寄り道52 現代コミュニティ論の起点

2021.7.1
雨の日も里山三昧

最近、コミュニティやその合意形成について議論する機会があった。
そのときに発言したことを思い出しながら、これから私がコミュニティ論を展開するうえで起点となるような試論を書いてみたい。

これまでの自分の研究・実践をふりかえってみると、端的に言えば、現代的なコミュニティの作り方を考え、活動してきたように思う。
ここでコミュニティとは何か、どう定義すべきか、地域性と共同性が必要条件かなどと議論し始めると先に進まなくなるので、人びとが「○○のコミュニティに属している」と当事者性を持って関わっている集団としてコミュニティを捉えておく。

いわゆる市民社会論では、個人が地域社会に束縛される閉鎖的な「伝統的共同体」から、新しい開放的なコミュニティへと変わっていくべきとされてきた。
開かれたコミュニティでは、個人の自由、社会的な平等や公平が保障され、どの集団に所属・参加するのかについても自由に選択できることが望まれてきた。
また、コミュニティ内の合意形成についても、年齢・性別等にかかわらず個人が自由に発言でき、多様な意見が尊重される市民同士の公共的な話し合いが求められてきた。

ところが、近年、開かれたコミュニティ論は、大きく力を失ったように思われる。
たとえば、アメリカ・ファースト、都民ファーストという言葉に典型的に現れているように、コミュニティの内と外の境界を明確にして高い壁をつくり、外から内へ入って来る者に対して警戒を強めるべきと考える立場が広く支持されるようになっている。
日本では、少子高齢化と低成長の時代が続き、将来に向けて何かプラスの価値を積み上げていけると想像することが難しい。実際、諸外国と比較して、将来に明るい希望を持つ子どもたちは少ない。
そのような状況では、いま手元にある資産や豊かさを減らさないように現状を維持しようと考える反面、よそ者にそれらが奪われるのではないかと危機感を抱き、新たな参入者を歓迎しなくても不思議ではない。

みんなが大好きなパイが大きくならないどころか小さくなっていくように感じられる状況では、自分のことで精一杯で他人のことまで構っていられない。
自分たちを助けてくれる有能な人材ならば歓迎するけれども、少しでも足を引っぱるような人、コストのかかる人が来てもらうのは断るという心持ちにもなるだろう。
このような自己中心的なコミュニティ観は、倫理的には正しくないかもしれないが、論理的には一貫しており、正しいとさえ言える。
コミュニティの成員が民主的な合意のうえに閉じたコミュニティを選ぶならば、内と外を隔てる壁を高くすることやみだりに侵入する者に対し厳罰に処することも正当化される。

本当だろうか?
ゼロから人を集めてつくったコミュニティでは、この論理を正当化できるかもしれない。
実際、1990年代以降、セキュリティ上の不安からゲートを設ける住宅地(ゲーテッド・コミュニティ)がアメリカを中心に大量に出現した。
日本でも、大規模マンションのゲーテッド・コミュニティ化する例が見られる。
しかし、ゲートの中に暮らす住人も、以前は既存のコミュニティに後から加わったのであろう(あるコミュニティ内に生まれたことも含む)。
それでいて、その後に続く人びとを排除するという考え方には矛盾を感じる。
論理的な一貫性からコミュニティのあり方を考えようとすると、誰がコミュニティの正しい成員として、その運営にかかわり、対価を受け取れるのかという問題と接続する。
この問いは論理的に答えることが困難であり、そのために社会的に決まるから、時と場合によって答え方が変わるだろう。

開かれたコミュニティ論には、経済的な観点が弱かった。抜けていたと言ってもよい。
しかし、時代遅れだと捨て去ってしまうには惜しい。
なぜ、以前はコミュニティの閉鎖性が問題とされ開放が求められたのか。
この問いに対しては、社会的な背景とともに考えるべきだろう。
つまり、コミュニティを開くか閉じるかと一般解を探究するのではなく、歴史的社会的な条件との相関関係において、社会学的に議論することが有益だと思われる。

それでは、これまでコミュニティはどのように理解され、その機能が語られてきたのだろうか。
明治以降、近代化が進むなかで、伝統的な地域コミュニティは否定的に捉えられてきた。
ここで問題視される地域コミュニティとは、外部からの参入に排他的で、少数の長老・経験者が中心となって物事を決めていくような集団である。
だが、ここで考えるべきことは、そうした閉鎖的な地域コミュニティが、批判のまなざしが向けられる前には、当然とされてきたことである。
この事実に対して、成員が何も考えずに前例を踏襲していたと解釈するのではなく、そこに合理的な理由を探る方がよいだろう。
たとえば、共同でおこなう農作業や伝統行事の段取りを決める、隣村とのいざこざを丸く収めるといった議題は、長い年月の間に何度も繰り返し表れるだろうが、これらについては、そのコミュニティ長い経験を積んできた人たちが賢明な判断を下すと考えるのが道理である。
長老・経験者たちは年齢が高いから偉いのではなく、決めるべき議題がコミュニティ内の経験を必要とするものであったから、彼らの意志決定が正当化され尊重されたのだろう。
つまり、伝統的コミュニティにおける経験者中心の意志決定は、機能主義的に見て十分に合理的であったと解釈できる。

しかし、近代化以降、日本では地域コミュニティの閉鎖性が問題視され、特に敗戦後は、この問題が勝ち目のない戦争へと突き進んだ理由の一つにも挙げられ、コミュニティのあり方に対し、以前にも増して批判的な視線が注がれた。
地域内で蓄積してきた経験が社会課題の解決に有効ではなくなり、代わりに、目まぐるしく変わる世界情勢や科学技術の日進月歩の進展等に対して、速やかに情報を収集し、合理的に判断できる能力が求められた。
おのずと、地域コミュニティにおける社会教育の重要性は低下し、学校や会社など近代的な制度の中で習得する知識や技術が要求されるようになった。
地域コミュニティの役割は変化し、成員間の結びつきは弱まり、行政情報の回覧・掲示、イベントの開催、共用施設・空間の管理などは継続しつつも、機能は縮小していった。一方、社会の機能分化に応じて利害・関心等で集まるテーマコミュニティが増えていった。
1990年代前半までは、地域コミュニティが果たしてきた機能の多くを、多様なテーマコミュニティが補完していく、あるいは置換していくようにも思われた。

ところが、バブル経済崩壊後の1990年代後半頃からは、経済が低成長期となり、大災害が頻発するようになり、少子高齢化の現実に直面すると、地域コミュニティの役割に再び関心が集まるようになった。
災害時に人びとの命を救うのは近隣の人びとであること、医療・福祉にかかる社会的費用の増大は避けられないこと、経済が成長しないなかでお役所任せでは必要なサービスが不足しがちなこと。
こうしたリアリティを踏まえると、諸課題の解決主体として地域コミュニティへの期待が高まるようになった。
地域コミュニティの希薄化が進むなかで、その傾きに抗うように期待を寄せるのだから、これは消極的な選択肢であっただろう。
それでも、たとえば、介護分野では、高齢社会を迎えて「施設から在宅(地域)へ」の移行を促し、地域コミュニティをベースにした介護を進めてきた。
地域包括支援センターを拠点として、介護保険や行政の公的サービスと家族・近隣住民・地域ボランティアなどの協働によるケアの推進を図ってきた。
私は家族や地域の経験から、コミュニティケアの理想と現実との懸隔を痛感しているが、この路線を突き進むよりほかに道はないようにも感じている。

こうした社会環境の変化とともに自然環境の変化も、地域コミュニティに重要な役割を求める。
近年、気候変動による影響とおぼしき気象災害の頻発に加え、日本列島では約1,000年ぶりの「大地変動の時代」が始まったとも言われ、地震や火山活動も頻発している。
このような災害から人びとの生命や財産を守るために、防災・減災の必要性が高まっている。
大規模災害の発生時には公的な救助・支援が不足するので、おのずと地域コミュニティを中心とした防災・減災および復旧・復興に頼ることになる。

地域コミュニティに頼らざるをえないのは、人へのケアだけではない。
地域レベルの環境へのケア、すなわち、地域環境の維持管理についても同様である。
燃料革命以前の里山は、地域住民によって維持管理されてきた。
かつては、人びとの生業・生活と里山が深く結びついていたので、生きるため、暮らすために後山を維持管理してきた。
それが燃料革命以降は、そうした人と自然との関係が途絶えたため、ほかの利用目的のために開発されるか、管理を放棄されるかしたところが多い。
そうした手入れされなくなった里山空間に新参者が入りこみ、共同管理をボランティアで始めたのが里山保全運動であった。
この運動は1980年代に都市近郊で始まり、1990年代に全国的に拡がった。
2000年頃の市民社会論では、相対的に閉じられたコモンズから開かれたコモンズへとして、こうした共同管理の再編は歓迎された。
しかし、2010年頃からボランティアの高齢化・固定化の問題が顕著になっており、一時新しいコモンズとして期待されたそのあり方も時代に合わなくなってきた。
やはり、ボランティア活動を通して得られるやりがいや生きがいだけでは、環境のケアは持続できないのだろう。
ここでも経済的な観点が軽視されていた。
その反動もあって、近年では次なる新しいアクターとして社会的企業の参入が期待されている。
十分に活用されていない里山の資源・空間を経済活動に結びつけるサービス産業を起こし、結果として環境を保全しようという考えで、森林サービス産業の振興などの政策にも表れている。
たしかに、積極的に企業を巻き込みながら、観光、スポーツ、教育、福祉などの経済的価値を顕在化させることには意味があるだろう。
しかし、潜在的に市場価値の乏しいエリアでは、一周回って、地域環境の管理は地域コミュニティに頼るほかにない。
その結果、これまで共同管理してきた人びとの総意として、人口減少や高齢化等によって管理できなくなった樹木が伐採され、草地は舗装され、湿地は埋め立てられていく傾向が見られる。
地域コモンズをどのように再生させるのか。
この問題は本質的な解決策が見いだせず、先送りされたまま現在に至っているように思われる。

選択肢は狭められている。
この事実にどう向き合うのか。
事実から当為は一意的に決まらない。
パイが縮小しているという事実に対して、拡大をめざすべきと考えるのも、縮小していくなかで幸せに生きるべきと考えることも、両方ともありえる。
みんなで海外に売れるものをつくってお金を稼ぎ、地域コミュニティに頼らざるをえなくなっている諸機能を、市場から調達しようと目標を立てることもできる。
いい夢だと思うけれど、私には具体的な算段がないから、それとは違う方向で考えたい。
まず、地域コミュニティの再生を定めだと考える。
神の視点から冷厳に客観的に見れば、そのような運命にあるように私には思われる。
ここで考え方は2通りに分かれるだろう。
一方は、定めに従って生きるのは、人間として生きるうえで大事な自由が感じられない。
だから、客観的に捉えられる自分の位置を積極的に変えていく。
めぐりめぐって宿命的に想定されていた位置に戻ることになっても、その足掻いた跡に人間として生きる見出すタイプ。
他方は、そうした運命にあることを自覚して生きることに歓びを感じるタイプである。
さまざまな歴史的・社会的な背景が、行動を選ぶ際の諸条件に制約を与え、また自分たちが持っている資源や能力上の限界もある。
しかし、そのような中で生きることは不自由ではないし、ましてや不幸でもない。
もしレールから外れて自由にできるから幸せを感じるという考えが根強いとすれば、それは自由主義の進展と社会的厚生の増大に強い相関関係が見られた時代の残像なのかもしれない。
このような理路をたどって、私は地域コミュニティの再編へと向かう。

ここで、地域コミュニティの「再生」ではなく「再編」と表してみた。
再生は元通りに回復させるような印象を与えるので、そうではなくて時代に応じて再編していくことを目ざすのである。
それでは、どのような再編へと向かうのか。
個があってのコミュニティか、コミュニティあっての個なのか、ここでも議論は分かれるだろうが、これは両立すると考える。
これがジレンマとして映るのであれば、それは社会のなかにいる私が社会について考えることが本質的に困難であるために、いったん視点を固定して考えざるをえないからである。

そこでとりあえず、私は個をベースにしてコミュニティを考えるという方法を採用する。
さらに、地域には多様な価値観を持つ人びとが存在していることを前提とする。
さて、個人にとってコミュニティは必要なのか。
先ほど、ケアの領域で地域コミュニティの役割が強く求められている現状を確認したので、ここではコミュニティケアに絞って考えよう。
個人からケアを考えたとき、コミュニティは必要なのだろうか。

当然、自分にとって必要ないと考える人はいるだろう。
自分にとって必要なケアは、市場から調達すればよいと考える人。
現行の公共サービスのもとで、しかも、その水準が向上しなくても、あとは自己責任でよいとして、かりにニーズを満たすことができなくても、それはしかたがないと考える人もいるだろう。
一方、経済力に自信がない場合は、市場から調達すればよいとは考えないだろう。
また、自己責任を強く要請される社会では、当面、公共サービスの増大は難しそうだ。
そうした状況で、どのようにケアをまかなうのか。

私たちは、ある空間に身体を置いている。
そして、手当てをする、手入れをするケアには、身体の直接的な接触が求められる。
ICTの発達によって、くわえてコロナの経験により、非接触型のケアの開発は進んでいるだろう。
それでも、少なくとも私の場合、どこに居るかは生き方を考える際に重要である。
自分の身体がどこに位置することを優先させるのかという基準は、おのずと地域の選択と重なっていく。
そのように考える人びとは、地域へのかかわりを共有する人びととのつながりに必然性を見出すのではないか。

こうしてつながった人びとは、その地域におけるケアの課題をあぶり出す。
それは地域課題であるとともに、自分の暮らす環境を、生きる場を豊かにするための課題であるはずだから、一人ひとりが当事者性を持つ(個人として当事者性を持たない場合は、そもそも地域につながりを求める必要性がない)。
さらに、その課題をどう解決するのかを考える。
このとき、当面は解決できないと、いったん放置せざるをえない課題もあるだろう。
それでも、解決できないことを同志と確認することで、気持ちが落ち着くこともある。

課題を解決しようと思ったら、その地域内にあるさまざまな資源がどこにあるかを探るはずだ。
ここで資源とは、課題の解決に資する人やモノや情報などを意味し、地域経営的な発想からこのように表現している。
資源を探るうえで、干し草の中から1本の針をやみくもに探しても徒労に終わる。
力になるのは地域の諸事情に通じた人であるが、その地域に長く住み、地域内の多様な活動にかかわってきた経験者は、その一人であるはずだ。
その人は、市民社会論では批判される「伝統的共同体」においても、合意形成の中心にいた人であろう。
ここにきて、個人ベースでコミュニティをつくろうとした先で、閉じたコミュニティと邂逅する。

このように考えを進めてみると、コミュニティの開き方/閉じ方を一般的に問うことには、あまり意義を感じない。
社会課題から、また、それは一部の個人の課題からコミュニティのあり方を考えていけば、その課題を解決するために、地域コミュニティが歴史的に蓄積してきた資源は貴重である。
その経営学的な視点から見て、地域コミュニティは生かされるべきと考える。

今日、こうした自由主義(リベラリズム)的な見方と、コミュニティがあってこそ個人が生きるという共同体主義(コミュニタリアニズム)的な見方は、対立するのではなく同じ方向へと重なっていくだろう。
前者は地域コミュニティに外在し、その価値を客観的に評価して活用しようとする。
後者は地域コミュニティに内在し、その価値を共同主観的に理解し維持しようとする。

地域の特性や集う人びとの関心などによって両者のバランスは異なるので、ここにも一般解は存在しない。
それぞれ適当な混合が模索されていくだろう。
また、かりそめの最適解が見出されたとしても、時間の経過とともに諸条件が変わるので、そのたびに順応的に変わっていくことが求められる。

したがって、一時のコミュニティのあり方を探ることよりも、つねにコミュニティのあり方について人びとが試行錯誤していくような場をどうつくるかの方が重要な問いになる。
同じ人が実践を続けなくてもよい。
地域内の資源を活用/維持するために、長年の経験者がいることはありがたいが、その人が試行錯誤する必要はない。
知っていることと、考えて行動することは異なる。
もちろん、やってみることによって初めて知ることも多いに違いないが、コミュニティをコミュニティたらしめるのは人びとの認識ではなく実践である。
このため、地域社会や個人のケアの課題に対して、コミュニティの力で解決したいと考える当事者が持続的に実践できる制度が重要であろう。
つねに当事者がその場に入っていける場づくり、あるいは枠組み(うつわ)づくりが求められる。

しかし、社会的に要請される場を個人の自発性からつくり出すとは矛盾である。
このような場は意図的につくることはできない。
すると、それはつくるというよりも生まれるものかもしれない。
事前に予想を立てて計画的につくるのではなく、事後にふりかえってみて結果的にできていたというものだとすると、この場づくりの設計思想とは何だろうか。

自分たちでつくるのではないとすると、他者に委ねるということか。
その他者とは何だろうか。
私たちが委ねてもよいと思える他者とは。

この答えを論理的に導き出すことはできない。
私の場合は、人びとがこの地域で自然とともに、その恵みと災いとともに生きてきた、その自然に委ねたいと思う。
ただし、すべてを自然に委ねればよいというわけでもない。
人新世の時代、地球上の自然は人間からの影響を避けられず、自然はまったき他者ではない。
自然の力を借りながら、自然との協働作業によって、コミュニティづくりを進めたいと思う。
自然の他者性にうろたえながらも、人が自然とかかわってきた経験を頼りに、他者とともにコミュニティの再編へと向かいたい。

(松村正治)

雨の日も里山三昧