第61回 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治)
2015.4.1雨の日も里山三昧
矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、2014年)
本書はamazonの歴史・地理>昭和・平成部門でベストセラー1位(4月1日現在)。
昨年10月に刊行され、約半年が過ぎたものの、よく売れているようだ。
本書の内容については、ネット上でもよく取り上げられているので、
そこでの紹介や書評を読めばよいだろう。
個人的には、日本の国としてのあり方について考える際の基本書の1つだと思う。
本書については、多くの情報が溢れているので、
ここでは、今月のコラムで本書を取り上げた個人的な背景について記したい。
2月のこと。
今学期から私のゼミに所属する学生が、辺野古で長く座り込んでいると聞き、
沖縄出張の際、様子を見に訪ねることにした。
那覇でバスに乗り、キャンプ・シュワブへと直行。
学生と落ち合うと、彼女はゲート前に設けられたブルーシート・テントの中や、
基地の周囲を金網に沿って案内してくれた。
ここで座り込んでいると差し入れを頂くので少し太ったと言う学生は、
なかなかたくましい。
私が訪ねた日のゲート前は比較的穏やかだったが、
翌日は県民集会が開かれ、運動のリーダーが拘束された。
翌日、与那国島へ飛んだ。
自衛隊基地誘致をめぐる住民投票の日だった。
中学生も投票できるとあって、マスコミが多数押しかけていた。
夜、泊まった宿の近くに賛成派の人びとが集まっていた。
結果は、誘致に賛成する人が多数だった。
歓声が沸き、爆竹が派手に鳴った。
それに女将さんが不機嫌そうに毒づいた。
大音量で流れるカラオケは、BEGINの「島人ぬ宝」だった。
私は、30代前半、沖縄八重山諸島に足繁く通い、フィールドワークをおこなった。
当時のテーマは、八重山の戦後環境史であり、
特に沖縄の日本復帰(1972年)前後からの開発が、
島の地域社会と環境にどう影響を与えてきたのかを調べていた。
たとえば、リゾート開発、町並み保存、エコツーリズムなどを中心に
調査研究をおこなっていた
(『開発と環境の文化学―沖縄地域社会変動の諸契機』(2002年、榕樹書林) 、
『沖縄列島―シマの自然と伝統のゆくえ』(2004年、東京大学出版会) に主要な研究成果は収められた)
沖縄で環境と開発について考えるとき、
日本の安全保障、日米安保の問題は避けて通ることはできない。
しかし、当時はフィールドワークから軍事に迫ろうとしても、
肝心なところまでは届かないような気がして、
そこを深く掘り下げようとはしなかった。
先日、私たちの沖縄研究チームのリーダーだった松井健先生の最終講義があり、
久しぶりにお目にかかる機会があった。
その講義の中で、松井先生は沖縄における環境問題の本質を扱おうとすると、
どうしても運動になってしまう、という主旨のお話をされた。
当時の私も、そのようなことを感じていたので、
問題の本質を避けていたという自覚があった。
30代半ばからは、長期にわたるフィールドワークはできなくなったが、
それでも毎年足を運び、細々と調査を継続している。
そうこうしている間に、だいぶ八重山がキナ臭くなってきた。
たとえば、尖閣諸島をめぐる日中対立、竹富町の教科書問題、
石垣島のPAC3配備、与那国島の自衛隊誘致・・・。
これらの問題が起こり、私が長年お世話になっている方々も
巻き込まれるようになってきた。
沖縄的な問題を避けて通れなくなってきた。
いよいよ、腰を据えて取りかかる必要を感じている。
その関心の先には、沖縄の保守というテーマがある。
昨年11月の沖縄県知事選では、最近、辺野古への基地移設をめぐって
日本政府と対立している翁長雄志氏が初当選した。
翌12月の衆議院議員総選挙では、全国的には自民党が圧勝するなか、
翁長氏が推薦した候補者は全ての小選挙区で現職の自民党候補を破った。
翁長氏は、沖縄の保守を自認している。
この考え方が、保守とされる政治家を中心とした安倍政権と対立している。
これは、地域主義(ローカリズム)とナショナリズムの対立として理解できる。
一般論として、私は地域の環境・文化を守ろうとする人びとに共感しているし、
里山を保全しようとする活動も、地域主義の理念に基づいておこなっている。
だから、「日本の美しい里山」を守ろうという抽象的なイメージ戦略には否定的で、
具体的に、近くの里山にかかわる暮らしを実践しようと勧めているのである。
このようにローカリズムについて考えているとき、
NORAの立ち上げメンバーで、現在は佐渡島に住んでいる十文字修さんから、
小冊子『こんなクニに住みたいな~佐渡で生きつくるための空想論』
(文・イラスト:谷戸刀根、発行:福島サポートネット佐渡、2015年3月)を
いただいた。
この本は、ガイドブック『あるかんか佐渡』という、
佐渡にあるムラ二百数十を全て紹介するシリーズの特別編に位置づけられ、
佐渡の人びと自身が「足元の地域を知り、その価値を再発見する必要」から作られた。
佐渡で地域主義を広め、深めるための理論と言ってよいだろう。
目次を紹介する。
- 0 暮らす場所の価値をつかみ直す時代
- 1 ふたすじの山なみと大きな掌
- 2 小さな川の利点
- 3 海に囲まれたこのクニの幸運
- 4 津々浦々がもたらす恵み
- 5 大きな湖から得られるもの
- 6 広すぎず狭すぎずほどほどでよい
- 7 絶妙な隣のクニとの距離感
- 8 北国であり南国でもある
- 9 金銀山の歴史から学ぶこと
- 10多種多様な生きものと人間との協働
- 11民話「鶴女房」が問いかけるお金とは何か
- 12いのちより大事なもの
- 13まっとうな私情を礎にした公共
- 14内を大切にするから外に向かう
- 15困ってる人に手をさしのべる
- 16クニのなかにある価値を最大限にいかす
- 17老若男女がそれぞれに、役割をもつ
この冊子で「クニ」とは佐渡を意味する。
「このクニ」(=現実の佐渡)の自然・地理・歴史を理解することで、
「そのクニ」(=これからあるかもしれない佐渡)という理想を空想的に描いている。
これもまた、佐渡の保守主義・地域主義である。
地域の環境-社会を大切に思い、これを大事に保守しようとすると、
ナショナル、グローバルな力に抗わざるをえない場合がある。
社会を構成する領域として、国家、市場、コミュニティを考えると、
ローカリズムが賢く対抗するためには、
国家、市場に対してコミュニティの力を高める必要があるだろう。
そのためにできることとして、
NORAの活動や、佐渡の小冊子が示すように、
地域をよく知り、地域と深く関わることがある。
しかし、それだけでは不足している。
国家や市場についても理解を深める必要があるだろう。
その際、日本という国家の動きについて理解するためには、
70年前の敗戦と戦後処理、日米関係について押さえておくべきがある。
特に米軍基地や原発が立地する地域において、
ときに強行的な正負の姿勢を理解するためには、
本書に示されるような基本的な事実を知っておく必要があるだろう。
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか。
その理由には、戦争で負けた米国との関係があるという。
本書は、かつての知識人にとっては常識的であったこの事実を、
可能な限り史料に基づいて説明している。
さらに、こうした現状をどうすれば打開できるかについて、
議論を呼び込む代替案を示しており、その点が良い。
本書がベストセラーになる社会には、救いがあると思う。
ただ、私はこの本がベストセラーになったことを素直には喜べない。
なぜなら、敗戦後70年にもなり、日米関係の現代史的な常識が
忘れられつつあることを、示しているように思われるからである。
(松村正治)