小浜島でのキビ刈りの思い出

2009.12.22
ひねもす里山/NORA雑感

小浜島は、私にとって大切な島です。

八重山諸島の、特に竹富島・小浜島・西表島でフィールドワークを始めたとき、
最初はうまく調査できなくて、焦るばかりでした。
その様子が「変だった」のは間違いありません。
それが少し変わったのは、小浜島でキビ刈りをやったからだと、
竹富島の島人に言われました。

調査に入った翌年の2001年3月に、
私は島人に誘われてサトウキビの収穫をおこないました。
アルバイト契約だったので、体験するというレベルではつとまりません。
すでに、1月から2ヶ月以上キビ刈りを続けている若者たちの足を引っ張らないように、
とにかく必死になって仕事をしました。
雨の日も風の日も、毎日、朝8時~夕方17時まで、
昼食休憩を除いて、サトウキビと格闘しました。
一緒にサトウキビを刈るアルバイトの仲間たちは、
全国を自転車やバイクなどで旅している若者たちでした。
彼らは、ときどき住み込みでアルバイトをしながら、
夏に北海道へ渡り、冬は沖縄へと南下する旅人で、
俗に鳥になぞらえて「渡り」とも呼ばれる若者でした。
幸い、当時の私は彼らと同年代であったので、
すぐに溶け込むことができました。
今でも、当時のアルバイト仲間とは、連絡を取り合っています。

また、地元のオジィ、オバァとも一緒にキビを刈りました。
もちろん、体力的には若者にかないませんが、
オジィ、オバァには無駄な力を要しない洗練された技がありました。
私は、見よう見まねで体を動かしながら、
少しずつ勘所を体得していきました。

島に収穫するサトウキビがなくなり、
製糖工場から立ち上る黒煙が止まり、
最後にバーベキュー・パーティーがありました。
食事を終え、一緒にキビ刈りをやった若者、オジィやオバァが、
一言ずつ挨拶をしました。
それぞれ、個性が表れます。
笑わせてくれる人、心を込めて感謝する人、
号泣する人、その姿を見てもらい泣きする人。
体を目一杯使い、仲間と共に仕事をした後の充実が、
その場に凝縮されていました。
私は、このときに何と言ったのか覚えていませんが、
生きるって、けっこうシンプルなんだと思ったことを覚えています。
ありていに言うと、一皮むけたのだと思います。
だから、「変だった」のが少しはマシに「変わった」のでしょう。

今回、小浜島では、
最初に訪れてからずっとお世話になっている島人の家に泊めてもらいました。
「島のことを知りたいならキビ刈りをやったらいい」と勧めたくれた人の家です。
付き合いが始まった当初は、よく飲み過ぎて羽目を外すこともあったのに、
最近は、自分からお酒を飲むこともなく、
9時には就寝するという規則正しい生活を送っているそうです。
昔のことを知っているので信じられないほどの変わりようですが、
健康のこと、ご家族のことを考えると、その方が良いでしょう。
でも、かつてのやんちゃぶりを知っているので、
少し寂しくも思います。
やはり、月日が流れ、お互いに年を重ねてということでしょう。
深夜、すでに空き部屋になっている長男の部屋で布団に入りながら、
そんなことを感じていました。

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(M_M)

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