水の流れは絶えずして

第四十七話 こどものころの公害の時代

2020.6.29
水の流れは絶えずして

第47話 こどものころの公害の時代

前回は最近の環境への取り組みのトレンドとなっているSDGsについて考えてみましたが、今回は、時代を遡って、公害の時代について、とおい記憶を振り絞ってみたいと思います。

戦後、特に昭和30年代以降の高度経済成長に伴って、発生した大気汚染や水質汚濁などの公害問題の深刻化とともに、公害の対象範囲、公害発生源者の責任、国、地方公共団体の責務の明確化などを明らかにするべきとの国民世論が急速な高まりを見せていました。昭和38年生まれの私がこどもだった昭和40年代には、1967(S42)年7月に「公害対策基本法」が成立し、70年の公害国会、東京での初の光化学スモッグ警報の発令、71年に環境庁(現環境省)が設立するなど、行政による公害対策が本格的にはじまった時代だったといえます。

休み時間に校庭で遊んでいると、「♪光化学スモッグ警報が発令されました….. ♪♪」という校内放送がよくかかっていたことをよく覚えています。クラスの中にはぜん息で苦しみ、発作を押せる粉薬を手放すことができない友人が何人かいました。光化学スモッグの影響については、目がチカチカする、喉が痛い、呼吸が苦しいなどがあるようですが、当時は、あまり気にすることもなく普通に遊んでいました。今考えてみると、当時夢中になっていたソフトボールの練習をしている時などに、息を吸う時に少しだけ息苦しさを感じたことを覚えており、これが光化学スモッグの影響だったのかも知れません。余談になりますが、私の家族が富岡に引っ越してきたのは、昭和37年、私が生まれる1年前です。当時、父は京浜工業地帯にある金属メーカーの工場に勤務しており、川崎の社宅に住んでいたそうですが、兄の喘息がどうにもよくならず、引っ越してきたかということを、今年の正月初めて聞かされました。

この頃は、4大公害病やそれ以外にも多数の公害裁判があったり、琵琶湖の水質を守るための「石けん運動」などの住民運動がさかんに行われたりしていた時期ですが、当時は、今のように情報が簡単に手に入る時代でもなく、新興住宅地で育ったことで公害問題の深刻さを実感することはありませんでした。今回コラムを書くにあたって記憶を絞り出しましたが、この結果、当時の社会情勢が何も分かっていなかったこと分かりました。公害問題のほとんどのことは、社会人になってから学んだことです。
では、環境問題の意識がなかったといえばどうかというと、そうでもなく、小さい頃に遊んでいた富岡の海が年々埋め立てられていったことや、学校の裏山がその埋め立てのために削られてなくなったこと、そして、山が切り開かれて住宅地が増えていったことなど、いわゆる自然地が目に見えて減っていったことは実体験として記憶に残っており、6年生の時にキャンプで行った宮ヶ瀬渓谷では、大人たちがいます「ここにダムができて吊り橋が湖の中に沈んでしまう」ということを話していたことを覚えていました。

 

 

 

 

 

宮ヶ瀬ダムができる前の宮ヶ瀬渓谷                  埋立て開始頃の富岡   共に昭和51年撮影

 

さて、新型コロナウィルス禍の影響でできた時間を利用し、社会人になってから学んできた公害時代の書籍を読み返しているのですが、その中でも、宮本憲一氏の書著「日本の環境問題-その政治経済学的考察-」(昭和50年,有斐閣選書)が心にとまりました。本著では、公害の社会経済的特徴が以下のような視点でまとめられている。

公害の社会経済的特徴
1.公害は被害が大きく、その中には不可逆的あるいは補償不能といえるような絶対的損失がある
①人間の健康被害
②普及不可能な自然や生物の荒廃
③代替物のない文化財の損耗
2.公害は経済活動に伴って必然的に発生する被害
3.公害は、その被害に経済的不平等がある。

公害が発生する原因
1.生産性と利潤を極大に求める
公害対策費用と利潤、 (後に、公害対策を実施したことで、効率性が上がり、結果として利潤が上がった)
2.生産性を第一にする産業構造
資源浪費型、環境破壊型産業である重化学工業が基幹産業となっている
3.都市への過度の人口集中
4.大量消費型生活様式

環境政策
1.被害実体の総合的把握
2.被害救済の原則
3.公害規制
4.公害予防

引用 宮本憲一氏の書著「日本の環境問題-その政治経済学的考察-」(昭和50年,有斐閣選書)

これらの多くは、今日までの公害、環境対策で解決できている課題もあるが、未だ解決されていなかったり、新たな課題が加わったりしていることを再認識できたことは、収穫があったと思いました。未だに解決できていない課題については、引き続き考えていきたいと思います。

 

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