雨の日も里山三昧

第1回 『自然を守るとはどういうことか』(守山弘)

2009.1.5
雨の日も里山三昧

晴耕雨読=晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家で本を読む。

よこはま里山研究所NORAは、田畑を耕したり森の手入れをしたりしながら、現代における「晴耕」のあり方を実践し、社会に提案しています。しかし「雨読」のあり方については、あまり情報を発信してきませんでした。
そこで今月号から、NORAお勧めの本や映像を紹介していきます。このコラムの担当は、理事長の松村です。どうぞよろしくお願いします。

最初に、何を取り上げようか?いろいろと考えてみましたが、私がもっとも衝撃を受けた本からスタートすることにしました。
今でこそ、人が関わってきた里山の価値は、広く社会に認められるようになりました。しかし、80年代半ばまでは、自然は人間のかかわりが少ないほどよいと考えられ、生活圏から遠いところにある原生的な自然こそ守るべきであるという見方が主流でした。一方、身近な里山は、原生自然(自然植生)を破壊した結果生じた二次的な自然(代償植生)に過ぎないとみなされ、保全するための対策も十分ではありませんでした。その間に、身近な里山は開発されて住宅やゴルフ場となったり、放置されてつる植物が巻き付いたり藪に覆われたりしました。
そうした自然の捉え方に対して強烈な衝撃を与えたのが、『自然を守るとはどういうことか』でした。里山に関する本の中では古典といえる存在なので、すでに読まれた方も多いと思います。私はいつ読んだのか忘れてしまったのですが、手もとにあるのは1990年の第5版ですから、どこかで評判を知って手に取ったのだと思います。

守山氏は、いきなり1ページ目で、次のように問題を提起します。「自然をまもる」とは、原生自然から開発ばかりでなく農耕も含めたいっさいの「人為」を排除することなのだろうか。そして「まもられるべき自然」とは、いっさいの「人為」が排除された原生自然以外のものではありえないのだろうか。(pp.1-2)
こう述べた後で、里山が原生自然より劣る単なる代償植生ではなく、古い時代の生き残り(遺存種)を温存してきた場所だったのではないかというユニークな仮説を提示しました。仮説といっても単なる思いつきではなく、生物の生態に関する知見や歴史的な資料を総動員しながら1つ1つ論理を組み立てていく様は、今読み返しても、きわめてスリリングです。当時主流であった自然保護の考え方に不満を抱き、何とか里山(特に雑木林)の価値を伝えたいという著者の気迫が、冷静な文章の中からも、ひしひしと伝わってきます。短いコラムでは、その論証の面白さを伝えることはできないので、まだ読んでいない方は、ぜひ手にとってお読みください。

同じ著者で、特に田んぼについて書かれた守山弘『水田を守るとはどういうことか―生物相の視点から 』(農文協、1997年)もよいです。読書の時間を取れない方には、これら2冊の内容を易しくコンパクトにまとめた守山弘『自然環境とのつきあい方6 むらの自然をいかす』(岩波書店、1997年)をお勧めします。

(松村正治)

雨の日も里山三昧