き込むかたちでNORAの経営について何度か考える機会がありました。NORAの「ミッション(使命)」を確認し「ビジョン(未来像)」を具体化し、そこに到達するために「戦略」を立ててみるとか、「バリュー(価値観)」は何であって、それをメンバー間で共有するために何をすべきかを考えてみるとか、NORAにとっての強み(Strengths)・弱み(Weaknesses)・機会(Opportunities)・脅威(Threats)を評価するSWOT分析をおこなってみるとか、「アウトプット(結果)」と「アウトカム(成果)」の違いを意識して活動の成果を表現してみるとか。「ファンドレイジング(資金調達)」になると、ステークホルダー(利害関係者)分析をおこなってみるとか、企業のCSRやネット上での寄付の呼びかけ、SMS(ソーシャルネットワーキングサービス)などの手法を用いて、具体的にできることを計画してみるとか・・・。たしかに、NPOの組織マネジメント・資金調達の手法に初めて触れたときは、頭の中を整理する上で役立ったのですが、すぐに関心が薄れてしまいました。なぜなら、こうした体系だった経営学的な手法よりも、良いときもあったけれどドロドロの時代もくぐり抜けてきたNORAの経験の方が、よほど学ぶことが多かったし、現場でも役立つと感じたからです。私たちも、ミッションと収益とどちらを選ぶか、誰が覚悟を持ってその事業をおこなうのか、それは今やるべきなのか、常勤職員を雇うべきかどうかとか、法人としてやるのか個人としてやるのかとか、NPOにありがちないろんな問題を経験し、そのたびに議論を重ねてきました。ときには、感情を押し殺して冷徹に原理原則を貫いてみたり、言いたくないことをあえて口に出してみたり、メンバー個人のプライバシーに踏み込んで意見してみたり・・・。話し合いがうまくいかないときは、家でも浮かない様子をしていたようで、妻からは「また、NORAストレス?」と心配されることもありました。しかし、こうした問題を話し合う中から、考え方やルールが導き出され、根底となるNORAの運営方針を整理してきました。そうした経験を振り返ると、NPOのマネジメント手法を学ぶ前に、メンバーとともに考えておくべきことが山ほどあると感じます。むしろ、きちんと十分にメンバー同士で話し合いができていれば、手法を学ぶことで大きな力を発揮することができるでしょう。

また、私が「マネジメント」に興味を持てない理由として、この分野の人がよく口にする「選択と集中」という言葉が、好きになれないということもあります。それは、「選択と集中」がNORAの存在意義と対立すると考えているからです。
私が里山保全活動の現場に通うようになって以来、大事な場面として記憶に残っているシーンがいくつかあります。たとえば、小さな里山保全団体の会報の編集に携わっていたときは、その団体のリーダーから、誰の原稿であっても等しく扱うようにと言われたこと。大人であっても、小さな子どもであっても、書いた文章には手を加えないで、そのまま掲載するようにと注意されました。読み手に読みやすいようにと、つい編集側の立場から文章を加筆・修正したり、誤字を訂正したりしたくなるものですが、あえてそうしない。その会報の編集方針としては、文法として正しくて論理的な文章を掲載することよりも、幅広い年齢層の人が会報をつくるためにかかわっていることの方が重要だったのでしょう。
あるいは、雑木林に生えている木を使ってオブジェを作ったことがあります。植林に生えているスギやヒノキの幹がまっすぐであるのに対して、雑木林を構成する広葉樹の木は曲がっていたり、複雑な形状をしたりしています。定規で設計図を引いてつくる角張った構造物であれば、まっすぐな木である方が適当です。しかし、曲がった木やクセのある木では何もできないわけではありません。むしろ、その特性をうまく生かし、現場で適当に組み合わせてつくると、柔らかい曲線をベースとして味わいのあるオブジェとなります。しかし、そのオブジェ自体は、箱とか机とか何か人に役立つためのものではなく、ただ雑木林の木を生かして素敵な作品を作ってみたのでした。
もう1つ、こんな場面も印象的でした。あるNPOの事務所で打合せをしていると、スタッフの不登校のお子さんが来ていてゲームをしている。そこに別のスタッフのその子より年下のお子さんがやってきて、一緒に遊び始めるということがありました。会社員時代にはありえない光景に出くわし、最初は仕事モードで打合せするには場違いな雰囲気だと感じました。しかし、子どもが来ていても、周りのスタッフも特別扱いするわけでもなく淡々と仕事を続けているし、打合せができないわけでもない。むしろ、話をしている相手の暮らしが垣間見えて親近感を覚えたし、この事務所は自分も含めていろんな人を受け入れられる雰囲気があるとも感じたのでした。
こうした場面は、私が里山保全活動にかかわり、NORAの運営を考えながら、いつも頭の片隅に置いているものです。どれも、それまでの私の常識や固定観念を考え直す機会となりました。つまり、自分ではこの目的のためには、これは余分だ、邪魔だと一時は考えたものが、じっくり付き合ってみると、それこそがユニークな価値を持ってくる、そういうものだったと思います。私が「選択と集中」という言葉を好まないのは、きっと、それを急いだときには、今ここに示した場面が無くなってしまうような気がするからです。そしてNORAがこだわっている里山も、高度経済成長期以降の社会に大切だとは選択されなかったために少なくなり、人びとからないがしろにされたのだと思います。

NORAの定款には、「人が自然と共生する里山をモデルにして、そこに見られる思想、智恵や技などを現代にいかし、人びとの生活の質と生き物の多様性が共に高められる暮らし方を実践し、その成果を社会に発信しながら、地域ごとに個性ある持続可能なコミュニティづくりに寄与する」ことを法人の目的とすると書かれています。したがって、NORAの経営に関しても、私は里山をモデルとすることを常に念頭に置いています。理想的な里山では、身近な地域の資源が持続的に活用されるとともに、豊かな生物多様性が保全されてきたと考えられます。だから、私は組織運営の面でも、持続性と多様性を重視しようと常に意識しています。ここで、持続性とは日常的な活動を継続しながら、楽しく無理のない範囲で活動を展開するということです。予算規模の拡大を目ざして、不用意に突っ走るのではなく、ゆっくり歩くくらいの速度でも構わないので、活動それ自体を充実させることです。また、多様性とはさまざまな人びとの知恵や技を生かし、一人ひとりの意志を大切にしながら、互いに互いを生かし合う関係をつくるために努力し、結果として、かかわる人が自分の成長を感じられるようにと心がけています。自然と人間と、社会と個人と、これらをともに豊かにできる活動の展開と組織の運営を目ざしています。

先月の総選挙では、かつての自民党政権下における高成長の時代を取り戻したいという人びとの願いが現れたように思います。もう少し控えめに、希望のあふれるビジョンが描けないので、経済力の強かった日本を取り戻すという選択肢が相対的によく見えただけかもしれません。希望を見いだしにくいためになおさら、今後もまだ高い成長率で経済の規模を拡大できるという希望に執着したいのかもしれません。しかし、成熟社会ではこれ以上の生産性の向上と需要の拡大には限度があると思われ、私は高成長への希望は神話であって、実現しようとすればするほど空回りし、環境に持続性と社会の多様性を損なっていくような気がしてなりません。むしろ、人口減少とともに縮小していくことが当然の時代にあって、何かを取り戻すのではなく、新しい価値観の創造に向かう必要性を感じています。私の場合(おそらく、ほかのNORAのメンバーにとっても)、それを象徴するものとして出会ったのが「里山」だったのです。それは、政治的には右でも左でもなく(右でも左でもあり)、上からでも下からでもなく(上からでも下からでもあり)、新でも旧でもなく(新でも旧でもあり)、そうした枠組みを超えたところに見いだすべき社会のあり方だと考えています。いや、そのような社会のあり方を示すために、NORAは活動してきました。ただ個人的には、3.11以降、その速度を早める必要性を感じており、2013年もそうしていくつもりです。そうはいっても、NORAらしく、持続性と多様性を損なわない限りで。Festina lente.(ゆっくり急げ)。

(松村正治)

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