第84回 150年/100年/50年前を起点に考える3冊―山本義隆『近代日本一五〇年』ほか

2018.6.1
雨の日も里山三昧

山本義隆『近代日本一五〇年―科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書、2018年)
前田速夫『「新しき村」の百年―<愚者の園>の真実』(新潮新書、2017年)
カネミ油症被害者支援センター『カネミ油症 過去・現在・未来』(緑風出版、2006年)


今年2018年は、明治維新150周年。
政府は記念事業に積極的で、菅官房長官は「大きな節目で、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは重要だ」とコメントしている。

1868年以降の150年間の歴史から何を学ぶのか。
私は、そのためのテキストとして、山本義隆(元全共闘代表)の近著『近代日本一五〇年』を取り上げたい。
これまでの著者の経歴と著作に親しんでいる者からすると、期待通りの、ある意味では、想像していたとおりの内容である。
内容をコンパクトにまとめる手間を省いて、この新書の商品説明を引用しよう。

黒船がもたらしたエネルギー革命で始まる近代日本は、国主導の科学技術振興による「殖産興業・富国強兵」「高度国防国家建設」「経済成長・国際競争」と国民一丸となった総力戦体制として一五〇年続いた。近代科学史の名著と、全共闘運動、福島の事故を考える著作の間をつなぐ初の新書。日本近代化の歩みに再考を迫る。

本書は、150年間の日本の近現代史を、科学技術(特にエネルギー)と社会の関係に焦点を当てて捉え直している。
この小著の中に、学生運動で大学・アカデミズムの意義を問い、その後予備校で教えるかたわら、重厚な科学史の研究書を出し続けてきた著者の生きざまが存分に発揮されている。
全編を通して体制側に批判的であるため、これまで社会を築いてきた人びとに対して、評価が辛すぎるように思うところもあるが、それも含めて、山本義隆的である。
ぶれずに鋭い観点を持って、社会を見てきた著者の見方から、学べることは大きい。

本書は、科学史、STS(科学技術社会論)、科学社会学などの入門書として好著であるし、広い視野から明治以降の歴史を概観し、未来を構想するためのテキストにもなるだろう。

なお、私は高校時代に著者の『物理入門』という参考書を読み、すっかり自然科学の魅力に取り憑かれて、当時は大変に物理が好きになった。
これまで私が受けてきた学恩の中で、誰からの影響が最も大きかったのか、一人を挙げるとすると山本義隆である。
何かの機会に表明したいと思っていたので、ここに記しておきたい。


今年は第一次世界大戦(WWI)の終戦から100周年にも当たる。
日本では、WWIよりも圧倒的にWWIIからの影響が強いと思われているので、前者への関心は比較的薄い。
しかし、片山杜秀『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命』 (新潮選書、2012年)では、第一次世界大戦が日本に与えた影響を重要視する。
第一次大戦によって、近代の国民国家の戦争が総力戦となることがあらわになり、「持たざる国」日本には次の戦争にどう備えるか焦燥感を駆り立て、その後アジア・太平洋戦争へと進む末路へといざなったと見る。
説得力のある歴史観で面白いと思った。

しかし、WWI終戦100周年であることは、よく知られているので、ここでは少し変化球として、『「新しき村」の百年』を取り上げたい。

白樺派の志賀直哉・武者小路実篤は、血縁関係はないが遠縁なので、子どもの頃から気になっていて、武者小路の「新しき村」についてもおのずと関心を持ってい。
「持たざる国」の中でも自給自足しながら、「自由を楽しみ、正しく生き、天命を全う」しようという理念。たしかに、これはよく分かる。
しかし、有機農業運動やコミューン運動などの経験、特に挫折の経験を踏まえると、その先に私たちの未来があるようには感じられなかった。
それでも、関川夏央『白樺たちの大正』(文春文庫、2005年)を読んだり(作品としては、こちらの方が面白い)、埼玉と宮崎にある東西の「新しき村」を訪ねたりして、どこかで気になっていたのだと思う。

本書は、武者小路らが「新しき村」を開いた1918年から今日までの、理想郷づくりの実践の経緯を描いたものである。
世界的にエコビレッジ運動が盛んになっている今日、艱難辛苦を乗り越えて「新しき村」が100年続いたことを再評価し、次世代につなげたいという思いから書いたようである。

著者の執筆動機もよく分かる。
たしかに、読み始めたときは、開村100周年を迎える「新しき村」の実践から、何か学べることはあるかもしれないと思った。
しかし読了すると、歴史ある「新しき村」の実践を、これからの社会にどうつなげられるのか、あまりイメージが湧かなかった。

「新しき村」の住民の高齢化は著しく、100周年の記念行事は予定されていないようだ。
村の住民たちには、そのようなことを企画する体力もないのだろう。
ここでは、積極的に再評価するというより、その実践の歴史を受け止めて、私たちは私たちなりのやり方で、欲しい未来をたぐり寄せることの方が生産的だと思った。


今年は1968年から50年にも当たる。
1968年のフランスの5月革命は、その後、先進諸国の学生運動に影響を与えた。
従来の価値観が批判されて、多方面から近代の価値が問い直された。
「1968年」はメルクマークとされ、これをタイトルにした著書も、絓秀実『1968年』(ちくま新書、2006年)小熊英二『1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景』(新曜社、2009年)などがある。
先に挙げた山本義隆は、日本の「1968年」のシンボル的な人物と言えよう。

またこの頃は、近代化の負の側面として、四大公害訴訟が起こされたときでもあった。
1967年に新潟水俣病、四日市ぜんそく、1968年にイタイイタイ病、1969年に水俣病の患者が提訴した。
だから、1960年代後半というと、四大公害をイメージされるかもしれないが、1968年にカネミ油症事件が発生したことを忘れてはならない。

カネミ油症は、1968年に西日本(特に福岡、長崎)を中心に発生した食用油による食中毒事件である。カネミ倉庫社製の米ぬか油の中にPCBやダイオキシン類の一種などが混入し、それを摂取した患者が、吹出物、色素沈着、目やになどの皮膚症状のほか、全身倦怠感、しびれ感、食欲不振などに見舞われるというものである。患者の子どもが、皮膚に色素が沈着した状態の「黒い赤ちゃん」として生まれたケースもあり、当時は社会的に大きな衝撃を与えた。

カネミ油症については、『長崎新聞』が関連情報をたびたび発信しているものの、東京では情報に触れる機会が乏しく、ほとんど関心を持たれていない。
しかし、少しでも被害者の現状や補償制度について調べてみると、本当に酷い状況が放置されていることがわかる。
だから、まずはカネミ油症について、あらためて目を向けてほしいと思っている。

とりあえずカネミ油症について知りたいならば、少し古いが、『カネミ油症 過去・現在・未来』がお勧めである。
上映される機会が少ないが、ドキュメンタリー映画『食卓の肖像』が良いだろう。
今月、都内で関連行事が開かれるので、これも紹介しておこう。


ゴーギャンに「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という作品があるが、私たちは何者であり、私たちはどこへと向かうべきなのか。
それを考えるためには、今から150年前、100年前、50年前から、私たちはどのように現在へと来たのかをふりかえることが大切だと思う。

(松村正治)

雨の日も里山三昧