寄り道6 横浜と佐渡が支え合うために~十文字さんを訪ねて
2011.9.1雨の日も里山三昧
8月下旬、佐渡島を訪れました。例年、8月の最終土曜日におこなわれる羽黒神社の奉納薪能に合わせての訪島でした。
佐渡は能が非常に盛んで、島内には30余りもの能舞台があります。この数は、日本国内にある能舞台の約1/3に相当するそうです。室町時代、能を完成させた世阿弥が流されて来たこと、江戸時代、佐渡金山の開発や北前船の寄港地となって栄え、能楽師がやって来たことなどから、佐渡に能が定着したのでしょう。奉納薪能が集中するのは6月で、7月にかけて毎週のように能が演じられます。
羽黒神社の薪能には、戦中か終戦直後に一度は途絶えた歴史があります。それを25年前に復活させ、現在に至っています。しかし、羽黒神社のある安養寺集落は、平均年齢70歳代後半、わずか16軒しかない限界集落です。このため、薪能の準備、当日の運営、後片付けなどを集落の人びとだけで担うことは難しく、さまざまなかたちで協力する人が集まって実施しているという状況です。それでも当日は、300余名の観客が、島内はもちろん島外(なぜか千葉県の方が多い)からも、晩夏の風物詩を楽しみに足を運びます。鬱蒼とした杉木立の中、島内でもっとも小さな能舞台で演じられる薪能は、多くの人びとを魅了してやまないのです。
能に不案内な私に、安養寺集落にある羽黒神社の薪能のことを教えてくださったのは、9年前に横浜から佐渡へ移住した十文字修さんです。よく知られるように、十文字さんは、1983年に「まいおか水と緑の会」を設立し、舞岡の谷戸を破壊するのではなく利用する公園づくりを提案し、市民が運営する現在の舞岡公園のかたちを実現させた中心人物です。市民参加による里山保全、公園づくりの分野においては、舞岡を舞台にして、まさにパイオニア的な役割を果たしました。その後、十文字さんは思い描いたように残った舞岡から離れる決断をしました。「生まれ育った地でやれることはやった」という思いがあったようで、2003年に次のステップを求めて佐渡へと移住しました。
私が十文字さんとお付き合いするようになったのは、1998年に舞岡の活動から退いた直後でした。横浜では、舞岡公園をはじめとして、市民参加によって身近な樹林地を管理する仕組みが広がっていました。しかし、伐採した木材を生かすことが困難であるため、この課題を解決することが求められていました。そこで十文字さんは、当時、ヨーロッパで利用拡大していた木質(森林)バイオマスエネルギーに注目し、里山保全と自然エネルギー推進を図るために「神奈川森林エネルギー工房」を立ち上げました。私は、この団体の設立にかかわったことが契機となり、それ以来ずっと十文字さんの考えや行動から多大な影響を受けてきました。
今回の訪島で佐渡は3回目でしたが、これまでは他の誰かと一緒でしたから、一人で行ったのは初めてです。その分、十文字さんと1対1で話す時間を多く取ることができました。3日連続のべ8時間以上にわたり、話し合いました。
最近、十文字さんは、生きものとの協働(bio-collaboration)という言葉を提案しています。生きものとの共生と、市民と行政等との協働について、長年にわたって考えをめぐらせてきた末にたどり着いたのだと思います。この言葉を聞いたのは数年前のことですが、今回の訪島で、ようやく十文字さんの意図を納得できたように思います。私の理解したところで生きものとの協働とは、人が生きものの個別性を認識しつつ、その間に何かしらの互恵的な関係を築くことです。現在、十文字さんは佐渡で有名なトキは他の人に任せておいて、牛に関心を寄せています。佐渡の草原を維持するために放牧牛の再生のほか、協働のかたちが見えやすい使役牛の復活など、横浜で活躍していたときと変わらず、意欲的に活動を展開しています。
十文字さんに会いに佐渡へ行ってきたことが伝わると、周囲の人から十文字さんは元気でしたか?佐渡はどうでした?と尋ねられます。私は、十文字さんは元気だった、佐渡は良かった、と答える気にはなれなくて、次のように返答しました。
今年に入って十文字さんは、JUON NETWORKの会報誌に連載記事を書いています。そこから一部引用します。「10年目ともなれば、この島から次第に人が消えていく理由が身につまされて感じられるようになった。単なるむら好きのうちはむらびとではないのだ。・・・とにかく生きのびるために必要な営為。まずはそれを表す言葉がほしい。すでに色んな言葉が提案され始めているが、私の今の気分はさしずめ『レジスタンス』といったところか。それほどまでに動かしがたく、しかし乗りこえたい現実がある。」これまで以上に、佐渡と横浜が連帯しなければと思い、帰りました。
この返答に対し、十文字さんと親しい先輩から、次のようなコメントをいただきました。
十文字さんの感じる課題は、佐渡にとどまらない話ですね。つきつめていけば、原発が各地にうまれていく構造にもつながる話と思えます。レジスタンスだと表現することは、いかにも十文字さんらしい。横浜の仲間がつながり続けることは大事ですね。
まったく同感です。十文字さんは佐渡へ移住した理由として、佐渡が日本の縮図であると見なしていることがあります。つまり、佐渡の問題は日本の問題が凝縮されたモデルであると捉えて、この佐渡で問題を解決できなければという使命感に突き動かされて、日々、活動しているのです。
NORAは、おもに都市および都市近郊で活動していますが、私は都市の問題と地方の問題は一緒に考えないといけないと思っています。だから、佐渡という地方の問題は都市の横浜の問題でもあると受け止めて、横浜が、佐渡が、それぞれの地域がつながり、支え合うにはどうしたらよいのかを考えたいと思っています。
(松村正治)