第9回 『自分で調べる技術』(宮内泰介)
2009.8.1雨の日も里山三昧
前回と前々回のコラムの「寄り道」のなかで、
私がなぜ里山保全にかかわるのか、
その理由をライフヒストリーとともに記しました。
第8回のコラムに書いたように、このような寄り道をしたきっかけは、
ライターの浜田久美子さんからいただいた質問でした。
しかし、尋ねられてから急に自分のことを書こうと思ったのではなく、
その少し前から、私個人の経験をもとに私自身の言葉として、
私と里山のかかわりについて書く必要性があると思っていました。
NORAの活動は、エコだし、人に役にも立つし、
はたから見れば、清く正しく美しいように見えるかもしれません。
特にいまNORAがやっている
里山保全、地産地消、コミュニティづくりなどに対しては、
社会の評価は好意的となっているので、
どうかするとふわついて、調子に乗りやすい状況にあります。
ついつい、はやりの言葉を安易に用いて、
NORAのミッションとして里山保全を語りたくなります。
だからこそ、ちょっと立ち止まって、
自分にとっての活動の原点を確認したいと思っていました。
そんな風に考えているとき、
理事の石田さんがコラム「いしだのおじさんの田園都市生活」に
「私の田園都市生活」(第7回)を書かれました。
一読して、およそ30年前の近所の風景を思い出し、
ああ、こんな風に伝えていけたらいい、と刺激を受けました。
そこで、浜田さんから質問をいただいたいのをきっかけに、
私と里山のかかわりを掘り起こしてみたのでした。
すると、さらに反応は連鎖して、理事の三好さんが
「私は、野菜のことも、農業のことも、何にも知らなかった。
ただ、破壊は、もうたくさんだったのです。」をアップしました。
私の「寄り道」に刺激を受けたそうです。
私たちは、面と向かって話をする機会があまりないのですが、
お互いの文章を読んで感じ合い、静かに深く共振したのです。
私には、この事実がNORAらしく感じられて、嬉しく思いました。
さて、寄り道ばかりしていないで、
今回はタイトルどおり図書を紹介します。
ただし、里山と直接的にはあまり関係のない本です。
著者の宮内泰介さんは、現在もっとも精力的に
仕事をされている環境社会学者の1人です。
『バナナと日本人』『ナマコの眼』などの著作で知られる
フィールドワーカー・鶴見良行さんとともに、
若い頃は東南アジアを調査されています。
『ヤシの実のアジア学』(鶴見良行との共編著)
『カツオとかつお節の同時代史』(藤林泰との共編著)などでは、
モノにこだわりながら歩く鶴見さんのゆずりの
フィールドワークの成果が現れています。
これらの本では、研究者とか市民とかの枠を超えて、
さまざまな角度から調べ尽くしたところがユニークです。
さらに、『コモンズの社会学』や『コモンズをささえるしくみ』では、
すぐれた構想力のもとで多くの研究者を巻き込むしなやかさが感じられます。
昨年から私は、宮内さんがリーダーとなって始まった
4年間の研究プロジェクトに参加しています。
キーワードは、アダプティブ・ガバナンスと市民調査ですが、
ここにもセンスの良さが現れています。
今回紹介する『自分で調べる技術』には、
市民が調査をすることの意義、資料・文献調査、フィールドワークのやり方、
まとめ方とプレゼンテーションの方法などがコンパクトにまとめられています。
副題に「市民のための調査入門」とありますが、
たとえば、政策提言のためにNPOが独自に調査するようなときに大変重宝します。
なぜ、このコラムでこの本を取り上げるかというと、
里山に対する社会的な関心が高まっている今日だからこそ、
オリジナリティのある情報が貴重になっており、
自分で里山のことを調べる必要性が増していると思われるからです。
『ヤシの実のアジア学』や『カツオとかつお節の同時代史』を読むと、
自分でも何かにこだわって調べてみたいという欲求が湧いてくるはずです。
そんなとき、『自分で調べる技術』が手もとにあれば、
実際に調査を始めることができるはずです。
最後に、市民調査の必要性が高まっていることと同様の文脈で、
私は個人の里山経験、里山とのかかわりを発信することも重要だと思っています。
(社会にとって)里山が守るべき対象であることはわかった、もういい。
そういう話をしてくれる人は、世の中にたくさんいます。
あなたにとっての里山とはどういう意味があるのか、
私はとても興味があります。
(松村正治)