マネジメント時代に問われるNPOの存在理由

2013.2.1
ひねもす里山/NORA雑感

最近、NPOにもマネジメント思考が必要だという声を聞く。予算規模の小さなNPOが多いので、特にファンドレイジング(資金調達)の力を身につけるべきという意見は強い。多くのNPO自身も、そう思っているふしがある。実際、こうした問題意識に対応するように、NPOへの中間支援策として、資金調達に関する講座・セミナーが頻繁に開催されている。ボランティアによって支えられる儲からないNPOよりも、企業的な経営センスのある若者が社会を変えようと立ち上げたNPOの方が、輝いて見える時代なのかもしれない。

もちろん、資金調達の手法は、知っている方がよい。しかし、組織の中で厳しい議論を重ね、苦労して活動した経験がなければ、その有り難さを実感できないだろう。私自身、NPOを運営するうえで、ほかのメンバーと何度も話し合いを重ねてきた。ときには、言いたくないことをあえて口に出してみたり、感情を押し殺して原理原則を貫いてみたりしながら、NPOとしての存在意義を確認し、運営方針を整理してきた。こうした経験は、組織のアイデンティティを確かなものにする。そうすれば、目的が何であり、どこへ向かって活動すべきかを定まり、そのためにはいくらの活動資金が必要と計算できる。この段階になってはじめて、資金調達の手法が生かせるはずである。だから、NPO的なマネジメント手法を学ぶ前に、まずは仲間を集めて活動し、壁にぶち当たることを勧めたい。

しかし、そもそも私はNPOを経営するにあたり、企業的なマネジメント思考からは距離を置いている。とりわけ、マネジメントの専門家がよく口にする「選択と集中」という言葉は好きになれない。NPOのもつ「人・もの・金・情報」を効率良く生かすために、活動を選択(限定)して、そこに資源を集中させるべきという考えは、私たちのNPOの存在意義と対立するのである。

私が理事長を務めている「よこはま里山研究所(NORA)」は、都市化とともに減少し荒廃してきた里山を保全し、人と自然との関係を再び結び直そうとしている団体である。高度経済成長期以降、里山は大切にすべき場所としては選ばれず、蔑ろにされた。つまり、社会の「選択と集中」によって失われたとも言える。その里山を守ろうとしているのだから、この言葉に象徴されるマネジメントとは異なる考え方でNPOの運営を図る必要がある。NORAの場合、それは里山をモデルとした運営ということになる。

理想的な里山では、身近な地域の資源が持続的に活用されるとともに、豊かな生物多様性が保全されてきた。だから、NORAでは持続性と多様性が重視される。持続性とは、日常的な活動を継続させつつ、楽しく無理のない範囲で活動を展開すること。規模の拡大を目ざして、不用意に突っ走るのではなく、活動それ自体を充実させることである。また、多様性とは、さまざまなメンバーの知恵や技を生かし、一人ひとりの意志を大切にしながら、互いに互いを生かし合う関係をつくることである。そして、組織の経済成長よりもまず、かかわる人びとが自分の成長を感じられることが優先される。

昨年末の自民党が大勝した選挙結果は、経済力が強かった日本を取り戻したいという願望を表しているように思う。しかし、高い経済成長へのシナリオは神話であって、実現しようとすれば空回りし、環境の持続性と社会の多様性を損なっていくような気がしてならない。ただ古き良き日本を取り戻すのではなく、新しい価値観の創造に向かう必要性を感じている。NORA的に言えば、古い里山へ還るのではなく、懐かしい里山を将来へ生かすということになろう。

このように、現代社会のあり方を批判的に問い直し、新しい社会に向けて自ら進んで道を切り拓くこと。ここにNPOの存在理由の1つが、確実にある。近視眼的なマネジメント思考は、今の社会のなかで何とかやりくりすることに向かいやすい。これを超えて、私たちは現実に適応するだけでなく、希望ある未来をつくれるのだろうか。

(松村正治)

ひねもす里山/NORA雑感