第14回 『生活環境主義でいこう!』(嘉田由紀子)
2010.1.1雨の日も里山三昧
先月、京都で開かれた環境社会学会のセミナーで、
滋賀県知事の嘉田由紀子さんによる特別講演がありました。
嘉田さんは環境社会学会の会長を務めたこともあり、
学会では中心的な役割を果たしてこられましたが、
4年前に学者から政治家に転身されてからは、
一度もお目にかかっていませんでした。
嘉田さんに対しては、単に同じ学会に所属する大先輩の1人ではなく、
私の研究生活において特別に重要な影響をいただいた、
という個人的な思いがあるので、この講演を心待ちにしていました。
話は今から10年ほど前にさかのぼります。
20代後半、私はサラリーマンを辞めて大学院に入ったものの、
将来の展望はまったく開けていませんでした。
なるべく先のことは考えないで過ごすようにしていましたが、
それでも、ときどき取り組んでいる研究に自信を持てなくなると、
強い不安に襲われることがありました。
所属していた研究室の中では、
年齢からしても研究テーマからしても異質であった私は、
そういう不安を打ち明けたり、共有したりすることはありませんでした。
自分で選んだ道だから、リスクもリターンもすべて自分で引き受ける。
そうした自由と責任のあるところで生きる方が、
会社員として過ごすよりも楽しいと感じるタイプだから、
将来に対する不安に襲われることは織り込み済みとして処理すべき、
と考えるようにしていました。
けれども、ときどき不安がもたげてきて息苦しくなることがあります。
生身の人間は滑稽であり、だからこそ、生きるのは面白いものです。
私が学会にデビューしたのは、翌月には30歳になるというときでした。
都市近郊で活動する里山保全ボランティアに関して、
平均すると私よりも20歳以上年配の方々と一緒に活動しながら、
状況を観察したり、個別にインタビューしたりして調査データを集め、
分析した結果を発表したのです。
このとき、報告を終えて最初にコメントをくださったのが、嘉田さんでした。
内容についてのコメントというよりも、
3つの市民団体に所属して、保全活動に参加し続けたという労力を
ねぎらってくださったように記憶しています。
学会で影響力の強い嘉田さんが口火を切ったためでしょう、
その後の質疑応答は活発に進みました。
2年間かけた研究成果を披露する機会だったのですが、
事前に誰かに相談することもなかったので、
かなり不安を抱えたまま発表に臨んだのでした。
それを無事に終え、嘉田さんと名刺を交換したとき、
小さな山を1つ越えられたと安堵しました。
それと同時に、自分が面白いと思って懸命に取り組んでいれば、
誰かが気にして見てくれるに違いないと、
今に至るまで持ち続けている勝手な確信を抱くようになりました。
2年後の学会では、沖縄県八重山諸島における
フィールドワークの成果を発表する機会がありました。
地元農家が農地開発を進めようとするのに対して、
全国的な自然保護団体が開発に反対する姿勢を示し、
鋭く対立していた西表島の事例を報告しました。
このときも、嘉田さんからコメントをいただきました。
今度は、発表内容に踏み込んだもので、しかも肯定的なものでした。
このときのコメントは、
これまで私がいただいた研究報告に対するコメントの中で、
もっとも励みになったものです。
このように嘉田さんは、
2回のコメントを通じて生き方をサポートしてくださったという意味で、
私にとってとても重要な方なのです。
その後、これ以外に会話を交わす機会はありませんでしたが、
いただいたコメントを大事に抱えながら、
これまで進んで来られたのだと思っています。
もちろん、嘉田さんからすれば、
研究者として当たり前に振る舞っただけなのでしょうが、
そうした何気ない言葉によって強く生きられる人もいるのです。
それが、人間関係の面白いところです。
大学の教員になって、また、NPOの代表になって、
互いを支えあう言葉のやりとりや働きかけの積み重ねによって、
人びとが共に自分を生きていくためには、どうすればよいのかと考えます。
私が嘉田さんから受けた恩に、そのヒントがあるように思います。
特別講演に話を戻します。
嘉田さんの講演のタイトルは、「公共事業見直しをめぐる知事の苦悩と展望
―新幹線新駅、ダム問題をめぐって」でした。
従来どおりに公共事業を推進しようとする議員が多数を占める県議会にあって、
「もったいない」を合い言葉に当選を果たした嘉田さんが、
マニフェストに掲げたように新幹線の新駅建設を凍結し、
ダムに頼らない治水を模索してきた苦悩と展望をお話しになるものと予想しました。
講演は、前半が嘉田さんの研究者としてのライフヒストリーで、
後半が知事としての仕事の話でした。
しかし、前半が長くなったため、後半の話は駆け足になりました。
このため、期待されていたような生臭い話はほとんどありませんでした。
知事選が間近にあるという政治的な配慮があったのかもしれません。
それでも私は、十分に楽しく話をうかがいました。
今回取り上げた『生活環境主義でいこう!』は、
この特別講演で嘉田さんが話された内容と重なる部分が多いです。
中高生向けの新書なので、私も敬遠して読んでいなかったのですが、
講演の後で読んでみたら、大人が興味を持って読めるレベルで書かれてあり、
また、今日の社会を考える上で重要なことが書かれていました。
多くの方に、ぜひ読んでいただきたいと思っています。
特に滋賀県在住の方にとっては必読書でしょう。
本の中身へと入っていこうとすると、
「生活環境主義」とは何か?から説明しないといけません。
鳥越皓之・帯谷博明編『よくわかる環境社会学』(ミネルヴァ書房、2009年)に、
私が「生活環境主義」について書いたコラムがあるので、その一部を引用します。
私たちの社会が自然環境と根本的に対立すると捉えてみると、そこから2つの考え方が生まれてくる。1つは、健全な生態系を守るべきだとする「自然環境主義」である。具体的には、すべての人間は地球にとって迷惑だから人口を計画的に減らすべきであるとか、自然環境を守るためには産業革命以前の生活水準に戻るべきという主張となって現れる。もう1つは、科学技術が最終的に問題を解決するという「近代技術主義」である。たとえば、巨大な密閉空間の中に人工的に生態系を作り、その中で自給自足しながら生きればよいという発想が出てくる。
しかし、このような解決策をそのまま社会に適用すると、しばしば無理が生じてしまう。フィールドワークを重視する環境社会学者たちは、そうした事例をたくさん見てきた。では、どう考えるべきなのか。机上の空論ではなく、調査して得られたデータからいえる範囲のことを主張する。そのためには、ある特定の地域環境の中で人びとがどのように暮らしているのかを観察し、そこから環境との関わりの基本的な構えを導き出すのである。
このようなスタンスから生まれたのが「生活環境主義」である。この立場は、1980年代に琵琶湖周辺で実施されたフィールドワークを土台にして生まれた。人間と自然を対立的にみる従来の考え方が、地域社会の論理とかみ合わず、住民の心に響かないことを実感し、現場の違和感を言葉にしていく中から生み出されたのである。
ここで、生活環境主義者たちが信頼したのは、自然保護を訴える市民運動家でも、近代技術の発展を説く科学者でもなく、1人1人の平凡な生活者であった。居住者の視点から見ると、人びとが大切にしている環境とは、日々の生活を支えている地域社会の資源やしくみ(生活システム)であることがわかった。つまり、地域社会とそれを取り巻く生活環境は切り離せない関係にあり、この関わりを丸ごと保全する必要があると気づいたのである。だから、生活環境主義では、生活システムを守れるかどうかが、地域の環境課題を見つめるときの重要な基準となる。これは、生態系(エコシステム)を守れるかどうかを判断基準とする自然環境主義とは異なっている。
……<略>……
このように生活環境主義とは、ある地域の居住者を主体として、その視点から生活環境を観察し、人と環境のあるべき関わり方を考える立場なのである。
今でこそ、環境思想の主流は、自然環境それ自体を守るのではなく、
人と自然とのかかわりを総体として残す方向へと変わりましたが、
生活環境主義が誕生した1980年代半ばで、そうした考え方は斬新でした。
人と自然を峻別して、どちらを選ぶのか
という二択問題に陥りがちだった議論の水準と比べると、
生活環境主義以降の環境思想は確実に奥行きのあるものとなったのです。
NORAのキャッチフレーズは「里山とかかわる暮らしを」ですが、
ここにも生活環境主義的な考え方がよく表れています。
生活環境主義は、生活者への信頼から生まれた考え方です。
嘉田さんは、調査で出会った琵琶湖および沿岸の人びとを、
良いことも悪いことも含めて、丸ごと受けとめて愛しているのでしょう。
『生活環境主義でいこう!』のサブタイトルは「琵琶湖に恋した知事」ですが、
ポイントを突いたすぐれた表現だと思います。
恋は盲目と言いますが、さして地盤・看板・鞄を持たない嘉田さんが、
自民、公明、民主の3党が推す現職知事に挑もうと決意したのも、
琵琶湖への恋ゆえだったのかもしれません。
もう少し、本の中身に入りましょう。
講演でも話されましたが、
ダムに頼らない治水という政策を取る根拠について書かれています。
ダムに頼らない治水というと、
武田信玄が堤防にあらかじめ切れ目を入れて、
増水した川の水をそこから後背地へ逃がす霞堤を考案したとか、
ヨーロッパでは増水時に氾濫する場所を確保し、
その土地利用を制限する政策を採っていることなどが、
よく引き合いに出されます。
しかし、そうした事例の紹介は、
ダムに頼らなくても治水できる可能性を示すことしかできません。
信玄の時代と今とは時代が違うとか、
ヨーロッパと日本は文化が違うなどと理由を付けられ、
実現可能な代替案として検討されなければ、
事例紹介は実践上の力を持ちません。
本気でダムに頼らない治水を実現しようとしている場合に重要なことは、
それは可能だという感覚が社会に共有されるかどうかです。
おそらく、嘉田さんの発想は、
優良事例を琵琶湖に応用することではなく、その逆なのだろうと思います。
すなわち、これまでの琵琶湖周辺のフィールドワークから、
普段はあえて声を上げない多くの人びとは、
ダムに頼らない治水を求めているはずだという確信があるのだと思います。
あるいは、今は理解されなくても、
きちんと説明すれば理解されるはずだと考えているのでしょう。
琵琶湖周辺では、人びとと川とのかかわりは深く、
洪水は起こるものと想定されていて、そのために備える地域の力がありました。
現在のように、治水は行政が考えるべき問題ではなくて、
河川の近くに住む人びとは、
自分の命、地域住民の命を守るために、治水を考えていたのです。
それが、ダムに代表される近代的な治水技術が導入されると、
川とのかかわりが薄れ、それまで自分たちの手によって守ってきた自分たちの命を、
行政に委ねるようになりました。
このことのメリットはたしかに大きいのですが、デメリットも大きい。
治水の近代化に対する嘉田さんの違和感は、ご自身の感覚というよりも、
話を聞いた琵琶湖周辺に住む多くの人びとの感覚を捉えたものだと思います。
つまり、嘉田さんにとってダムに頼らない治水とは、
多くの滋賀県民の声に耳を傾けた末に生まれた政策なのでしょう。
だからこそ、強い信念を持って、ダムに頼らない治水へと、
座右の銘のとおり「まっすぐに、しなやかに」突き進めるのだと思います。
講演では、計画されていたダム建設を中止しようとしている嘉田さんが、
やむなく計画受け入れた地元住民から対話を拒否されていることも話されました。
八ッ場ダムの建設中止を決めた前原国交相が、
地元から反発されているのと同様の構図があるのですが、
そこには大きな質の違いがあります。
住民の辛さが痛いほどわかってしまうからこそ、
それだけ嘉田さんも辛いのだと思います。
狂おしいほどの切なさを感じます。
まだまだ書けそうですが、さすがに長くなりました。
少し前に、日本科学者会議編『環境事典』(旬報社、2008年)の
項目「嘉田由紀子」を執筆したのですが、
200字という文字制限のために通り一遍のことしか書けませんでした。
そこで、今回は思い入れたっぷりに書こうと思って始めたところ、
このコラム史上最長となってしまいました。
最後に、その他に嘉田さんが書かれた本を挙げておきます。
単著に、『生活世界の環境学―琵琶湖からのメッセージ』(農山漁村文化協会、1995年)、『水辺ぐらしの環境学―琵琶湖と世界の湖から』(昭和堂出版、2001年)、『環境社会学』(岩波書店、2002年)。
共編著に、『水と人の環境史―琵琶湖報告書(増補版)』(御茶の水書房、1992年)、『水辺遊びの生態学―琵琶湖地域の三世代の語りから』(農山漁村文化協会、2000年)、『みんなでホタルダス―琵琶湖地域の水とホタルの再生』(新曜社、2000年)など。
嘉田さんは、おもに琵琶湖周辺の人と水のかかわり、
つまり、里川や里湖の世界を描かれてきました。
里山、里海など、人と自然のかかわりについて関心があるならば、
ぜひ生活環境主義の世界をのぞいてみてください。
生活環境主義へいこう!
(松村正治)