寄り道10 右でも左でもなく前へ
2012.12.1雨の日も里山三昧
11月27日、嘉田由紀子さんが「日本未来の党」の結成を発表しました。自民党、民主党、さらに日本維新の党をはじめとする「第三極」、この中には投票したい政党がないと考えていた人びとにとっては、明るさを感じさせるニュースとなりました。特に、脱原発、反TPP、反消費増税をと願っている人びとにとっては、そうした声を代表できる既存政党が見いだしにくかったので、ようやく力を結集できると思ったのではないでしょうか。
さて、嘉田さんは滋賀県知事ですが、私にとってはまず同じ学会(環境社会学会)に所属する先輩研究者です。ちょっとした経緯があって勝手に恩義を感じており、そのことについては、以前このコラムで書いたことがあります(→第14回『生活環境主義でいこう!』)。これまで、数回お話した程度の関係ですので、多くを知っているわけではありません(どういうわけか、日本科学者会議編『環境事典』(旬報社、2008年)の項目「嘉田由紀子」を執筆したことはあります)。それでも、著書や論文を読んだり、あるいは講演をうかがったりしてきた中から、私なりの嘉田さんに対する見方ができあがっています。今回は、そうした見方から推察する新党結成の背景を書くことにします。そして、おそらく多くの人が抱えている疑問―卒原発はよいとしても、なぜ、よりにもよって小沢一郎氏と組むことになったのか―についても、私なりの考えを示します。
嘉田さんは、西日本ではよく知られているのでしょうが、東日本での知名度は低いと思います。今回の新党結成で初めて嘉田さんを知ったという方には、脱原発の顔として担がれた市民派・環境派の女性知事というイメージかもしれません。たしかに、嘉田さんは民自公が推した現職知事に対して、「もったいない」をキャッチフレーズに掲げて2006年に当選し、新幹線の新駅建設やダム建設凍結などを実現してきた知事です。だから、市民派・環境派という印象は間違っていませんが、そこから薄っぺらい民主主義やエコロジーを唱え理想論に傾きがちな政治家だと判断するのは早計だと思います。それは、滋賀県知事として粘り強く関係者と交渉しながら公共事業の見直しを進めてきた実績からも言えますが、ここでは違うことを述べましょう。
私は政治家としての力量をよく知るわけではないので、ここでは、嘉田さんがフィールドワーカーであることに注目します。この点に関して、北海道大学の宮内泰介さん(環境社会学会会長)がフェイスブック上で、「フィールドワーカーが政治を行うとき」という文章を掲載されており、とても参考になるので引用します。
フィールドワーカーが政治を行うとき―― 滋賀県知事になったあと環境社会学会のシンポジウムに嘉田由紀子さんが「戻って」きてくれて話をしたとき、嘉田さんは行政の中でたいへんそうだったけれど、楽しそうでもあった。政治というフィールドワークを続けているつもりだったかもしれない。「みなさんもぜひ政治の世界へ」と嘉田さんは語った。 僕はフィールドワーカーが政治をする、ということを考えた。政治の役割は、調整であったり、ビジョンを示すことであったり、いろいろあると思うが、いちばんの役割の一つは、小さな人びとの声を反映させることだと思う。実はそこはフィールドワーカーと変わらない。 地域社会は多元的で、ただ一つの声があるわけではない。小さな声を拾い上げながら、ボトムアップで<声>にしてアドボケイトしていくこと。嘉田さんは、琵琶湖畔の村々で、それを続けてきた。その延長上に滋賀県知事があった。 そしてその延長線上に「日本未来の党」がある。 野合だ、とか、にわか作りだ、とか、いろいろ批判もある。野合も、にわか作りも、実践的なフィールドワークの中では、まあよくあることだ。嘉田さんは織り込み済みだろう。 実はフィールドワークをちゃんとしてきた政治家は昔はもっといろいろいたのではないか。政党と関係なく地域の人に慕われた政治家の話を聞くことは少なくない。嘉田さんは新しい政治家というよりも、むしろ先祖返りかもしれない、と思う。
私の言いたいことと重なることが簡潔にまとまっているので引用しました。
嘉田さんの場合、琵琶湖周辺での調査研究の過程で人びとの声をよく聞き取り、地域での信頼関係を築いてこられました。そこで、現場にあるさまざまな「もったいない」モノやコト、それに関連する社会の仕組みに出会ったのでしょう。だから、そうした事実を分析して論文にするだけではなく、政治的な実践のなかで社会の仕組みを改善し、暮らし向きをよくしようと考えるのは自然なことのようにも感じます(ただ、普通の研究者の場合、自分の安定的な立場から離れて、社会に働きかける勇気がないだけなのかもしれません)。
嘉田さんと小沢氏の連携については、これを野合と捉えるのは、嘉田さん=左派、小沢氏=右派、左右がごっちゃになっているから、これは選挙のために手を携えただけのものという見方があるのでしょう。この単純な認識法には、政治家としての立ち位置を右か左かと単純に二分することしかできず、市民派だから環境派だから左(しばしば侮蔑的に「サヨク」とも呼ばれる)、だから我欲、権益、国益などが渦巻くリアルな政治のもとでは、ひ弱で太刀打ちできないという図式があります。こういう時代遅れの古い図式をもって、現代の政治状況を見てしまいがちな人びとにとっては、嘉田さんと小沢氏との連携を、野合としてしか捉えられません。実際に野合であるかどうかは、今後わかってくることなので現時点では判断できませんが、両者が連携することに、私はそれほど違和感を覚えませんでした。
嘉田さんは、自らの立場として生活環境主義を唱えています。ここで、あらためて、この言葉について説明させてください。鳥越皓之・帯谷博明編『よくわかる環境社会学』(ミネルヴァ書房、2009年)に、私が「生活環境主義」について書いたコラムがあるので、その一部を引用します。
私たちの社会が自然環境と根本的に対立すると捉えてみると、そこから2つの考え方が生まれてくる。1つは、健全な生態系を守るべきだとする「自然環境主義」である。具体的には、すべての人間は地球にとって迷惑だから人口を計画的に減らすべきであるとか、自然環境を守るためには産業革命以前の生活水準に戻るべきという主張となって現れる。もう1つは、科学技術が最終的に問題を解決するという「近代技術主義」である。たとえば、巨大な密閉空間の中に人工的に生態系を作り、その中で自給自足しながら生きればよいという発想が出てくる。 しかし、このような解決策をそのまま社会に適用すると、しばしば無理が生じてしまう。フィールドワークを重視する環境社会学者たちは、そうした事例をたくさん見てきた。では、どう考えるべきなのか。机上の空論ではなく、調査して得られたデータからいえる範囲のことを主張する。そのためには、ある特定の地域環境の中で人びとがどのように暮らしているのかを観察し、そこから環境との関わりの基本的な構えを導き出すのである。 このようなスタンスから生まれたのが「生活環境主義」である。この立場は、1980年代に琵琶湖周辺で実施されたフィールドワークを土台にして生まれた。人間と自然を対立的にみる従来の考え方が、地域社会の論理とかみ合わず、住民の心に響かないことを実感し、現場の違和感を言葉にしていく中から生み出されたのである。 ここで、生活環境主義者たちが信頼したのは、自然保護を訴える市民運動家でも、近代技術の発展を説く科学者でもなく、1人1人の平凡な生活者であった。居住者の視点から見ると、人びとが大切にしている環境とは、日々の生活を支えている地域社会の資源やしくみ(生活システム)であることがわかった。つまり、地域社会とそれを取り巻く生活環境は切り離せない関係にあり、この関わりを丸ごと保全する必要があると気づいたのである。だから、生活環境主義では、生活システムを守れるかどうかが、地域の環境課題を見つめるときの重要な基準となる。これは、生態系(エコシステム)を守れるかどうかを判断基準とする自然環境主義とは異なっている。 ・・・<略>・・・ このように生活環境主義とは、ある地域の居住者を主体として、その視点から生活環境を観察し、人と環境のあるべき関わり方を考える立場なのである。
生活環境主義とは、政治的な文脈で言えば、人々の暮らしを支える環境・制度などの仕組み(生活システム)を守るという意味で、環境保守と呼べるかもしれません。だから、「国民の生活が第一」と訴える小沢氏と、生活・暮らしを守ろうとする点では一致すると思います。嘉田さんの立場は、古い図式で解釈しようとすれば、右でも左でもあるし、右でも左でもない、ということです。生態系(エコシステム)を守ろうとする環境(エコロジー)派との違いは、ここにあります。また、嘉田さんはフィールドワークを積み重ねる中から、地域に暮らす普通の生活者に心を寄せ、そうした人びとに納得してもらえるような議論を展開されてきました。いわゆる「市民派」の政治家が、市民運動家として活躍した実績をもとに政界へ乗り出すのに対して、嘉田さんは琵琶湖周辺の地域住民への信頼をもとに、そこを礎として政治家へと転身したという点が異なると思います。だから、市民派・環境派とレッテルを貼るときに付いて回るナイーブさを、免れうるのではないかと思います。
もう1つ指摘しておきたいことがあります。それは官僚との付き合い方です。最近は、脱官僚依存を求めるばかりに、官僚を悪玉として、これと対決姿勢を示すばかりの政治家が多いように見受けられます。私の視点からすると、無駄な足の引っ張り合いをしているように見えることも多いです。『知事は何ができるのか―「日本病」の治療は地域から』(2012年、風媒社)を読むと、嘉田さんは県職員の力を集結して、官僚と対峙して公共事業の見直しを実現させたことがわかります。官僚はシステム上、論理的に動くようになっているはずなので、嘉田さんは科学的データを用意し、官僚のロジックに乗ってみて、その考え方の弱点を示し、官僚は自己矛盾に追い込まれて修正せざるを得ないというかたちで、説得しています。ただ、理で動く官僚と違って、情でも人は動くので、時と場所を間違うと足もとをすくわれかねないと思っています。対立する立場になって考えてみるという姿勢が、立場の曖昧さを表していると誤解されやすいのです。発言の文脈を無視して、言葉面をあげつらうことが得意なメディアと、それに反応する私たちという未成熟な社会では、単純な物言いの方が通用しやすい面もあります。そういう私たちが、近年どのような政治家を選んできたのでしょうか。12月16日の選挙では、あらためて自分たちが選んできた社会を振り返り、この先を考える機会としたいですね。
(松村正治)