雨の日も里山三昧

第29回 『有機農業運動とのネットワーク』(桝潟俊子)

2011.7.1
雨の日も里山三昧

私は、この本の著者・桝潟さんが代表者となっている
研究プロジェクトに参加しています。
ローカル・フードシステムの社会的意義について
調査研究するというプロジェクトです。

今日、食の生産→流通→消費→廃棄という流れを決める仕組みは、
グローバル経済の中で最大限まで効率化されつつあります。
このグローバル・フードシステムに私たちの生活が覆われていくと、
たしかに食料を安く手に入れることができるかもしれません。
しかしその影で、私たちの食はアグリビジネス多国籍企業に支配され、
多くの小規模農家は廃業となり、農や食の地域性を失っていくでしょう。
実際に、米国ではこうした現象が広く見られるようになり、
これに抗うためのローカルフード運動が盛んになっています。
たとえば、CSA(コミュニティで支える農業)や
ファーマーズ・マーケットというかたちをとりながら、
地域の人・食のつながりを守る運動が展開されています。
また、同様にフランスでも、AMAPという小規模農業生産者を守るための
産直提携が盛んになっているようです。
私たちの研究では、このようにローカル・フードシステムの再評価が進む
欧米の動向を踏まえつつ、国内の事例調査に基づいて、
ローカル・フードシステムの社会的意義を明らかにしようとしています。

米国のCSAやフランスのAMAPは、
日本の提携(産消提携)を参考にしていると言われています。
ご承知かと思いますが、提携は有機農業運動の軸として展開され、
有機農産物を普及させるだけではなく、
消費者と生産者が信頼関係を築くこと、
消費者が食べ方の意識を変えることを大切にしてきました。
日本有機農業研究会が1978年に発表した
生産者と消費者の提携の方法」(提携の10か条)からは、
先駆者たちの理想の高さ、思想の深さが伝わってきます。
1. 相互扶助の精神
2. 計画的な生産
3. 全量引き取り
4. 互恵に基づく価格の取決め
5. 相互理解の努力
6. 自主的な配送
7. 会の民主的な運営
8. 学習活動の重視
9. 適正規模の保持
10. 理想に向かって漸進

ここに示された提携の原則は、とてもよく考えられていると思います。
だからこそ、ここで思い起こしたいことは、
当時の運動が何に対するオルタナティブを模索していたかです。
ここまで思想が深化していった背景として、深刻な社会問題があり、
それを根本から逆転させねばという強い意志が働いたと想像すべきでしょう。

1970年代初め、農業が近代化されていく中で、
健康被害、土の疲弊、環境汚染などを敏感に感じ取った生産者が、
農薬・化学肥料に依存しない方法を試みるようになりました。
一方、都市生活者のあいだには、残留農薬や食品添加物等による
食べ物の汚染に不安を感じ、安全な食を求める運動が生じました。
このように、生産者と消費者が当時のフードシステムに危機を感じ、
この仕組みに絡め取られない自律的な領域を獲得しようと
産消提携が取り組まれたのです。

戦後の日本は、短期間のうちに急速な経済成長を遂げましたが、
その裏では、甚大な公害・環境問題を引き起こしました。
そして、その被害の現場から、
人と人、人と自然/環境の関係性を問いなおす思想が生まれました。
たとえば、水俣病の患者さんが語る言葉の中には、
これ以上ないというほど的確に、社会の矛盾を露わにし、
あるべき姿を表してしまうことがあります。
これは、けっして大学の研究室から生まれることのない水準のものです。
質的には異なりますが、提携の10か条も、
被害の現場から生まれてきたという点では同根であると思います。

1970年代に反作用として提携を産み落としたフードシステムは、
地域の小さな抵抗をものともせず、
今日、地球規模に展開し、高度に効率化を進めています。
社会の流動性が高まる中で人も物も場所も置き換え可能となり、
米国でもフランスでも、もちろん日本でも、
ローカルの意味がせり上がってきています。
ここで、ローカルとは、1つは場所性にかかわることで、
もう1つは共同性にかかわることです。
前者は「地域」という言葉として、
後者は「コミュニティ」という言葉として、
近年、象徴的に表現されているように思います。

NORAの活動でも、これらは重要なキーワードとなっています。
そして実際に、神奈川県内産かつ生産者限定の野菜市を開き、
神奈川野菜の食事会をおこない、生産現場で農を学ぶなど、
生産者と都市生活者との関係を近く太くしようとしています。
ただ、現在のNORAでやっていること(「はまどま」プロジェクトなど)、
やろうとしていることの意味を考える上では、
70年代の提携と安易に結びつけるべきではないと考えています。
なぜなら、提携を始めた都市生活者(おもに主婦)は、
子どもたちに食べさせる食の安全を考えて行動していたのに対し、
今日、NORAにおける食・農の動きに関わっている人の多くは、
自分の生き方・暮らし方の問題として捉え、
実践しているように感じられるからです。

はたして、こうしたNORA周辺の動きは個人を越えて、
社会的なうねりとなっていくのでしょうか。
単なる一時的なブームに終わるのでしょうか。
もちろん、私はこの動きが静かに、しかし着実に広がり、
手応えがある生き方・暮らし方を選ぶ人が増え、
今よりも社会は多少でもマシなかたちに変わっていくと信じています。
(率直に言うと、どうなんだろう?と考えている最中ですが、
信じない限り、NPOなんて、やってられません。)
桝潟さんらとともに進めている研究プロジェクトを通して、
今、NORAが力を入れている地場野菜を通したコミュニティづくりの意味を、
あらためて考えてみようと思っています。

さて、今回取り上げた本は、桝潟さんが有機農業研究の区切りとして、
博士論文をもとにまとめた専門書です。
しかし、記述は平易であり、特に有機農業運動の歴史と意義、
有機農業が直面している課題については詳しく書かれているので、
この分野の同時代史に関心がある方にはお勧めです。
ほかに、桝潟さん関連の本としては、
桝潟俊子・松村和則編『食・農・からだの社会学』(新曜社、2002年が良いです。
この分野において一線で活躍されている方々が、
多様な角度から論考を寄せています。
問題群の広がりを感じられると思います。
また、古いので図書館や古本屋で探さないといけませんが、
多辺田政弘ほか『地域自給と農の論理』(学陽書房、1987年)もあります。
この本では博士論文でも扱われている
木次乳業(島根県)や無茶々園(愛媛県)の事例が紹介されています。

当時の桝潟さんの文章を読んでいると、もう四半世紀以上も、
同じテーマを追い続けていることに感心してしまいます。
しかし、きっと私も同様に、あと20-30年経ち、おじいさんになってもなお、
里山のことを考えているような気がします。

(松村正治)

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