第112回 釜飯仲間・おこげのお話

2018.4.29
神奈川・緑の劇場

「はまどま」のこと。生産者のこと。

NORAの事務所・大和ビル119号室を、フリースペース「はまどま」として改修し、都会の中の里山の入り口、人の輪を築く「場」として、様々な企画を催してきました。今、「はまどま」は、11年目に向かい、多くの皆様のご支援とご意見をいただけるようになり、次への展開をはかっているところです。

「場」については、私にとって最も大きいことは、演劇の「稽古場」でした。

文字通り芝居の稽古をすることはもちろんですが、時に「劇場」に変身し、時に「学習会」の会場、時に、車座の「宴会場」に、異色だったのは、“東ドイツ”からの演劇人一行との交流会を開いて芝居を演じたことでした。広さ3間×4間のプレハブ小屋、この小さな空間で過ごした数年間が、その後の生き方の支えになりましたが、自前の稽古場を持つ劇団、その劇団員が、どんなに恵まれていたか、貴重だったかを知るのは、ずっとずっとあとになってから・・・。恥ずかしながら、ただただ夢中に過ごしていた私でした。

数々の「場」での活動を経てきましたが、生産者とともに過ごした「場」も貴重な時間でした。あの稽古場よりも一回り狭い、やはりプレハブ小屋の「産直センター(伊勢原支部)」に赴任したのは、1987年5月。ダイヤル式の黒電話2本に裸の白熱電球がぶら下がっていました。一切の備品は、中古品・寄付品でした。

事務スペースと倉庫スペースがあり、夜8時ごろまでに、地域の生産者が納品にやってきました。私は、ほどほどにタイムカードを押して、しかし、生産者がやってくるのを待ちました。毎晩は無理でも、生産者に声をかけて、何かと話を聞いて野菜のこと、農業のことなどを教わるのです。

実は、当時は生産者の方も、自分が出荷した作物がその後どうなるのか、知らない人もいました。

「おう。生産者の○○さんに荷が足りねえって頼まれてよ。そのまんま、続けて出荷させてもらってんだが、そうか、注文とって、1週間に一回、一つの班?っていうんか、消費者のグループに届けるってわけか?そんな詳しいことはおらあ聞かされてねえもんな。話をしてもらって良かったよ。」

彼は、私とほぼ同じ時期に産直センターに関わり始めた、生産者の中では新人でした。しかし、その後、私と組んで各地の消費者との交流会に参加したり、やがては、中心の生産者の一人となっていくのです。その彼が亡くなって、早くも丸4年が経ちました。彼を思い出すたびに、あの小さなプレハブ産直センターの夜が思い出されます。

当時、都内の有名生協の職員が訪ねてきたり、あるいは、生産者の自主運営になる「産直センター」の先進地、千葉からの産直センター職員の訪問などがあると、神奈川の産直センターのたたずまいに、変に感動されたものでした。「これなんだよなあ、これ!これがいいんだよ!」

1987年当時でも、珍しいタイムスリップしたようなたたずまいのどこが良いというのでしょう?生産者のもとで、使わなくなった作業小屋を解体して持ってきて生産者たちが力を合わせて建てたとか、床のコンクリートが波打っているのも、生産者の手作業だったとか、消費者は、本棚や冷蔵庫、主に雑巾を洗う洗濯機などを寄付したとか、当時の若者たちの情熱がいっぱい詰まっていました。

生産者たちが情熱を傾けたのは、「産直センター」だけではありませんでした。

地元の農協(現JA)の敷地内で営業を開始した直売所がありました。さらに一回り、二回り小さい小屋でした。当時は、「産直」も「直売」も、日本中の多くの農協は認めていませんでした。そんな中で、生産者たちが力を合わせ、直売所を建ちあげることは、並大抵のことではなかったのです。

やがて時代は変わり、今ではJAが率先して直売所を運営しています。大型直売所が次々と生まれています。直売所の中には「子ども食堂」への食材提供を生産者に呼びかけたり、併設する施設で、生産者が講師になって様々な食育ワークショップを開催するなど、地域との関わりを大切にしようとしています。

しかし、生産者と消費者の(直売所の顧客)高齢化は、いよいよ深刻になっています。前述の小さな小屋から出発し、地域に根づいて営んできた直売所は、今年いっぱいで閉店がきまりました。

「はまどま」は、その名前を決めるために大いに悩み、そして、生産者の提言によって決めた名前です。人数も回数も多いとは言えませんが、10年の間には、何人も、何回も、生産者が「はまどま」に来訪してくれています。

都会に暮らす人々の里山の入り口が、里山に暮らす生産者にとっても、都会暮らしをする人々との絆づくりの「場」に育てられないかと思います。

40年前、プレハブ小屋を手作りで建設した生産者たちの子や孫の時代になりました。若い彼らは、圧倒的に少人数です。地域では孤立している場合も少なくありません。同じように若い世代からの働きかけが望まれます。そのきっかけになる活動も「はまどま」で展開できればと願っています。

(2018年4月29日記  おもろ童子)