第101回 近藤・大西編『環境問題を解く』
2021.4.1雨の日も里山三昧
近藤康久・大西秀之編『環境問題を解く』(2021年、かもがわ出版)
本書は、総合地球環境学研究所のオープンチームサイエンス・プロジェクトが、
環境問題を解くためには、ひらかれた協働研究が必要という信念をもとに
取り組んできた試行錯誤をまとめたもので、理論編と実践編からなる。
このプロジェクトの問題認識はこうだ。
環境問題は、人間の利害や不確実性をはらむために「厄介な問題」となることが多い。
こうした問題に対しては、単一分野の研究者が問題の一端を「解明」するだけでは、
問題を「解決」したことにはならない。
複数分野の研究者、企業、政府・自治体、NPO/NGO・地域住民など
多様な主体が連携して、問題の「解消」に向けて行動を起こす「協働」が必要だという。
しかし、それらの間には「へだたり」があるので、これを乗り越えるために、
オープンチームサイエンス(オープンサイエンス+超学際研究)でいこうという考えだ。
この考え方については、環境問題に限らず、
特定の地域における社会的な課題の解決に向けて
協働で取り組んだ経験のある人びとにとっては、
当然のこととして受け止められるだろう。
すでに、さまざまな社会課題に対する協働実践がおこなわれているので、
そうした経験を踏まえて、どのような議論が展開されるのか、興味を持って読んだ。
結論から言うと、基本的な方向性は良いし、研究の姿勢も適当だと思う。
一部には興味深い事例が紹介されていたが、全体的には物足りなさを感じた。
本書はオープンチームサイエンス・プロジェクトが2018年~2020年に
おおむね月1回のペースで開催したウェビナーがもとになっている。
そのためか、全体的に話題提供というレベルにとどまっていると感じられ、
考えるべき点について、十分に掘り下げられていないという印象を抱いた。
本書の帯には、「「成功」でなく、「戸惑い」を共有する」と書かれており、
この意図するところは、たしかに協働において重要に違いないが、
「「戸惑い」を共有する」ことは簡単ではない。
この点こそを深く掘り下げて欲しかったのだが、
その手前を強調しているところに不満を感じた。
また、たとえば、にデジタル地図のオープン化(オープンストリートマップ)、
グラフィックレコーディング、シリアスボードゲームなどが、
理論編に収められているけれども、
これらは実践編の方が適当だと思われるし、
その内容についても「○○をやってみた」という程度で、
失敗や「戸惑い」の共有という点でも物足りない。
一方で、私が良いと思ったところも挙げておく。
まず、文理融合型プロジェクトの理想的な連携について検討している章で、
自然科学が自然の「法則性」を探究するのに対して、
人文学は人間の「多様性」に着目する、とはっきりと書かれていること。
この違いを理解することはとても大事。
いや、理系学問の目的については広く理解されているように思うので、
文系学問の目的について、社会的に理解される必要があるだろう。
また、プロジェクトリーダーへのインタビュー結果として、
プロジェクト開始時に、共通目標やコンセプトを協働で練り上げるときに苦労し、
それを乗り越える過程で知的な発見を経験できた一方で、
プロジェクトが始まるとその運営に忙殺されがちで、
知的な飛躍に乏しかったという経験が示されていることもよい。
ただし、この課題は環境問題の協働研究・実践に限ったことではない。
協働のプロセスにかかわる楽しさを、
どうすれば持続できるのかについては、よく検討する価値があるはずだ。
この検討には、一度停滞したチームを再生させるために
試行錯誤する経験の蓄積が必要になるだろう。
ところが、地球研は期間限定のプロジェクトをベースに動いているせいか、
そのような持続性について関心を払っていないようだ。
これは、地域の環境問題を考えるうえで、
決定的な重要な視点を欠落しているように見える。
もちろん、地域住民にも入れ替えがある。
しかし、そこで生活している多くの人びとからすると、
その地域で起こる諸問題からは逃れられず、
恵みも災いも、幸も不幸も引き受けて考え、
次の実践に生かすことを優先して考えるだろう。
だから、超学際的なオープンサイエンスであることを誇って、
環境問題を解こうと意気込んでも、地域を引き受ける覚悟がなければ、
足元を見られやすいのではないだろうか。
ここで、地域を引き受ける覚悟とは、本人の自覚ではなくて、
その地域で取り組んできた経験をもとに他者から判断されるものだと思う。
だから、たとえばNORAのフィールドに、そのような研究が持ち込まれても、
活動にとってプラスになるところはつまみ食いするかもしれないが、
深くかかわって一緒に取り組もうという気持ちにはならないだろう。
私たちには私たちのプロジェクトがあるから、
みだりに振り回されたくないのである。
ここで、「「戸惑い」を共有する」ことの難しさに戻る。
協働プロジェクトは、多様な背景を持ち、価値観も違い、
課題に取り組むアプローチも異なるから、うまくいくはずがない。
きわめて不安定な乗り物に同乗したようなもので、
誰にとっても思い通りにはならない。
ある意味では、失敗するのが当然である。
だから、戸惑いや失敗の先が重要だ。
そこでまた考えて、やり直して、うまく修正すれば、改善できる。
そう思えるチームを形成できればいい。
しかし、失敗の原因探しに関心が向き、
非難の応酬や互いに干渉しないという場合もあるだろう
前者であれば、「環境問題を解く」ことを続けることができる。
プロセスを前向きにとらえるチームならば、楽しいだろう。
その際、覚悟を決めている人がいると心強い。
周りも、そういう人がいると、はしごを外されないと信頼して、
遠慮せずに力を発揮することができる。
ただし、そのような1人だけでは、その人は潰れてしまうかもしれない。
できれば2人、いや3人以上いると心強い。
私の場合、周りの人の生きざまに刺激を受け、
それゆえに、そうした人びとを信頼してきたから、
NORAの活動を続けてくることができた。
本書の内容は間違っているとかおかしいということはないのだけれど、
私たちが日々直面している協働の現場からすると、
ここに書かれている水準では、満足できない。
(松村正治)